ひとりで出かけたみつき
視点変換・みつき
よくある携帯不携帯
朝ご飯の準備を整え終わったときに、なんとなく時計が目に入った。
時刻はまだ早い朝だ。
ヴァルティさんとカミユくんも、多分だけどもうすぐ帰ってくるはず。
今日は午前中はオンライン授業があって、午後すぐには、予定では秋露おじさんが学会から帰ってくる。
そうしたらすぐに診察なんかを受けて、抑制剤の調整があって、そのときに一緒に、私の血や髪がどれだけの金額になったのか、おおよその試算を教えてくれる。
末端価格? なにそれ美味しいの?
そこまでの値を私は知り得ない。そして、多分知らないほうがいい。
知ってしまえば世の中の「自分の価値」とやらが見えて、気持ち悪くなるから。
そんなに深く考えなくていい。
考えたくない。
とりあえず目先の、自分の趣味や生活に困らないだけのお金があればいい、と、見えそうになる自分の身に振りかかる社会の闇とやらから目を逸らし続けてきた。
目下、いつだって必要なのは販売する分のお菓子を作る材料費に充てるお金だ。
ヴァルティさんたちが来るよりも数ヶ月前、ちょっと調子に乗って有名な国産小麦粉数種類に手を出してしまって、その出来栄えと美味しさについつい試作を作りまくってしまったら、あら大変、売りに出す分のお菓子を作るための材料費にまで影響を出してしまった。
そこからまたきっちりお財布の紐を締めて、販売を続けて、今に至る、なんだけど。
「髪を売った臨時収入も入るんだから、またちょーっと色々買ってもいいよね? 例えば、お高いバターとか生クリームとか、チョコレートとか」
それを使って、なにを作ろうか?
これから冬に向かう季節。こってりしたチョコレートケーキなんか魅力的だ。
売り物にするクッキーに冬季限定チョコレート味を追加してもいいかもしれない。
そのためには試作を研究しなければ。
「そうだ。売店の金庫に預かってもらったままの今回の売上金を取りに行かなくちゃ」
本来なら、預かってもらったりなんてしない。
販売が終わった時点で持ち帰って、諸々の経費の計算をする。
ちなみに販売に携わってくれる売り子さんたちは、元々から病院の売店の店員さんだ。
その人柄と家族構成なんかは、研究センターと病院側の人事が管理している。家族の中にαやΩがいたことなんかもあるβの人たちだ。
私も、そろそろ彼らとは長いお付き合いになる。
売り子さんたちがこれほどまでに私に親身で仲良くしてくれるのにも、もちろんそれなりの裏の事情があり、見返りがある。
たとえば、少し遠いけれど切り捨てられないところにαの親族がいるだとか。
私のお菓子の売り子としてこの病院の売店で働くことで、定期的に、優先的にΩの作るお菓子を買えるし、万が一のために優秀な医者にもかかれる。
縁を切るなど考えられない、遠くに住んでいる友人の身内にΩがいるだとか。
私に対しては憐憫と親しみ。そして、私はそのΩの子と友達になった。これまたもしものときに、そのΩの子をこちら側の研究センターに避難させるだとか、いざというときの優秀な医者と研究者を派遣するよう訴えられるとか、理由は様々。
そんなふうに、私に関わってくれている人たちには、なにかしらの利益が明確にある。
それでいい。
無償の交友関係なんて、逆に信じられない。
彼ら、彼女らは、ちゃんと理由があって私と真摯に向き合ってくれるし、私もそんな皆に対価としてお給金以外でもなにか渡せるささやかなものがあるのはいいことだと思う。
もう一度、時計を見た。
ちょうど売店の朝のスタッフが開店作業を終わらせた頃合いだ。
ヴァルティさんとカミユくんが戻ってくる気配も、まだない。
併設の無人コンビニは二十四時間営業だけど、そこも管理する病院や研究センターで使う備品なんかも売っている売店は、朝から夜までシフト制で回っている。
早く売上金を受け取って、今回売り子になってくれた方にお給金を支払う計算をしなくっちゃ。
携帯を手に持って、立ち上がった。
病院の売店まで行ってきます。すぐに戻ります。先に朝ご飯を食べていてください。
カミユくんにそうメッセージを書いて送りながら、ほんの少し、考える。
売店に来ないほうがいい、と売り子さんたちが言ってくれていた言葉を覚えていないわけじゃない。
でも、販売を終えてもう丸一日以上経ったし、今この時間は、まだ病院の外来は開いていない時間。
もちろん、研究センターも一般来訪者を受け入れていない時間帯だ。
人の数自体、極端に少ないはず。
こんな朝早くにわざわざ売店にやってくるのは、家に帰る前に朝食を買いに寄った夜勤終わりの病院のスタッフか、急になにか必要になった入院患者の身内くらいなものだろう。
今のうちに売上金を取りに行っておけば、午後に秋露おじさんが帰って来たときにはもうお金の計算も終わっていて、すぐに色々手配できるはず。
売店に向かうことに迷いはなかった。
玄関でいそいそと靴を履く。
かかとを入れるために、携帯をシューズキャビネットの上に置いた。
「あ、そうだ。売店にきっと折り紙売ってるはず。カミユくんに手裏剣、作ってあげよう」
ウキウキと気分良く、玄関を開けた。
携帯を忘れて出てきてしまったことに気づいたのは、エレベーターが目的の階に着いたあとだった。
みつき




