第五十七話 星穿つ螺旋
ウィステリアに告げたとおり、きっかり十数えた後。
「今だ!」
ベヒモスの放つ息吹が十分に収束したと見なした俺は、張っていた防壁に角度をつけて敵の攻撃を逸らしにかかった。
同時に、ウィステリアに声をかけて行動をうながす。褐色のエルフは「はい!」と応諾の返事を寄こした後、弾かれたように動き出した。クラウ・ソラスに乗り、ブレスの影響が少ない場所を選んでリーロオアシスに向かって飛んでいく。
その間、俺は慎重に防壁を維持し続けた。もし、わずかでもベヒモスがウィステリアたちを狙う気振りを見せたら、即座に動かなければならない。
しかし、幸いというべきだろう、ベヒモスのブレスが軌道を変えることはなかった。
狙いを俺にしぼっているのか、あるいはそれ以外の理由があるのか。どうあれ俺にとって好都合なことにかわりはない。これで何の憂いもなく戦闘に集中できる。
敵の攻撃のせいで砂漠の砂が溶け、あたり一面が火山の火口のごとき有様になっているが、これはパズズと戦ったときのように空を走れば済む話。
ウィステリアたちが十分に距離をとったと判断した俺は、左手で防壁を維持しながら、右手に持っていた心装の切っ先をベヒモスに向けた。
可能であれば、このままベヒモスを攻撃して向こうの動きを掣肘したいところだが、さすがに地平の果てにいる敵を穿つ術はない。
ただ、少しの間ブレスを押し返す程度のことはできるだろう。その隙に一気に距離を詰めるのだ。
俺は鑽を放つべく意識を集中させた。鑽はヒュドラとの戦いで用いた勁技で、颯が飛ぶ斬撃だとすれば、鑽は飛ぶ刺突である。
威力をしぼったベヒモスのブレスは今や光の槍と化している。これを押し返すには、虚喰のような斬撃よりも鑽のような刺突の方が適しているだろう。
とはいえ、ただ鑽を放つだけでは芸がない。ここはひとつ、颯を虚喰に昇華させたように、鑽も俺流に改変してやろう。
幻想一刀流において鑽は槍にたとえられる。
俺はそこに回転のイメージを付け加えた。回転する巨大な槍――いや、螺旋だ。槍のように鋭く、螺旋のように回転しながら、敵を穿ち、えぐり、突き進む勁技。
防壁に注いでいた勁を新たな技の方にふりわけると、そのぶん防壁が薄くなってベヒモスのブレスに押し込まれたが、問題はない。すでにウィステリアとクラウ・ソラスはいないのだ、多少攻撃が後ろに流れてもかまわない。
そのまま限界まで勁を練り上げた俺は、全力で新たな勁技を解き放った。
「幻葬一刀流――強螺!」
◆◆◆
――嗚呼、嗚呼、嗚呼。
『それ』は――ベヒモスは声をあげていた。
驚き、怒り、悲しみ、戸惑い、そういった様々な感情が込められた声だった。
ベヒモスの放つ息吹は強力ゆえに周囲を巻き込まずにはおかない。口まわりの肉を食べていた魔物たちはとうの昔に骨ごと溶けた。顔まわりの肉を食べていた者たちも、打ち続くブレスの熱で次々に倒れていった。
悲しんだベヒモスは決着を急いだが、どうしたものか、敵は倒れない。ベヒモスのブレスはあらゆる盾を貫く必殺の矛。事実、ベヒモスはこれまで数多の敵をこれで葬ってきた。
その攻撃が効かない。いや、効かないどころか、これは――
――我が牙を退けて、この躬に迫り来るか、霊長。
疾風のように宙を駆け、あるいは砂の大地を疾駆して迫り来る者の姿に、ベヒモスはかすかに身体を震わせる。
再びブレスを放とうとするが、敵は一直線に向かってくるわけではなく、頻繁に動きをかえてベヒモスに照準を定めることを許さない。
いっそ視界すべてを薙ぎ払おうかとも考えたが、この相手に拡散したブレスが通じないのはすでに証明されてしまっている。
それに、これ以上ブレスを吐き続けるのは危険だった。ベヒモスが、ではない。魔物たちが、だ。
すでにここまでのブレスの余波で、ベヒモスの周囲は耐えがたいほどの高熱が渦を巻いている。頭部に密集していた魔物のほとんどは倒れ、胴や脚、さらに尾のあたりにいる魔物たちも高温で苦しんでいる。
さらなるブレスを放てば、すべての子が灼熱の中でのたうち回り、ついには溶けるように死んでしまうだろう。
大地の恵みにとぼしい砂漠で、これだけの命を育むまでどれだけの時を費やしたことか。それを思えば、ただ一人の敵を葬るためにすべての子を犠牲にするなどとうてい容認できぬ。たとえ相手が忌まわしき竜の臭いを放っていようとも。
魔物の母としてのためらい。それがさらに彼我の距離を縮めていく。
このとき、ベヒモスの胸中にかつて感じたことのない感覚が生じた。怒りに似た、けれど怒りとは異なる感覚。
ベヒモスの最大の攻撃手段はブレスであるが、それは同時に、ほとんど唯一の攻撃手段でもあった。
超長距離からの砲撃を可能とする移動砲台。それこそがベヒモスの本領であり、巨大な体躯はそれに特化した造りになっている。口は砲口、胴は砲塔、脚は砲座。それ以外の性能は付与されていない。
つまり、敵に懐にもぐりこまれると対応できないのである。
それでも恐れる必要はないはずだった。
対応できないといっても、それはブレスのような特別な攻撃ができないというだけのこと。巨体を利した体当たりや踏みつぶしはできる。さらにベヒモスの肉はベルカの城壁よりも分厚く臓腑を覆っており、人間が操る武具では表面を傷つけるだけで精一杯。致命傷を負わせるに至っては不可能といってよい。
事実、ベヒモスは千を超える年月をこの砂漠で過ごしてきた。いかなる存在もベヒモスを害することができなかったからこそ、それだけの長きにわたって砂の大地に君臨することができたのである――今日までは。
そう、今日まではそうだった。
むろん、明日からもそれは変わらない。変わるべきではない。否、変わってはならない。何故ならば。
――この躬は摂理の牙。世界を浄める箒星。我を除くは秩序を除くと同じこと。霊長よ、止まるべし。
ベヒモスは警告を放った。
幻想種の思念はそれ自体が無形の槌となって人間を打ち据える。並の人間であれば、この警告だけで精神を粉々に打ち砕かれていたかもしれない。
だが、むろんというべきか、この敵にそんなものは通じなかった。
「はじめましてというべきかな、獣の王」
その声は宙空より発せられた。
黒刀を構えたその者は、本来、人の身では留まり得ぬ場所でしっかと足を踏みしめ、傲然とベヒモスを見下ろしている。
「今の妙な声は幻想種の挨拶か? 世界を浄める箒星とは言い得て妙だが、さんざん一方的に攻撃しておいて、いまさら『止まるべし』はいただけないな」
それではまるで畏れているように聞こえる。
そういって人間は高々と黒刀を振り上げた。
「秩序の守り手を自認するなら、それにふさわしい振る舞いというものがある。ヒュドラのように逃げてくれるなよ、獣の王」
それはまごうことなき宣戦布告だった。はや勝利を確信した者の声。
その不遜を咎めるようにベヒモスが吼え、ベヒモスの身体に巣食っていた無数の魔物たちも動き出す。
戦いが始まった。




