第3話 今はこいつと遊ぶしかない
近所の湖。
よく子供の頃親に連れて行ってもらったり、小学校の地域学習授業で野鳥観察や水の生き物を捕ったりした馴染みのある場所。
「釣れた?」
「隣で見てるだろ」
そんな場所に、この間告白した女の子と釣り糸を垂らして並んで立っている。
いや、どういう状況だよ。
「……はぁ~」
揺れる水面。沈まない浮き。そして隣には何を考えているのかわからん女。
落ち着かない。緊張してイライラする。
「あ。餌食べられたんじゃない?」
「へ?」
「上げてみなよ」
アンナに言われて竿を上げると何も刺さっていない釣り針が出てきた。
「食われたね。あぁ~あ……貸してみなよ」
そう言われたので「ん」と釣竿を差し出す。
「……いや、竿を突き出してどうすんのよ? 針を貸せて言ってんの!」
「針を貸す?」
「あぁもうだから! 釣り針だけをこっちに届くように持って来いって言ってんの」
「じゃあ初めからそう言えよ……」と、竿先を上に向けたまま、その下にある釣り針がアンナの手の届く範囲に持っていく。
「よしよし」とアンナは何をするのかと思ったら、足元にある透明パックを開けて中にうじゃうじゃと入っているミミズを一つまみし、釣り針へと突き刺した。
「うえぇ……」
「何よ? さっきも見てたでしょ?」
「確かに釣りを始める時にお前がエサのミミズを付けているところを見ていたけど、改めてみると……お前よくそんなことができるよなぁ?」
「逆に男の子なのにどうして有島はこの程度できないのよ」
「昔から汚いのは苦手なんだよ」
「じゃあ、私って汚いんだ?」
「いや、それは……!」
「プッ! アハハハハ‼」
「何だよ?」
「今、有島めっちゃ目が泳いだよ?」
「…………」
恥ずかしさを誤魔化すために俺は顔を逸らす。
「別にいいよ。汚くても。昔から男の子の中で遊ぶような子だったし。いっつも泥だらけでサッカーしたりさ」
「今とあんまり変わらないな」
「うるさい。さ、水に落としな」
ポイッとミミズが刺さった釣り針を水面へ向けて投げるアンナ。そのまま俺は促されるままにポチャンと落とす。
「……石咲」
「ん?」
「男の子たちと遊んでたっていうけど、その中の子を好きになったりしなかったのか?」
「そんなこと聞きたいの? ショック受けるよ? 自分が石咲アンナの初めての男じゃないんだ! ……って」
「ショックならもう受けてるよ。フッて友達宣言した相手に平気でキスをした時から」
「あれショックだったんだ? でも、嬉しかったでしょ?」
アンナは自分の唇を撫でて挑発的に笑む。
その態度にカチンときた。
俺は水面に糸が垂れた状態の竿の持ち手をアンナに付きつけながら「帰る」と一言言った。
「え……? 何で……修司……?」
「嬉しいわけないだろ。いつもそうやって煙に巻いて。どこまでも誤魔化すことしかしない。そんなお前にこれ以上付き合ってられるか。俺だって……誰かのたった一人の大切な存在だって思われたい」
それぐらいの欲はある。
「俺はお前に選ばれなかった。なら、未練がましくお前と一緒にいるべきじゃない。それがわかった。だからしばらく距離を……」
ぽちゃん……。
アンナの手から竿が零れ落ちた。
そして、彼女は仮面じみた無表情で俺の方を見ていた。
「あのさ。有島。私、今までたくさんの男の子と楽しく遊んだことはあるけど。アレ、あたしのファーストキスだよ」
その、意図がわからない言葉をぶつけてきたアンナの一方。
彼女の手から離れた竿はどんどん流されていく。
「石咲……お前それどういう、」
「……竿、とってこなきゃ」
逃げるようにアンナは水の中に飛び込んでいった。
「あ、おい! ……なんだよ。やめとけ! 危ないって!」
ザブザブ岸から離れていくアンナに、胸中の疑問をぶつけたいところだったが、今はそれどころではないと脇に置いておくことにする。
そんな俺の複雑な思いも知らず、水面の上のアンナは俺に対して笑いかけてきた。
「大丈夫だってこのぐらい! 昔はよくやってたし!」
すいすいと水面を泳ぎながら、手を振るアンナ。
「まったく……今時普通の外の湖は変な細菌が泳いでるかもしれねぇってわかるもんだけどな……」
だが、そんな躊躇わない自由な彼女が羨ましくも思う。
服を着たまま平気で泳ぎ、浮かぶ竿を掴み、こちらへと笑いかける。
「早く戻ってこい! あんまり長いこと居たら近所の人に通報されるぞ!」
そもそもここは駐輪場を近くに作っている管理された湖だ。そんな場所、当然遊泳禁止だ。
「そっか。やば」と自分のやっていることのまずさに気が付いたのか慌てて岸辺に戻ってこようとバタバタとバタ足で水を蹴り始めた。
その時———、
「やべ‼ 引きだした!」
俺の釣り竿が軋んだ。
浮きが沈んでぐっと持ち手に重さがかかる。
「かかった⁉ やったね有島!」
「いいからお前はとっとと戻ってこい!」
二か所。バシャバシャと水面の上でしぶきが上がる。一つは俺の釣り竿の先の糸から。そしてもう一つは竿を持って泳ぐ石咲アンナから。二つのしぶきは並行してドンドン俺に近づいて来て、アンナは泳ぎながら「頑張れ! 頑張れ!」と応援してくる。
何だこれ?
何で好きな子と釣られた魚が並行して俺に近づいてくるんだ?
何だこの魚と並行して俺に近づいてくる女は?
これが俺の好きな女なのか?
「頑張れぇ!」
何を頑張るんだ?
何をそんなに必死になって応援するんだ?
「プッ、ハハハハハ……!」
光景が滑稽すぎて思わず笑いが出る。
「笑うな! 真剣にやれ!」
「無理だろ! 何でお前魚と並行してこっちに来るんだよ……! それが可笑しくてふいちゃうじゃん」
「集中しろ魚が逃げる! 釣りを舐めんな!」
「お前が舐めるな! お前が釣り竿手放したから面白いことになってんだろ⁉」
「いいから早く上げな!」
そんな馬鹿な大騒ぎをしたせいだ。
案の定———。
「こりゃ~~~~~~‼ 何やっとるか‼ そこで泳いじゃいかぁ~ん!」
通りすがりのおじいさんが杖を振り上げながら向かってくる。
「————やっべ‼」
一気に血の気が引いた俺たちは、とりあえずアンナを岸辺に引き上げ、荷物を一心不乱につかみ、とにかくおじいさんに顔を見られたり、話しかけられたり、声を聴かれたりしないように大急ぎで岸辺を逃げた。
もしもつかまって事情聴取をされて、高校の名前だったり俺達自身の名前だったり聞かれたら、学校に通報され、最悪停学をくらう可能性がある。
遊泳禁止の湖を泳いでいて地域住民に迷惑をかけたとして停学って、十六歳にはあまりにも馬鹿馬鹿しい、子供っぽい停学理由だ。そんなものを受けたら笑い者になる。
笑い者にはなりたくない。
高校生にとって、嗤われるというのは死活問題だ。クラス内ヒエラルキーの最下層に落とされてずっといじられ、虐められる。もうそのクラスでは二度とおいしい目にあえない。優先順位が一生下がったままになる。
それだけは避けなければ、と必死の思いで湖から逃げ出し、這う這うの体で自転車を漕いであのおじいさんが追い付けないほどだいぶ距離を稼いだ。




