Ωの習性
視点帰還・ヴァルティ
知ると知らないじゃ雲泥の差
朝。
目を覚まして、ワークアウトへ出る準備を軽く整える。
同じように起きて、廊下に出てきたカミユが眠そうにあくびをしながら伸びをした。
「おはよ、ルティ」
「おはよう」
顔を隠すためのキャップを被ると、連れ立って家を出る。
多く会話をすることもない。
それがいつもの朝のはじまりだ。
もちろん今日も。
5マイル程度を走り切る俺のスピードに、カミユがついてこられるわけはない。それもいつものこと。
見通しのいい場所、いつだってカミユの姿を視界に捉えられるコースを選んでいる。
途中から、カミユを残して先に行く。
子連れでランニングでは、自分の運動にならないから。
俺がはるか先に行っても、カミユはカミユのペースを乱さずに、必ず走り切る。
追加のストレッチをこなしながら待つ時間も、年々、日に日に短くなってきていた。
肩を並べて走れる日も、そう遠くないだろう。
三階のジムへ入る。
俺が知らない間に、カミユもきちんと会員登録を済ませていたようだ。
慣れた様子で、お気に入りらしい窓辺のベンチに座って息を整えながらアイシングを始めたカミユの携帯が、軽快な音でメッセージの受信を知らせた。
こんなに朝早くから、誰とやり取りだ?
ちらりと見てみたカミユが、携帯の画面を見ながら穏やかに微笑む。
そして、自分には到底できそうもない素早い操作でメッセージを打ち込む。
ほんと、若者は凄いな……、なんて、一応まだ年寄りでもないはずの年齢である自分でも思う。
ニコニコしながら携帯を傍らに置いたカミユと目が合った。
「ご機嫌だな。誰から?」
「みつきサンに決まってんじゃん」
さらりと、当たり前だと、言葉が返ってくる。
俺が四つん這いになって床にうずくまりたくなった気持ちを、カミユは理解してくれないだろう。
虚無を装って一度目を閉じて、荒れ狂いそうな心をどうにか落ち着けた。
「みつきが、なんて?」
「おはようって」
俺がいなかった二泊三日のうちに、二人はさらに仲良くなったんだな。
ヨシヨシ、と思う気持ちと、なんでそこに俺は入っていないんだと、奈落の底に叩き落とされるような落胆を味わった。
カミユには、おはようってわざわざ連絡くんの?
……、羨まし……。
涙が出そうだった。
平静を装って口を引き結んでいる俺をじっと見ていたカミユが眉間にしわを寄せ、耐えかねて聞いてきた。
「昨日あのあともっとケンカでもしたの?」
「してない」
「そう? じゃあ、なにも気にしなくていいんじゃない?」
その確認が終わると、もう放置とばかりにそっぽ向く。
カミユの中の、どこからその自信が生まれてくるんだろうか。
でも、それを上手く聞く言葉が見つからない。
俺自身よりも俺の番になる女性と仲の良い息子に助言を求めるなんて、ちょっとプライドが……。
俺がなにも言葉にできないまま、それでも「あー」とか「うー」とかしどろもどろな行動でカミユに尋ねたい意思だけは示していたから、息子はより一層眉間に深いしわを作って、こちらを向き直った。
「軽いケンカなんてこれから先もまだまだやっていくだろ?! 仕事で数日空ける前にちゃんとシャツとかあげられる関係になってんだからそれでいいじゃんって言ってんの!! ま、本人はどうせなら髪が欲しかったんだろうけどさ」
辟易とした呆れ口調で、腕まで振りながら、カミユはそんな俺の態度にため息を吐き出した。
息子に呆れ果てられたことよりも重要なのは、俺とみつきの言い合いの原因となった髪の話題が、カミユの口からまた平然と出てきたことだった。
「カミユ、髪って……、どうして俺が髪を短くしたことにそんなにこだわるんだ?」
アイシングを終えて、立ち上がったカミユがグイグイと身体を解し直す動きで伸びをする。
「……別に、ルティの髪が短くなったことにこだわりはないと思うけど?」
「は?! いや、でもあれは明らかに思うところがあるというか、なにか言いたいことを我慢してる様子で……」
「まあ、そりゃ、言いたいこともあったんじゃない? でも、我慢したんだろ? ルティも嫌だから、代わりにシャツあげたんじゃないの? ああいうのはたとえ番でも衛生管理上とか、価値観の違いで意見がズレやすいって書いてあったし」
「書いてあった?!」
なんのことだかさっぱり分からない。
いったいどこのなにに「書いてあった」というんだ。
困惑一色の俺に、カミユはますます表情を歪める。
「ルティもαなんだから、Ωの習性の知識はあるんだよね? 無いなんてことないよね?!」
「……多分、それなりに?」
一般常識程度には十分あると思う。
だが、ちょっと天井を見上げて腕組みをし、どうしても胸を張るほどの自信がなくて目を泳がせた俺に。
「うーわ……、今までのルティとの会話の中で一番信用できない返事かもしれない……」
カミユは手ひどいコメントをくれたのだった。
「髪の代わりがなんでシャツになるんだ? ていうか、ほんと、なんで髪にこだわってんだよ?!」
「だーかーらー!!」
カミユは握った拳の側面を、ドン、と俺の胸に叩きつけた。
「みつきサンはただただ、切ったあんたの髪が欲しかったんだろ!! 衛生的にどうこうって理由で捨てるのが当たり前で、手に入らなくて落胆してただけだろ? あんたの匂いがついたシャツもらって喜んでた顔、覚えてる?! あれがΩの習性なんだよ。番の気配が濃く感じられるものほど欲するんだよ」
「あ……、……え?」
カミユは呆れた眼差しで俺を見上げたあと、ゆっくりと一歩下がった。
「『巣作り』って習性だっけ? Ωって精神的に強くないから、自分を安定させるために番の匂いがついたものを集めるんだよ。シャツとか枕とか奪われてても文句言うなよ? 言う前に、みつきサンの精神状態を考慮してやれ。……って、αだって発現したときに学校の座学のときに配られた『第二の性の知識』っていう冊子に書いてあった」
カミユが言った「書いてあった」はその冊子か、と納得がいった。
思わず、自分の短くなった髪に触れる。
切った髪が欲しかった?
例えばそれで、集めて、持ってて、……どうするつもりなんだ?
それは、……なかなかに特殊なご趣味では?
「確かになんか、こう、そういう感じの習性があることは知ってたような気はするが……」
明確ではないΩの習性に対する知識を、頭の中で巡らせる。
そうやって考えている俺を見上げて、カミユがあからさまなため息を吐いた。
「別にオレも、みつきサンの習性を全面的に肯定してやってるってわけじゃないけどさ。もし自分がそんなことされる対象だったらどうしようって、正直ちょっと引くし」
若干、青ざめて見えなくもないカミユの顔色。
これから恋を知るのだろう年頃の少年には、確かにまだ早いと思える、ちょっと次元の高い性癖……、ゲフンゲフン。
「それでも、Ωにはそれが当たり前の精神安定剤代わりなんだろ? 番なんだったらそのへん、話し合って折り合いつけて許せる範囲を決めるべきだって、これも書いてあった。だから、ルティは髪はあげなかったけど、シャツは渡したんだと思ってたのに」
そんなつもりは特になく……。
ただ、なにも考えずにサイズの合わないシャツをあげただけの気持ちだった。
バツ悪く、頬を搔く。
それにしても、俺ばかりが、みつきに執着を持っていて。
俺だけがみつきに翻弄されて。
いっぱいいっぱいで、余裕がなくて。
みつきが俺に対して、依存や執着を見せていない?
ーーーーこれのどこが?!
込み上げた感情で、身体が震えた。
顔が急激に紅潮して、耳まで熱い。
『やべぇ…っ、なにこれ…っ、……っ、……嬉しい』
奥歯を噛み締めて、ニヤつく口元を押さえる。
カミユがそんな俺を見て唖然としたので、思わず片手で顔を隠して背けた。
Ωの巣作りには番であるαの匂い(フェロモン)がついているならば基本的なんでもいい。匂いが濃ければ濃いほどいいとされる。ただし、衛生面と倫理的な折り合いはその番同士でよくよく話し合いましょう。
ヴァルティ
カミユ




