第五話 祝儀は収益、難民は資産です
ガルバディア帝国の春は遅い。だが、雪解けと共に訪れた『世紀のロイヤルウェディング』の熱狂は、帝都の気温を一気に押し上げていた。
皇太子ルーカスと、元公爵令嬢アイリスの結婚式。
だが、花嫁の控室であるはずの部屋から聞こえてくるのは、緊張による溜息ではなく、電卓を叩く激しい音だった。
「計算が合いませんわ」
純白のウェディングドレスに身を包んだアイリスは、鏡を見る代わりに収支報告書を睨みつけている。
「式典費用、警備費、招待客の宿泊費、諸々の支出合計が、予算を0.5%超過していますわ。原因は何ですの?」
「そ、それはルーカス殿下が、『アイリスのドレスにはもっと宝石を散りばめるべきだ』と、独断で最高級の宝石を追加発注されたためで……」
侍女が震えながら答えると、アイリスは思わず眉間を寄せた。
「本当に浪費家ったら……。あれほど宝石で防御力は上がりませんと、何度言えば分かるのかしら。まあ、いいですわ。その分は『祝儀』の予想収益で相殺しましょうか」
「ご祝儀を収益と呼ばないでください……」
そこへ扉を乱暴にノックする音と共に、血相を変えた近衛騎士が飛び込んできた。
「アイリス様、緊急事態です! 招待状のない『招かれざる客』が、式場に入ろうとして揉めています!」
「不法侵入者は衛兵に引き渡して。今日は忙しいの」
「それが……相手はランカスター王国の『国王陛下』なのです!」
アイリスの手が止まる。
アレクセイの父。かつてアイリスの能力を認めつつも、息子の暴走を止められなかった優柔不断な王。
「通しなさい。ただし応接室ではなく、『未払い窓口』へ」
◇
式場の裏手にある簡素な会議室。
そこへ通されたランカスター国王は、以前の威厳を完全に失っていた。服は上質だが、どこかカビ臭く、痩せこけている。
「おお、アイリス! 会いたかったぞ!」
「お久しぶりですわ、陛下。本日はどのようなご用件で? 招待リストに貴国のお名前はありませんが」
ドレス姿のまま冷然と言い放つアイリスに、国王は縋るような目をした。
「頼む、戻ってきてくれ! あれから国は滅茶苦茶なのだ! アレクセイは使い物にならず、宰相は胃に穴が空いて引退した。今、王国を動かせる者が誰もいないのだ!」
「それは人事ミスですわ。経営責任かと」
「支援金だけでもいい! 帝国と親戚になるのだろう? ならば、結納金代わりに我が国の借金を肩代わりしてくれ!」
なりふり構わぬ懇願。
アイリスは静かに扇子を開き、口元を隠した。
「陛下、一つ経済の基本をお教えしましょうか?」
「な、なんだ?」
「『信用』のない投資先に金を出すのは投資家ではなく、慈善事業家だけですわ。そして私は帝国きっての『強欲な財務管理者』ですの」
アイリスは背後に控えていた侍従に合図を送る。
侍従が恭しく差し出したのは、一枚の請求書だ。
「これは……?」
「本日の陛下の滞在費、警備費、及び『私の貴重な式典前の時間を奪ったコンサルティング料』です。即金でお願いしますわ」
「なっ!? 金を取りに来たというのに金を払えというのか!?」
「当然ですわ。ここは他国ですよ? タダで息ができると思わないでくださいませ」
真っ赤になって怒る国王の背後から、悠然とした声がかかる。
「おや? 何か騒がしいと思えば、私の花嫁に何か用かな?」
現れたのは、正装に身を包んだルーカス。
その眼光は鋭く、国王を射抜いた。
帝国皇太子の覇気に、国王はたじろぐ。
「ルーカス殿下……。わ、わしはただ旧交を温めに来ただけだ……」
「そうか。だが、残念ながら我が国の国庫はアイリスの管理下にある。彼女が拒否すれば、私も金貨一枚動かせないのだ。さあ、帰ってもらおうか。これ以上、私の妻のドレスを貧乏人の溜息で汚さないでくれ」
衛兵に抱えられ、国王がつまみ出されていく。
「アイリスー! 頼むー!」
情けない声が遠ざかると、アイリスは「ふう」と、息を吐いた。
「式の前に汗をかいてしまいましたわ」
「災難だったな。だが、見てごらん」
ルーカスが窓の外を指さす。
そこには国境を越えて帝国へと流れ込んでくる、多くのランカスター国民の姿があった。
「国王があの有様だ。国民はとうに見切りをつけている。アイリス、君のかつての故郷は、もう長くは持たないだろう」
「構いませんわ。むしろ計画通りですもの。沈む船から逃げ出すネズミ、いえ、『貴重な労働力』をどう活用するか。それが次の議題ですわね」
「……君は本当にブレないな。愛してるよ」
「光栄ですわ。その愛情も含めて、きちんと『生涯契約』として運用して差し上げます。覚悟していてくださいませ、殿下」
「……やはり君には敵わないな」
ルーカスは呆れたように笑い、アイリスの手を取り、式場へエスコートした。
◇
結婚式から一か月後。
アイリスは帝国の『移民管理局』の視察に来ていた。
崩壊寸前のランカスター王国から流れてくる難民は増える一方だった。帝国の一部の貴族は、「治安が悪化する」と懸念していたが、アイリスは即座に断言する。
「人口は国力ですわ。適切な教育と配置を施せば、彼らは金の卵になります」
その言葉通り、アイリスは難民のスキルチェックを行い、適材適所に振り分ける。
農民は開拓地へ、職人は工房へ。
そんな中、一人の少女が受付で騒いでいた。
「だからぁ! 私は『聖女候補』なの! こんな汚い服を着て並ぶような人間じゃないの! もっといい待遇にしなさいよ!」
ピンク髪の少女、リーナだった。
彼女のドレスは薄汚れ、かつての可憐さは見る影もないが、その傲慢な態度だけは変わっていない。
「あら。珍しいデータエラーがいると思ったら、あの子ですわね」
アイリスが近づくと、リーナは目を輝かせる。
「あっ! アイリス様、久しぶり! ねえ、助けてよ! 私はアイリス様の元友達でしょ? アレクセイったら酷いのよ。お金がないからって、私を追い出して……。私、帝国で聖女として働いてあげてもいいよ?」
リーナは、これで勝ったと思っていた。なぜなら、自分には聖女の力がある。帝国も喉から手が出るほど欲しいはずだ、と。
しかし、アイリスは冷徹に事務官に尋ねた。
「彼女の魔力測定結果は?」
「はっ。光属性の魔力は保有していますが、魔力量は『一般魔術師の10分の1』。治癒能力も『切り傷が少し早く治る程度』です。帝国基準では『Fランク(見習い以下)』です」
事務官の報告に、リーナが顔を真っ赤にする。
「な、何よ! 王国ではチヤホヤされたわよ!?」
「それは王国全体の魔力水準が低く、かつ『聖女』というブランドに王族が騙されていただけです。帝国には貴女より優秀な治癒術師が五千人以上います。貴女の市場価値は、残念ながら『雑用係』と同等ですわ」
「う、嘘よ……」
「ですが、慈悲は与えましょう」
アイリスは一枚の羊皮紙を差し出した。
「北の鉱山で作業員の怪我を治す仕事があります。衣食住は保証します。ただし給与は成果報酬制。働かなければ食事はありませんわ」
「こ、鉱山!? そんな泥臭いところなんて嫌よ!」
「嫌なら王国へお帰りください。あちらでは今頃、飢えた民衆が『聖女の救済』を求めて暴動を起こしているそうですが?」
リーナが青ざめる。帰れば国民の怒りの矛先が自分に向くことは明白だった。
「や、やります……。やらせてください……!」
「契約成立ですね。連れて行きなさい」
項垂れたリーナが衛兵に連行されていく。その背中を見送りながら、アイリスは手帳にチェックを入れた。
「『聖女活用プロジェクト』完了ですわね。さて、次はアレクセイ殿下の『再利用』について考えませんとね」




