第27話 山姥の散蓮華
「すまねぇっ」
床に額を擦りつけるように頭を下げながら、山姥さんは謝った。
あとに続けとばかりに、山姥さんに従う狼たちが大きな体を伏せる。
狐白によって救出されたわたしは、山姥さんの家にお邪魔していた。
精一杯のおもてなしなのか、座布団を二枚重ねた上に座っている。
わたしの隣には、腕を組んで仁王立ちする狐白がいた。
この程度の謝罪で許すとでも?と言わんばかりに威圧している。
土下座されるなんて初めてのことだった。
あやかしとはいえ老婆に土下座させるのは申し訳ない気がしてしまって、わたしは早々にギブアップした。
「あの、頭を上げてください」
「くるみ」
不満そうな狐白に、わたしは苦笑いを浮かべた。
「だって、頭を下げたままじゃ話を聞けないでしょ」
「頭を下げたままでも話はできます」
「狐白」
人と話す時は相手の目を見ましょう。
祖母の教えだ。
そばにいた狐白は当然、知っている。
目力強めに見つめたら、狐白は渋々、どっかりと腰を下ろした。
古い床板がギィと音を立てて、抜けるんじゃないかとヒヤヒヤする。
床が軋む音にビクッと肩を揺らした山姥さんは、様子をうかがいながらおずおずと頭を上げた。
できる限り視界に狐白を入れないようにしているのか、首を変な角度にしてわたしを見てくる。
黄色く濁った目は相変わらず怖かったけれど、その目に何か切実なものがあるような気がして。
わたしは勇気を出して尋ねてみた。
「それで、あの……。山姥さんはどうしてこんなことをしたんですか? 誘拐なんて……良くないと思います」
いろいろ言いたいことはあるけれど、やっぱりこれに尽きる。
誘拐、ダメ絶対!
「分かってる。んだけど、そうでもしなけりゃ繕ってもらえないと思ってよ」
着物の袂を大事そうに撫でながら、山姥さんは言った。
もしかしたらそこに依頼したいものがしまってあるのかもしれない。
誘拐しなければ繕ってもらえない――なんて、どんな事情があるのだろう。
埴安さんに依頼したけれど、断られたことがあるとか?
それとも、危険が伴う依頼だとか?
ダメだ、分からない。
ひよっこ繕い手に推理は無理だった。
「どうしてそう思ったんですか?」
「金継ぎ工房埴安は、食器を繕う工房じゃあんめ」
「看板には……器、繕いますって書いてあったと思います」
「んだっぺ。おれが繕ってほしいのは器じゃねぇ」
「器じゃない……?」
山姥さんの言葉に、わたしは固まった。
助けを求めてちらと隣を見れば、狐白もポカンとしている。
まぁ、そうなるよね。
じわじわと怒りに苛まれていく狐白を肌で感じながら、わたしは思った。
(どうしよう。困ったな)
だってわたしは、金継ぎしか知らない。
例えば山姥さんが繕ってほしいものが着物だったとして――袂に入るくらいだから十中八九違うだろうけれど――わたしは繕う手段を持ち合わせていない。
(なみ縫いでなんとかなる? わけないよねぇ)
もしかして、繕い手ならなんでも繕えると思われているのだろうか。
他の繕い手がどうかは知らないけれど、少なくともわたしには無理だ。
なせばなる!で出来る気がしない。
(申し訳ないけど、お断りするしか……)
「その顔は、断るつもりだな」
しょぼんと肩を落とす山姥さんに、狼たちが寄り添う。
彼らの頭を順繰りに撫でてから、彼女は包みを差し出してきた。
「見るだけでいい。それでダメなら……しゃああんめ。諦める」
包みは、両手に収まるくらいの大きさだった。
山姥さんの皺だらけの手が布をめくる。
現れたのは、割れたレンゲだった。
そう。ラーメンを食べる時に使うレンゲだ。
柄の部分がポッキリと折れている。
「これは、散蓮華ですね」
「え、散り……?」
聞き慣れない言葉に、わたしは狐白を仰ぎ見た。
狐白は待っていましたとばかり滑らかに語り出す。
「散蓮華。レンゲとも言います。中国では湯匙と呼ばれていますね」
あ、レンゲでも合ってるんだ。
「散った蓮の花に形が似ているでしょう? だから散蓮華と言うそうです」
「なるほど。言われてみれば似ているかも」
「陶器の散蓮華は、江戸時代頃に中国から日本へ入ってきたと言われています」
「じゃあこれは、中国産の散蓮華なの?」
「いいえ。これはおそらく、肥前磁器でしょう」
「肥前って……。えーっと、伊万里焼とか?」
「伊万里焼、有田焼、鍋島、柿右衛門などと呼ばれるものを含めた総称ですね。日本の磁器発祥の地と言われている佐賀県有田を中心に発展してきたもの。それが肥前磁器です」
狐白の説明に、山姥さんが「んだっぺ」と深く頷いた。
「江戸時代に朝鮮から連れてこられた陶工が佐賀有田の泉山陶石を使って焼いたのがはじまりだと言われてる。朝鮮半島からもたらされた技術ではじまった磁器作りは、中国の磁器技術などをお手本として進化し、日本独自の技術・文化・職人気質が加わりながら発展してきた」
まるで教科書を諳んじるかのような台詞に、わたしは驚いた。
「お詳しいんですね?」
「好きなもんだからな」
大切に使ってきたのだろう。
散蓮華を見つめる山姥さんの目には、覚えがある。
「こんないしけーの、さっさとかっぽっちまえって思うけど……。どうしてもな」
どんなにボロボロでも、割れてしまっても、捨てられない。
それほどまでに大切なものなのだから、なんとかしてあげたかった。
「山姥さん。これって直火にかけて使用するものではないですよね?」
「おれは、汁物を飲むのに使ってたんだよ」
「なるほど。それならなんとかなるかもしれません!」
心の中で、イマジナリー埴安さんが言っている。
金継ぎができないものは、直火にかけて使用する道具だ。土鍋や釜なんかがそうだな――と。
帰ったら埴安さんに相談する必要がありそうだ。
看板、書き直したほうが良さそうですよって。