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第五十八話 巨獣の王


 肉眼でベヒモスをとらえたとき、最初に脳裏をよぎった思考は「でかい」だった。


 ソウルイーターの記憶で見たベヒモスを(いちとするなら、このベヒモスは十くらいありそうだ。たとえて言うなら巨獣の王(キングベヒモス)といったところか。


 ティティスの森で戦ったヒュドラもかなりの大きさだったが、眼前にいるベヒモスとは比べるべくもない。


 それだけの巨体が月明かりに照らされて砂の大地を踏みしめる姿は、実に幻想的――と言いたいところだが、実際に俺の目にうつる光景は子供の悪夢もかくやという代物だった。


 ベヒモス自体はさいの重厚感と獅子の勇壮さを兼ね備えた優美な体躯をしている。だが、その身体にたかっている砂漠の魔物たちが、重厚感も雄壮さもだいなしにしているのだ。


 連中がベヒモスの上で波打って動く姿は、動物の死骸しがいに張りついた蛆蟲うじむしか、さもなくば獲物に襲いかかった軍隊アリを思わせる。


 実をいえば、はじめは飢えた魔物がベヒモスと戦っているのかと思ったほどである。だが、ベヒモスの咆哮と同時に魔物たちが俺に向かってきたことで、その考えは否定された。


 どうやらベヒモスと魔物の群れはある種の共生関係にあるらしい。魔物たちはベヒモスの血肉を喰って飢えをしのぐ。そのかわり、ベヒモスに危険が迫ったらこれを守る、というような。


 先ほど魔物の大群をつぶしたときの疑問――これだけの数の魔物がどうやってエサの少ない砂漠で生きのびることができたのか――の答えが眼前にあった。



「ベヒモスを仕留めたら、こいつらも片付けないとな」



 別に難しい話ではない。氷槌ひづちの二、三発も打ち込めば片付けることができるだろう。あの技を使うと魂を喰えなくなってしまうが、これは仕方ない。ベヒモスを失って飢えた魔物たちが、ベルカや各地のオアシスを襲うような事態になったら最悪だ。危険の芽は未然に摘んでおくべきだろう。


 ところで、もし今の俺の考えをベヒモスが知ったら、さぞ怒り狂うに違いない。なにせ俺は秩序の担い手を自称するベヒモスを、はや倒した気になっているのだから。俺が向こうの立場でも怒る。


 しかし、単純な事実として、俺は眼前の幻想種を障害とも脅威とも認識していなかった。特に肉眼で姿をとらえてからはそうである。


 確かにこのベヒモスは大きい。大きいということはそれだけで武器だ。城を思わせるあの脚に踏みつけられれば、けい多寡たかを問わずにぺしゃんこにされてしまうだろう。


 くわえて、防御面でもあなどれない。ベルカの城壁よりもはるかに分厚い筋肉や贅肉は、それ自体が防壁となって攻撃を阻む。仮に攻城兵器で攻撃しても、ベヒモスの巨体はびくともしないに違いない。


 繰り返すが、確かにベヒモスは大きい。大きくて厄介な相手だ――が、何事にもほどというものがある。


 大きすぎるのだ、この幻想種は。


 昔、母さんに聞いたおとぎ話の一つに、指くらいの大きさに生まれた主人公が、旗士きしを目指して旅に出て、鬼を倒して夢をかなえるという話があった。あの主人公は自分の小ささを利用して鬼の体内に入り込み、身体の中から鬼をやっつけていた。


 ソウルイーターの記憶でベヒモスを見てからこちら、俺は対ベヒモスの戦法としてこれを温めていた。そして、巨獣の王(キングベヒモス)の姿を確認した時点で成功を確信した。だから、この敵に対して恐怖も脅威も感じない。



「そちらに勝機があったとすれば、最初の一撃を放つまでだったな」



 もし、ベヒモスが最初から最大出力で、なおかつ極限まで威力を収束させて星の息吹ブレスを放っていたら、俺はここに立っていなかっただろう。少なくとも無傷ではなかった。


 そんなことを考えつつ、宙を蹴ってベヒモスに迫る。


 ベヒモスは先の咆哮によってひらいた口をいまだに閉じきっていない。そして、接近してくる俺への反応も鈍い。これもまた図体がでかすぎるゆえの欠点だろう。


 幸い、ベヒモスの頭部には魔物がほとんどいなかったので、あっさり口内に入ることができた。察するに、このあたりの魔物は俺に浴びせていたブレスの余波で吹っ飛んだのだろう。


 口内に侵入した途端、むせるような悪臭と、ぬめるような湿気が身体を包みこんだ。視界にうつるのは無数の乱杭歯らんぐいば、ヒルのようにうごめく巨大な舌、そして不気味な収縮を繰り返す肉、肉、肉。それらすべてが血の色で染まっていた。


 奇怪というべきか、醜怪というべきか、なんともおぞましい光景である。まあ自分で飛び込んだ以上、文句をいうのはお門違いであるが。


 ふと思ったが、この不気味な収縮は再生活動の一環なのかもしれない。先のブレスの高熱で焼けただれた口内の肉が幻想種の魔力で回復しようとしている――そう考えれば、あたりが血の色に染まっている説明もつく。


 洞窟じみた大きさの口内を駆け足で奥へ奥へと進んでいくと、こちらの狙いに勘づいたのか、ここでベヒモスが再び吼えた。ただ、最初の咆哮とは響きが違う。憤怒と不快と驚愕と、そういったものを複雑に溶け合わせた声だった。若干、悲鳴の色合いもあったかもしれない。


 口の中に入り込んだ異物を排除しようとして、ベヒモスの巨大な舌が迫りくる。応じて何度か斬りつけたが、体積が大きすぎてあまり効いている様子がない。少しでも油断すると舌に押しつぶされてしまいそうだ。


 やむをえず目標を変更。舌ではなく歯と歯の間に心装を突き立てることにした。ぐりぐりと刃を動かして傷口をえぐるのも忘れない。自分がやられたら嫌なことをやるのは戦闘の基本である。


 しかし、残念ながらこちらもあまり効果がなかった。自分の身体を魔物たちに食わせていたところから察するに、ベヒモスには痛覚が存在しないか、あったとしても極度に鈍いのかもしれない。


 思えば、ヒュドラにもそういう傾向があったように思う。


 となれば、ここは体内への侵入を優先するべきだろう。こちらを口内からはじき出そうとする舌をかわしつつ、俺はさらに先へと進む。


 痛覚があろうとなかろうと、直接臓腑(ぞうふ)をえぐって命を刈り取ってしまえば問題ない。臓腑をえぐっても死なないなら、死ぬまで心装で斬りつけて魂を喰い尽くしてやればよい。


 幻想種の生命力は強大だが、決して不死ではないのだ。そのことはヒュドラを討ち取った俺が誰よりも承知していた。 



◆◆◆




 ――嗚呼呼呼呼呼呼あああああああ



 ベヒモスは混乱していた。驚愕していた。激怒していた。それらすべてを込めて、天地を震わせる咆哮を放った。


 かつて感じたことのない不快感がベヒモスを襲っている。


 敵に体内に入り込まれたのは初めてではない。相手は霊長であったり妖精であったりしたが、いずれの試みも失敗に終わった。当然である。羽虫が獅子の身体に入り込んだところで何ができよう。


 ベヒモスは貪婪たんらん、暴食の化身。秩序の敵を喰らう世界の理。


 これまでも悪魔を宿した妖精を噛み裂き、飲み下し、消滅させてきた。相手が竜を宿した霊長にかわったところで結果は変わらぬ。口内に飛び込んだあの霊長はみずから死を選んだに等しい――そのはずなのに。



 ――止めよ、止めよ、止めよ!



 敵の動きは止まらない。縦横無尽に、傍若無人に、ベヒモスの体内を斬り裂き、突き刺し、薙ぎ払って進み続けている。


 胸奥からはいのぼってくる不快感に耐えかねたベヒモスが思わず口をあける。すると、赤黒い液体が噴水のごとく吐き出され、砂漠の夜に悪臭と汚濁の虹がかかった。


 べちゃべちゃと汚らしい音をたてて砂漠にまき散らされたのは、ベヒモスの血と体液がまざりあった液体である。魔物の一部が水分と栄養をもとめてそれに群がっていく。


 その後も続けざまに衝撃が体内で弾け、ベヒモスはぶるぶると身体を震わせた。全身をさいなむ不快感は、今や幻想種をもってしても耐えられない域に達しつつある。


 このままでは滅びてしまう。予感を超えた確信に突き動かされて、ベヒモスは吼えた。



 ――愚かなり! 愚かなり! 己が所業の意味を理解しているのか、霊長にんげん



 その叫びは、もしかしたら体内の敵に届いたのかもしれない。というのも、直後、まるでベヒモスを嘲弄するように続けざまに臓腑がかき回されたからである。


 摩耗まもうしきっていた痛覚を覚醒させるほどの激痛が、ベヒモスの全身を貫いた。


 身体が跳ね、体勢が崩れる。ベヒモスはそのまま横転した。遠くベルカの城壁を揺るがせるほどの衝撃が砂漠を駆け抜ける。


 転倒した側に張りついていた魔物の多くが下敷きになって死んだが、それをなげく余裕はすでにない。ベヒモスはその巨体ゆえに、一度体勢を崩してしまえば立ちあがるのも容易ではない。うなり、もがくだけで精一杯だった。


 もっとも、たとえ立ち上がれたとしても、すぐに再び倒れる羽目になっていただろう。体内の敵はすでにベヒモスの心臓を――命の源を指呼しこの間にとらえていたからである。




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