134話 天才
煌々と輝く金の眼、隆々と盛り上がる鋼の体躯。
身体の半ばを覆う体毛は夜の色であり、突き出た鼻と尖った耳は獣のそれだ。一方で、傲然と二本の足で大地を踏みしめる姿は人を思わせる。
天を衝くように額から生えた一本角。愉しげに吊りあがった口角からは鋭い牙がのぞき、短剣のごとき犬歯が口外に伸びている。
カガリの身体から現れたその存在を一言で言い表せば、狼男、になるだろう。
獣の獰猛さと人の狡知を兼ね備えた狼人。俺自身、過去に刃を交えたこともある。
だが、過去に戦った狼人と眼前の存在を同一視することはできなかった。それは子猫と人食い虎を同一視するようなものだ。
心装を出したドーガと比べても遜色ない迫力。対峙しているだけで、俺の方も自然と口角が上がってしまう。
――ただ、気になることもあった。
俺は浮き立つ心をおさえ、カガリと、カガリの背後に立つ狼男を見やる。狼男はおそらく同源存在であろう。饕餮、とカガリは呼んでいた。
俺が気になっているのは、カガリが心装を抜いたら饕餮が顕現したという事実である。
俺のように同源存在を武器として顕現させる武装型とは違う。ドーガのように同源存在を自分の肉体で顕現させる変異型とも違う。いかなる媒体も用いずに同源存在そのものを顕現させたカガリの心装は、俺がこれまで見たことのないものだった。
具現型とでも言うべき特異な心装。
饕餮の身長はカガリや俺よりもずっと高く、背丈だけならドーガに匹敵する。身体の厚みに関してはドーガほどではないが、筋骨隆々たる体躯は戦神の彫像を思わせる雄壮さをかもし出していた。
反面、よく目を凝らすと背後の景色が透けて見える。はじめは幻術の類かと疑ったが、カガリとは別個の勁を湧き立たせているあたり、単なる幻影ではありえない。
なんとも妙な心装だ。そう思った俺は、しかし、それ以上深く考えようとはしなかった。
「心装励起――喰らい尽くせ、ソウルイーター」
顕現させた己の心装を一閃させ、カガリに向けて構える。今は百の観察より一の実戦だ。戦えば否応なしに相手の特徴を知ることができるのだから、ごちゃごちゃ考え込む必要はないだろう。
そんな俺の内心を読んだようにカガリはニィっと唇の端を吊り上げた。
「それじゃあいくぜ!」
「応!」
吼えるようなカガリの声に、こちらも同等の声量で応じる。
次の瞬間、カガリが俺めがけて突っ込んできた。饕餮もほとんど同時に地面を蹴り、肉薄してくる。獣毛で覆われた狼面はまっすぐ俺を見据えており、その口元にはカガリと良く似た笑みが浮かんでいた。
カガリの攻撃方法はドーガと同じく拳闘――すなわち拳による殴打だった。
握りしめた拳の大きさはドーガと比べて大人と子供の違いがあったが、拳に込められた勁の密度は兄に優るとも劣らない。必然的に、繰り出された攻撃の威力もドーガに匹敵した。
右の正拳突きを心装で受けとめた瞬間、ガズンッッ!! と鉄槌を叩きつけられたような衝撃が伝わってきた。並の剣なら、この初撃だけで刀身がへし折れていたに違いない。
もちろん俺の心装が折れることはなかった。それに、先の戦いでドーガの拳を何十何百と受けとめた俺にとって、カガリの剛拳といえども十分に対処可能な攻撃である。俺は余裕をもってカガリの攻撃を受けとめることができるはずだった。
――ただし、それは繰り出された拳がカガリのものだけであれば、の話である。
心装でカガリの拳を受けとめた直後、饕餮もまた主にならうように拳を振るってきた。
饕餮が立っているのはカガリの真後ろ。ほとんどカガリに覆いかぶさるような位置取りである。そんな位置で拳を振るえば、俺を殴る前にカガリを殴り飛ばしてしまうだろう。
事実、饕餮の拳はカガリの後頭部をまともに捉えた――が、カガリが傷を負うことはなかった。黒狼の巨大な拳は、まるで実体のない幻影のようにカガリの身体をすり抜け、そのまま俺の心装に打ちつけられたのである。
「ぬおわっ!?」
奇術のごとき光景に驚いている暇はなかった。
カガリの拳打に優るとも劣らない衝撃が伝わってきて、思わず間抜けな声をあげてしまう。一人分だけなら受けとめることもできたが、間髪いれずに二人分の衝撃を叩きつけられては対抗できない。
一瞬で力の均衡が崩れ、心装が音をたてて弾かれた。
柄から手を離すことこそしなかったが、武器を弾かれた時点で俺の身体は隙だらけだ。すかさず一歩踏み込んできたカガリが、今度は左の拳で腹をえぐろうとしてくる。
俺はとっさに右膝をあげて腹部をかばった。
間をおかずに打ちこまれてくる左拳と右膝がぶつかりあい、互いの勁が軋みをあげる。
その瞬間、こちらの勁の守りをすり抜けるように、何かが膝の内側に分け入ってくるのを感じた。それが勁打、あるいは浸透勁と呼ばれる格闘術であることを、俺はドーガから教えられている。
勁をまとった拳を至近から打ちこむことで、敵の勁の防壁を無視して肉体を破壊する技。ドーガが使えるのだ、カガリが使えても何の不思議もない。まともに食らえば膝の骨を微塵に砕かれてしまうだろう。
これを防ぐためには、相手が勁打を繰り出した瞬間にこちらも勁を放出する必要がある。そうすることで相手の勁を相殺するのだ。これもまたドーガとの戦いで学んだことだった。
――そんなことを考えていた俺の視界に、またしても饕餮の不穏な動きが映し出された。
カガリと同じ体勢、同じ踏み込みからの左の拳打。腹部という狙いもまた同じ。
饕餮の位置は先ほどと同じくカガリの真後ろであり、その位置から俺の腹を殴ろうと思えば、どうしてもカガリの身体が邪魔になる。事実、これも先ほどと同じく饕餮の拳はカガリの背をたしかに捉えていた。
だが、同源存在の拳は幻のようにカガリの身体をすり抜け、俺の身体のみを正確に打ち据える。ご丁寧に饕餮も勁打を使用しており、相殺も追いつかなかった。
ぐしゃり、と膝の皿が砕かれる音がした。たぶん皿だけではなく、それ以外の骨や関節もまとめて粉砕されただろう。
さらに、腹部をかばうために片足立ちの状態になっていた俺は、カガリと饕餮、二人分の攻撃を受けとめた勢いに抗しきれず、砲弾のような勢いで後ろに吹き飛ばされた。
「ぐぅぅ!?」
激痛に揉まれながら地面と平行になって宙を飛ぶ。俺は歯を食いしばりながら空中で膝の復元を済ませると、地面に叩きつけられる寸前、空中に勁の足場を築いて無理やり体勢を立て直した。
このあたりはドーガとの戦いで慣れたもんである。
膝を砕かれて吹き飛ばされたはずの俺が両足で地面に着地したのを見て、カガリが感心したように口をひらいた。
「おお、ホントに一瞬で怪我が治せるんだな、空。二人分の勁打を一か所に浴びたんだ。膝がちぎれ飛んでもおかしくなかったってのに」
カガリが暢気に話しかけてくる。その背後には守護霊よろしく饕餮が悠然と立っていた。
俺はふんと鼻で息を吐いてから、睨むようにカガリを見る。
「二人分の勁打、とかいう恐ろしい言葉を当たり前のように使わないでくれ。なんなんだ、お前の心装は?」
通常攻撃が二回攻撃になる心装とかふざけるなよ。しかもカガリの場合、通常攻撃で勁打という致死性の凶手を繰り出してくるから始末に負えない。感覚的にはカガリとドーガを同時に相手どっているようなもの――いや、もっと性質が悪いか。
カガリの後ろに立っているのが本物のドーガであれば、カガリと同時に攻撃すると同士討ちの危険があるので、攻撃の威力や仕掛けるタイミングはある程度制限される。
しかし、饕餮の攻撃はカガリを透過するので同士討ちは起こり得ない。結果、カガリは二対一で戦う利益のみを享受し、不利益を無視することができるのだ。
さすがにちょっと反則だろ、と文句を言いたくなった俺はきっと悪くない。
いやまあ、俺の魂喰いもたいがい反則じみているので、本当に文句を言うつもりはないけれども。ちなみに初撃でカガリの拳と打ち合ったとき、魂喰いは発動しなかった。カガリはドーガと同様、勁の守りで魂喰いを防いでのけたに違いない。
これでドーガより十歳下というのだから信じられん。天才、という単語が自然と脳裏に思い浮かんだ。
なお、その天才殿は俺の言葉を聞いて嬉しそうに饕餮の腕をぺしぺしと叩いた。カガリは饕餮に触れられないはずだから叩いたふりをしたのだと思うが、もしかしたらカガリの意思次第で触れることもできるのかもしれない。
「へっへー、すごいだろ? かつて四凶と呼ばれた四柱の悪神の中の一柱、名は饕餮。大いなる蚩尤と最も近いと言われる俺の同源存在だ!」
自慢げに鼻の下を指でこする仕草は少年のそれだが、カガリたちから湧き出る勁の濃密さは鬼ヶ島で遭遇した鬼神以上だ。つまり、カガリの心装はどれだけ小さく見積もっても鬼神二柱分の力を有していることになる。たぶんあのときの鬼神は蚩尤としては不完全な状態だったのだと思うが、それを差し引いてもカガリの強さは言語に絶した。
……いや、それ心装じゃなくて空装の間違いでは? たしか以前、ゴズは同源存在の力をすべて引き出したのが空装だと言っていたが、心装の時点で同源存在そのものを顕現させたカガリは、いったいどんな空装を会得しているのだろうか。
俺は背筋に冷たいものを感じながら問いを重ねる。
「同源存在をそのまま顕現させる心装なんて聞いたことがないが、鬼人族ではめずらしくないのか?」
「いや、俺以外に同じような心装を使うやつは知らないな。ハクロ兄いわく、愛し子が千人に一人の才だとすれば、俺のは十万人に一人の才だ、とか何とか。大げさだと思うけどな」
カガリはそう言ってからからと笑ったが、その笑いは長続きしなかった。
ややあって笑いを収めた中山の王弟は「ま、才があろうとなかろうと、俺のやることは変わらない」とつぶやくと、一転して真剣な表情になる。そして、これまで聞いたことのない口調で語り始めた。
「我は中山の王弟カガリ。中山王の振るう剣の切っ先なり。我が使命は武の高みに至り、すべての同胞を煉獄より解き放つこと」
静かに宣言して構えをとったカガリは、ここでいつもの不敵な笑みを浮かべた。
「鉄は熱いうちに叩くのが良く、死合は強いやつとやるのが良い。さあ、続きといこうぜ、空!」