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136話 各々の思惑


 三百年前、御剣家は鬼門を守るためにふたつの拠点を築いた。


 鬼門に入ろうとする者を防ぐ城 柊都しゅうとと、鬼門から出ようとする者を防ぐ砦 南天砦なんてんさいである。


 ひいらぎ南天なんてん、いずれも鬼が嫌うとされる植物であり、この名付け方からも当時の御剣家が鬼人族を強く敵視していたことがうかがえる。


 以来三百年。ふたつの拠点は不落を誇っており、御剣家は鬼門守護の任を完璧に果たしてきた。


 だからこそ、先ごろ柊都しゅうとの城壁に大穴をあけられた一件は御剣家にとってぬぐいがたい屈辱となっている。結果として魔物も鬼人も退け、民の犠牲も出なかったとはいえ、あの一件で御剣の武威にきずがついたことは疑いない。


 少なくとも、ゴズ・シーマはそのように考えており、次に鬼人族が攻めてきたときには目にもの見せてやろうと手ぐすねを引いている。


 そのゴズは今、南天砦なんてんさいの一室でひとりの旗士と向かい合っていた。


 ゴズより二十歳、いや三十歳近く年長の老旗士の名はモーガン・スカイシープという。ゴズは年長の先達に敬意を込めて一礼した。



「ご無沙汰しております、モーガンろう


「うむ、久しいな、司馬しば殿。突然おしかけてあいすまぬ」



 モーガンはそう言って年下のゴズに丁寧に一礼する。


 初代剣聖の時代から続く名門スカイシープ家の当主であり、かつては第六旗の旗将きしょうを務めたこともあるモーガンだが、おごりとは無縁の闊達かったつな人柄は今も昔も変わらない。


 すでによわい六十を超えて七十に近づきつつあるが、背筋はまっすぐに伸び、語調もはきはきとして淀みなく、実に矍鑠かくしゃくたるものである。


 頭を上げたモーガンはゴズに対して真剣な表情で話しかけた。



「実は司馬殿にうかがいたいことがあっての。少々時間を拝借したいのじゃ」


「それがしに聞きたいこと、でござるか? モーガン老のお頼みとあらば否やはございませぬが、何についてでござろう?」


「近頃の御館様のなさりようについてよ。ベルヒ家に甘すぎはせぬか」



 それを聞いたゴズは、思わず、という感じで眉根を寄せる。


 モーガンは即座にそのことを見抜き、重い声で続けた。



「先ごろクライアが起こした島抜けの一件、詳細はもちろん司馬殿もご存知であろう」


「は、存じております」


「クライアとクリムトのふたりを死地に追いやったベルヒの策謀、目に余る。ふたりはベルヒ家の養い子ではあるが、御剣家の旗士でもあるのだ。たとえギルモアめがふたりの親であろうとも、ほしいままに命を奪う権利などない」



 憤りを込めてモーガンは断言する。


 モーガンは過去の出来事からギルモアやベルヒ家を敵視しているが、今回の一件に関してはそういった因縁を抜きにしても座視できないと考えていた。



淑夜しゅくや殿は此度こたびの件について、あのふたりを利用して先のおん曹司ぞうし――そら殿を島におびき出す策謀であろうと言っておった。わしも同感じゃ」



 先の柊都しゅうと襲撃以降、御剣家の家中ではそらの器量を見直す声があがるようになった。その声はまだ大きなものではないが、無視できるほど小さくもない。


 空が御剣家に帰参すれば、ふたたび嫡子の座に、という意見も出てくるだろう。それはラグナと昵懇じっこんのベルヒ家にとっては面白くないことである。



「それゆえ、ギルモアめはクライアたちを助けんとする空殿の情を利用して鬼界に送り込んだ。自らの手を汚さずに空殿を始末するために、じゃ。空殿だけではない。同行者にウルスラを選んだのも、ウトガルザの血族を葬って司寇しこうの座を独占しようという欲心あってのことに相違ない。わしはそのように考えておる」


「……おそらく、モーガン老のおっしゃるとおりでござろう」



 ゴズは重い口調で賛意を示した。


 モーガンは忌々しそうにかぶりを振る。むろん、その感情は眼前のゴズに向けられたものではない。



「ギルモアめが野心で動くのは今に始まったことではない。これまでも彼奴きゃつは権勢を握るためにあの手この手で対立する者たちを押しのけてきた。じゃが、此度こたびの一件は明らかに度が過ぎておろう。彼奴きゃつの野心のために若い命が失われることなどあってはならぬのじゃ。司馬殿、御館様はなにゆえギルモアめを好きにさせておる?」



 モーガンの問いにゴズは答えられなかった。


 モーガンの疑念はゴズ自身が抱えている疑念でもある。これまでもゴズは何度か主君に真意を問うたが、式部から答えが返ってくることはなかった。


 それでもゴズなりに調べたこともある。ゴズはモーガンに低い声で告げた。



「御館様の真意は正直なところ分かりませぬ。ですが、此度こたびの一件を司徒ギルモア殿に献策したのは我が旗将であったと聞き及んでおりもうす」


「旗将――ディアルト殿がか?」



 モーガンは虚をつかれたように目を丸くした後、眉間に深いしわを寄せた。



「ますますせぬ。ディアルト殿は諸事に冷厳な御仁だが、父親とは違って小細工とは無縁のお人柄。義理とはいえ弟妹ていまいを死地に送り込むような策を献ずるとは思えぬ」


「は。それがしもモーガン老と同じ意見でござる。ゆえに、誰ぞ旗将の耳に策謀を吹き込んだ者がいるのではないか、と」


「ふむ……ディアルト殿を通じてギルモアめを動かそうとした何者か、であるか。ベルヒ家にすりよる追従ついしょうものはいくらでもおろうが、ディアルト殿が口先だけの小策士に耳を貸すとは思えぬ。ディアルト殿が認めるほどの人物で、此度こたびの策を考えつく者がおったかの?」



 モーガンは腕を組んで考え込む。


 ゴズはまたしてもモーガンの問いに答えられなかった。ゴズとてディアルトの裏に誰かがいると確信しているわけではないのだ。


 ただ、この仮説を思いついたとき、反射的に脳裏に思い浮かべた人物はいた。



 ――旗将を動かしたのが御館様であれば、あらゆる疑問が氷解する。



 主君から命令を受けたのであれば、ディアルトがつねの彼らしからぬ策をギルモアに献じたこともうなずける。式部がギルモアの動きを黙認したことについても同様だ。ギルモアが動くよう仕向けたのは式部なのだから、あえてギルモアを止める理由がない。


 また、空たちが鬼門をくぐってもうじき一月ひとつきつ。この間、空やクライア、クリムト、ウルスラの捜索ないし救出を望む旗士は少なくなかった。ゴズはもちろんのこと、ウルスラの上役である淑夜しゅくや、クライアの上役である五旗の旗将副将、クリムトの上役である七旗の旗将副将、さらにモーガンや、モーガンの孫であり黄金世代の一角であるシドニー。ラグナやアヤカ、さいらも同期生たちを助けるべく名乗りを上げていたのである。


 だが、式部はこれらの請願をすべて退けた。


 あたかもベルヒの傀儡かいらいとなったかのような当主の態度に、多くの旗士が戸惑いを禁じ得ずにいるが、これもまた式部が黒幕であれば説明がつけられる。式部にとって空たちを鬼界に追いやった今の状況は予定どおりなのだ。捜索も救出も許可するわけがない。


 問題は空たちを鬼界に追いやった式部の目的であるが、これについてもゴズは一応の見当をつけていた。


 ――空殿を鍛えんがため。そう考えれば御館様のなさりようは得心がいく。


 幻想種をも打ち倒す空の力はすでに大陸でも屈指のもの。今よりもさらに力をつけようと思えば、鬼界に送り込むのが最も早道であろう。


 とはいえ、今の空が式部やゴズの言葉に耳をかたむけるはずもない。だからベルヒの姉弟を利用した。


 もうひとりのウルスラについては、おそらく鬼界の案内役であろう。式部は空を鍛えたいのであって野垂れ死にさせたいわけではない。だから鬼界に慣れたウルスラを同行させたと考えれば辻褄つじつまは合う。


 空が南天砦なんてんさいの近くで鬼人ドーガと激闘を繰り広げていたときも式部は動かなかった。あの鬼人の力はゴズから見ても脅威の一語に尽きる。あのとき、八旗を動かして空に加勢すれば、あの鬼人を討ち果たすことも不可能ではなかっただろう。


 滅鬼めっき封神ほうしんの掟に従うならば動くべきだった。否、動かなければならなかった。だが、式部は動かなかった。あれも空を鍛える試練の一環だったからではないか。ゴズにはそのように思えてならなかった。


 ……もっとも証拠は何もなかったし、仮に証拠があったとしても、式部の意向に背く意思がゴズにない以上、いかなる証拠も意味を持たない。


 モーガンとゴズは互いに難しい顔で考え込む。ややあってモーガンが大きく息を吐き出したのは、胸の中にため込んでいた重苦しいものを少しでも吐き出したかったからであろう。



「そういえば、ご存知かな? 司空しくうが役職をしたがっておる」



 司空とは四卿のひとつであり、主に治水、土木をつかさどる役職である。司馬であるゴズにとっては同格の同僚といえる。


 ゴズはわずかに目を見開き、かぶりを振る。



「司空殿が、でござるか? 存じませなんだ」


「あれももうじき六十になるからの。柊都しゅうとの城壁修復を終えたら御館様に辞意を伝える心づもりだと言うておった。司空として、城壁を割られて民を危険に晒したことに責任を感じておるようじゃ」


「あれは敵が一枚上手であっただけのこと。司空殿の責任ではござるまい」



 ゴズは眉根を寄せながら言う。責任というなら、それこそ軍事をつかさどる司馬の責任の方が大きいだろう。


 ゴズがそう言うと、モーガンは憂い顔でうなずいた。



「わしもそう言うたのだが、心は決まっておるようじゃ。後任が誰になるかはわからぬが、ギルモアめがベルヒの人間を押し込もうとするのは確実であろう。それだけではない。今しがた司馬殿が言うたように、司空が先の戦いの責任をとって辞するのなら、司馬もまた同様に身を処すべし、などと言い立てて司馬殿の失脚まで画策しかねぬ」


「たしかに、十分にありえることでござる」


「司馬殿、そのように暢気のんきに構えていてもらっては困る。司空と司馬がそろってギルモアめの息のかかった者に交代すれば、四卿はすべてベルヒ家によって占められることになる。このようなことは御剣家の歴史上、一度としてなかったことじゃ」



 モーガンの言葉は切実な危機感に満ちていた。


 この危機感には理由がある。モーガンの見るところ、ギルモアの野心は御剣家のみにとどまるものではない。御剣家は初代剣聖以来、対外戦争において「侵さず、侵させず」を旨としてきたが、ギルモアはこの原則を破ろうとしているように見えるのだ。


 つまり、ギルモアは青林旗士を用いた侵略戦争を企図きとしている。そうすることでアドアステラ帝国における御剣家の地位を高め、帝国における権勢をも手に入れようとしているのではないか。このまま事態が進めば、青林旗士はギルモアの野心のために兵として駆り出されることになりかねない。モーガンはそのように考えており、その未来を真剣に危惧していた。



「ベルヒ家とクィントス家が密かに会合をもったとも聞いておる」


「クィントス家……なるほど、ゼノンですか」



 ゴズが口にしたゼノンとは青林第三旗の旗将きしょうの名である。


 ゼノン・クィントス。ゴズと同年の旗士であり、御剣ラグナの傅役もりやくでもある。クィントス家自体は新興で歴史も浅いが、ゼノン個人の武名は高く、青林旗士の中ではディアルト、淑夜しゅくや、ゴズに次ぐ第四位と目されている。


 当人は己の武勇はゴズに劣るものではないと自負しており、ゴズに対して挑むような視線を向けることが何度かあった。


 ラグナの信頼も厚く、ラグナが当主の座に就けば、ゼノンが新たな司馬に任じられることはほぼ確実であろう。


 ゴズ自身は司馬の職に執着はないので、罷免ひめんされるのはかまわないと考えている。もとより、空の傅役もりやくだった自分をラグナが重用するはずもないとわかっていた。


 だが、どうやらゼノンはラグナが当主になるまで待てないらしい。あるいは、ゴズがそらを嫡子の座に戻そうと画策すると考え、ラグナのために先手を打とうとしているのかもしれない。


 モーガンは言う。



「ゼノンは必ずしもギルモアめに好意的ではないが、ラグナ殿をようしている以上、ベルヒ家とは一蓮いちれん托生たくしょうじゃ。次の司空はベルヒ家、次の司馬はクィントス家、そういう約定を結んだのかもしれぬ。四卿がすべてラグナ殿支持で結束すれば、仮に空殿が帰参したとしても嫡子の座は盤石じゃからの」


「なるほど。しかし、ゼノンが司馬になれば、旗将きしょうの座を辞する必要がござる。それについてはどう考えているのでござろうか」



 御剣家の御前会議で発言権があるのは四卿と各旗の旗将きしょう、副将のみ。それゆえ、四卿と将の兼任は認められていない。


 ゴズの言うとおり、ゼノンが司馬になれば三旗の旗将きしょうの座が空くことになる。


 モーガンはうなずいて言葉を続けた。



「そのときは副将のルキウスが昇格し、空いた副将の座にラグナ殿が座るのではないかな。ルキウスはまだ二十をいくつか出たばかり。少々若いが、父であるゼノンゆずりの武勇は旗将きしょうとして恥ずかしからぬものじゃ。他の将たちも反対はするまい。ラグナ殿にしても、二十歳になる前に第三旗四位に登りつめた俊英。奥伝おうでんである八卦はっけをひとつでも身に付けることができれば、副将の席に座るのに不足はない」



 青林八旗の副将の座に就く条件はいくつかあるが、その条件のひとつは「けんしんそんかんごんこんの型のうち、少なくとも一つを扱えるようになること」である。


 ゼノンやギルモアの動きを見るに、もしかしたらすでにラグナは奥伝を修めているかもしれぬ、とモーガンは思った。


 先の襲撃で鬼神に深手を負わされたラグナは、傷が治るや否や、何かに憑かれたように修練に打ちこんでいると聞いている。


 もともとラグナの才は黄金世代でも上位に位置していた。敗北の苦渋をかてに実力を磨き上げれば、奥伝を修めることも十分に可能であろう。


 ――そこまで考えたとき、不意にモーガンは背後を振り返った。


 老旗士の視線の先には部屋の扉がある。モーガンは怪訝そうに右の眉をあげて口をひらいた。



「なにやら外が騒がしいの。何かあったようじゃ」


「そのようですな」



 ゴズは立ち上がって窓から外を見やる。すると、幾人かの旗士が興奮したように言葉を交わしているのが見て取れた。


 南天砦なんてんさいに詰めている兵は青林第一旗の精鋭である。その彼らが声を高めているのだから、変事が起きたのは間違いあるまい。


 ゴズは状況を確かめるべく、モーガンに断って部屋を出ようとした。千を超える鬼人の軍勢が南天砦なんてんさいの東に現れたのはつい一月前のこと。軍勢は空たちと共に東へ去り、以来鬼人たちに動きはなかったが、一月後の今、再び動き出したのかもしれないと考えたのである。


 しかし、ゴズが部屋を出るより先に室内にノックの音が響いた。


 ノックに続いて鈍色にびいろの髪と浅黒の肌の旗士が室内に入ってくる。旗士はゴズたちを見て安堵したように微笑んだ。



「司馬もモーガン老もこちらでしたか。無駄足を踏まずに済みました」


淑夜しゅくや殿。何か変事が生じたようですな」


「はい。変事も変事。これ以上の変事はなかなか起きないであろうと僕が確信するくらいの変事です、モーガン老。事によったら御剣家が割れることになるかもしれません」


「なんと!?」



 それを聞いたモーガンは、思わずゴズと顔を見合わせた。


 淑夜しゅくやは穏やかで真面目な人物だ。時に茶目っ気を見せることもあるが、主家が割れるかも、などという不敬極まることは、たとえ冗談でも絶対に口にしない。


 だが、淑夜しゅくやはそれを口にした。つまり、事実か否かはさておき、淑夜しゅくやがその可能性があると判断するほどの一大事が起きたということである。


 その一大事が何なのか、淑夜しゅくやは端的に告げた。



「砦の東門に先のおん曹司ぞうしが姿を見せました。鬼人族の少年を連れて中山ちゅうざん――鬼人の王国の使者を名乗っているそうです」



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