1
前作を土台に、新しい要素を加えて書きました。
(ここ、どこ?)
目を覚ますと、知らない部屋にいた。
手を動かそうとしたが、動かない。
足も、首も、指一本も。
叫ぼうとしたが、声も出なかった。
(落ち着いて。とにかく落ち着くのよ、私)
自分に言い聞かせながら、内心では全くできていなかった。
辺りを見回すと、置いてある家具がどれもやけに大きい。
(巨人の家?)
そんな馬鹿な、と思う。
巨人なんて、おとぎ話の中の存在だ。
(でも……この家具の大きさ……私、巨人に攫われたの!?)
結局またパニックになりかける。
しかし、身体はぴくりとも動かない。
焦っていると、大きな扉がゆっくりと開いた。
コツ、コツ――
木の床に靴が当たる音が、部屋に響く。
ギィっとドアを開けられる。
朝日が部屋に入ってきた人物を照らす。
朝日の中に立つその人物は、騎士というより絵画の中の人間に見えた。
ただ一点、その青い目だけが、笑っていなかった。
その美しさに、思わず見惚れてしまった。
絵本で見た巨人は、もっと粗暴な姿だったはずだが、目の前の彼は違う。
服の上からでもわかる鍛えられた体は強そうではあるが、荒々しさはない。
あの顔立ちだからだろうか。
その立ち姿には、むしろ気品すら漂っていた。
(彼が私をここへ?)
巨人は、私に向かって一直線に歩いてくる。
そして――こちらへ手を伸ばした。
与えられる衝撃に備えて、ぎゅっと目をつぶるように視界を閉じる。
けれど、その衝撃は来なかった。
恐る恐る目を開けると、視界が大きく揺れている。
今は、先程よりも高い目線から家具を見下ろしていた。
下を見ると、床がずっと遠い。
感覚がないとはいえ、足元がすくむ。
落ちたら、大怪我では済まない高さだ。
くらりと目眩がした。
その時、揺れがぴたりと止まる。
目の前に鏡があった。
そこに映っていたのは――
先ほどの巨人と、鞄にぶら下がった可愛らしいクマのぬいぐるみ。
そして、その鏡の中のぬいぐるみと、目が合った。
(目が、合った? そんなこと、あるはずない……)
黒いビーズの目が、確かに私の意識と繋がっている。
ぬいぐるみが揺れると、私の視界も揺れた。
巨人じゃない。小さくなったのは、私の方だ。
夢だと思いたかった。
でも、揺れる視界に気分が悪くなってくる。
夢でこんなに気持ち悪くなるはずがない。
この彼が私をぬいぐるみに閉じ込めたのだろうか。
昨日は、いつも通りベッドに入ったはずだ。
家に見知らぬ人が、いきなり入って来れるわけない。
いくらなんでも、周りも気付くはず。
ふと昨夜のことを思い出そうとしたが、うまく思い出せなかった。
そうしているうちに、彼が歩き出す。
彼は部屋を出て、そのまま外へ出た。
そして、家の前に停まっていた馬車へ乗り込んだ。
揺れが止み、ようやくほっと息をつく。
どうやら鞄が、彼の膝の上に置かれているらしい。
私は今、彼を下から見上げていた。
すっと通った鼻筋。青い目を縁取る長いまつ毛。
(綺麗な顔……って、何を考えているの。誘拐犯なのに。)
どんなに整った顔をしていても、彼は私をさらった誘拐犯だ。
しかも、ぬいぐるみに変えて持ち歩く変態。
彼は窓の外を見ている。
その横顔は、なぜか寂しそうに見えた。
不思議に思って見ていると、彼がこちらを見下ろした。
いきなり目が合い、驚きで鼓動が早くなる。
彼の手が私に覆いかぶさるように動く。
陰で視界が暗くなっていく。
何をされるか分からない不安に、手の動きを視線で追う。
次の瞬間、頭を、撫でられた。
(えっ?)
もし人の姿だったら、今きっとものすごく間抜けな顔をしていたと思う。
彼の指が、視界の上で前後している。
可愛がっているのかもしれない。
けれど、変わらない寂しそうな目が気になった。
彼に撫でられている間に、馬車が止まった。
どうやら目的地に着いたらしい。
彼は鞄を持ち、立ち上がる。
また揺らされるのかと、少しだけ憂鬱になった。
馬車を降りた先に見えたのは、大きな城だった。
そして門の前には、鎧を着た騎士が二人立っている。
「アルベルト隊長、おはようございます!」
「あぁ。おはよう」
廊下を進むと、彼と同じ制服の騎士たちが次々と挨拶してくる。
そんな中、遠くからこちらを見て、にやにや笑っている騎士がいた。
視線が合った気がして、なぜか背筋が寒くなる。
アルベルトと呼ばれた彼はそのまま、とある一室に入った。
次の瞬間、視界がぐるりと回り、天井が見えた。
落下するような動きに、思わずぎゅっと身構える。
バンッ―ー
音が止んで、恐る恐る目を開けると、天井が見える。
どうやら、鞄を机の上に置いたらしい。
(……あんなに丁寧に撫でておいて、置き方はこれなの?)
そう思った時、バンッと勢いよくドアが開いた。
明るい茶髪を後ろで一つに結んだ騎士が、焦った様子で入ってくる。
年齢は、アルベルトより少し若いくらいだろうか。
「隊長、朝からすみません! あいつら、またやり合ってて……!」
「放っておけ。どちらかが倒れれば止まる」
「近くにいた子供が、怪我をしました!」
アルベルトの眉がピクっと動いた。
彼の纏う雰囲気が不穏なものに変わった気がする。
「……どこだ?」
「食堂です!」
そう言って、二人は部屋を出ていった。
(問題児っぽい騎士でもいるのかしら……)
部屋は静かになった。
しばらくして、コンコンとドアを叩く音がする。
「失礼します」
入ってきたのは、二人の騎士だった。
くすんだ金髪の騎士と、黒髪の騎士。
「あれ、隊長いないのか? もう来てるって聞いたのにな……」
金髪の騎士が部屋を見回す。
「さっき食堂の方が騒がしかったけど、それじゃないか?」
「あぁ、またあの二人か……」
その時、金髪の騎士がこちらを一瞬だけ見た。
けれど彼はすぐに視線を外し、肩を落とす。
「隊長、まだあのぬいぐるみ付けてるのか」
「隊長の前で、それ言うなよ」
黒髪の騎士が、落ち着いた声でたしなめる。
「……この前、笑った他の隊のやつ、覚えてるだろ」
「合同訓練のやつか。あぁ、覚えてるよ。……それだけ大事ってことだろ」
「あぁ」
金髪の騎士は、それ以上何も言わなかった。
少し沈黙が落ちる。
「とりあえず食堂行ってみるか」
二人はそう言って部屋を出て行く。
(このぬいぐるみ、そんな大事なものなの?)
馬車での、あの寂しそうな目が頭を離れない。
彼は、私に何を望んでいるのだろうか――?
しばらくして、ドアの向こうから足音が聞こえた。
程なくして、アルベルトが戻って来る。
彼は椅子に座るなり、大きく息を吐いた。
どうやら本当に面倒ごとだったらしい。
ふと、彼の視線がこちらに向けられる。
次の瞬間、また体が大きく揺れた。
すぐに揺れはおさまったが、再び宙づりになっていた。
床までの距離が、遠い。
視線を上げると、すぐ近くに窓があった。
そこに、自分の姿が映っている。
鞄にぶら下がったクマのぬいぐるみ。
その横には、コートと鞄が掛けられたコートハンガー。
ぶら下がっているだけで、苦しくはない。
でも、もし落ちたらと考えると怖い。
(ぬいぐるみだから、怪我はしないだろうけど……)
気を紛らわせようと、窓の外を見る。
外では騎士たちが訓練していた。
二人一組で、木剣を構えている。
剣術の訓練だろうか。
真剣な掛け声も聞こえてくる。
ぼんやりそれを見ていると――
カチャ、とドアの音がした。
視線を部屋の中へ戻すと、彼の姿がなかった。
部屋はしんと静まり返っている。
首だけでも動かせないか、試してみるが――
やはり、ぴくりとも動かない。
窓に映るクマのぬいぐるみを見つめながら、私は途方に暮れた。




