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第十九話 鬼神


『あの鳥野郎を泰山公と呼んだってことは、かなり前から――へたすると初めからここにいたんだろ、お前?』



 そのさいの言葉が糾弾きゅうだんであることは明白だった。翻訳すれば「こそこそ隠れて様子をうかがい、美味しいところだけをかっさらって手柄顔するな」といったところだろう。


 この糾弾に対して言い返すすべは無数にあった。


 俺には御剣家の人間を助ける義務も義理もない。助けたことを感謝されるならともかく、助けに入るのが遅いと責められる筋合いはないのだ。


 さいの言葉を負け犬の遠吠えとして切って捨てることは簡単だった。弱者の八つ当たりとしてあざわらうこともできた。敗者の責任転嫁として俺の方がさいを糾弾することだってできただろう。


 ()()()()()、俺はそのいずれも選ばなかった。



「たしかにお前の言うとおり、俺は初めからここにいた」



 俺の知る九門くもんさいという人間は、心装ロンギヌスのようにねじれてとがった性格をしている。ここで居丈高に言い返せば向こうの思うつぼだ、と直感がささやいていた。


 その直感の正しさを証明するように、こちらの返答を聞いたさいは意外そうな顔で右の眉をくいっとあげた。反論も嘲笑も糾弾も返ってこなかったことが意外だったのだろう。



「へえ、案外素直に認めるんだな。で、こそこそ隠れてた理由はなんなんだ? ここにはお前の弟だっていたんだぜ?」



 さいはそういって皮肉っぽく唇の端をあげる。エマ様たちの耳に届くように声を張っているあたりが実にいやらしい。


 やはりさいは俺を挑発しようとしている。そのことを確信しながら、俺は一つ前とまったく同じ声音で応じた。



「理由はそちらの邪魔をしないためだ。お前とシドニーは黄金世代で、スカイシープ殿は元六旗の旗将(きしょう)。おまけに元一旗の上位旗士(きし)だったシーマ殿までいる。へたに手を出せば、かえって足手まといになりかねない」



 あざけりを交えず、侮蔑を見せず、淡々と問われたことに答えていく。


 そんな俺を見たさいが再び唇を歪めるが、今度のそれは苦笑に近かった。俺が挑発に乗ってこない、と悟ったようだ。


 おそらく、さいは先刻のラグナと同じように俺と鬼人の関係を疑っていたのだろう。


 俺はオウケン配下の鬼人を心装で殺す一方、肝心のオウケンは魔法で攻撃して致命傷を避けた。その上でエマ様たちを助けたわけだから、自作自演を疑う余地は確かにある。


 だから、さいはあえて俺の怒りをかきたてるような言葉を選んだ。俺を挑発して言葉たくみに情報を引き出すために。


 ラグナのように面と向かって詰問するのではなく、からめ手でくるあたりはいかにもさいらしかった。


 ――あらためて眼前の同期生を見る。


 こちらを見据えるさいの態度は飄々(ひょうひょう)としているが、眼差しは鋭い。


 褐色の肌に鈍色にびいろの髪。体型は長身ちょうしん痩躯そうくで、やや猫背気味な立ち姿は五年前とかわっていない。


 島にいた頃は「そら」という名前にひっかけて「からっぽ」呼ばわりされてずいぶんバカにされたものである。


 思い出すだに腹が立つが、当時の俺はろくに言い返すことができなかった。というのも、さいの言動は必ず相手を上回る修練と成果に支えられていたからだ。


 相手が自分以上に努力して成果を出していることがわかるだけに、当時の俺はさいに何を言われても、うつむいて押し黙るしかなかった。


 五年前の俺はシドニーとも距離を置いていたが、これはシドニー個人に含むところがあったわけではなく、シドニーがさいの親友だったからである。温和なシドニーを介しても関わりたくない――俺にとって九門くもんさいはそういう人間だった。


 だから、今回の帰郷でもかなりさいのことを警戒していた。ヒュドラとの戦いを経て、力では上回ったと確信していても、胸にへばりついた苦手意識は簡単に消えてくれない。父に対してそうだったように、ラグナに対してそうだったように、俺はさいに対しても密かなおそれを抱いていたのである――つい先ほどまでは。


 と、ここでさいが口をひらいた。槍の石突いしづき――穂先とは反対の部分――でこつこつと地面を叩きながら、俺の目を見返してくる。



「なるほど、なるほど。心装を会得して調子に乗っているだけってわけじゃなさそうだ。俺とろくに目も合わせられなかった奴がずいぶん成長したじゃねえか、そら



 その声はこれまでと同じようにねじくれていたが、言葉の表面に突き出たトゲは小さくなっていた。


 たぶん、それはさいなりの賛辞――いや、賛辞は言いすぎか。帰郷した俺への遅い挨拶あいさつみたいなものだった。どうやら、これ以上挑発を続ける気はなさそうである。


 祖父の手当てをしていたシドニーが、どこかほっとした眼差しでこちらを見ている。シドニーもさいの意図に気づいていたようだ。俺たちが不穏な空気を漂わせたら仲裁しようと身構えていたのかもしれない。


 場の空気が目に見えてゆるんだ。ここで俺が一言ひとこと二言ふたことふたりに声をかければ、さいやシドニーとの間に五年前とは違った関係を築けるかもしれない。少なくとも、そのきっかけくらいにはなるだろう。そう思った。



 ――まあ、そんなことをする気はさらさらないけれども。



 無言でさいから視線を外す。


 すでにさいに対する畏怖は失せている。過去の記憶から要注意人物と位置づけていたが、たかだか七、八人の鬼人にしてやられる旗士きしなど、畏怖はおろか興味も持てない。これはシドニーやモーガンについても同じことがいえる。セシルについては言わずもがな。


 ゴズのように空装の一つも見せてくれれば興味も持てるのだが、それも無しときては関心の持ちようがない。


 俺がさいの挑発を無視しなかったのは、一つにはエマ様に誤解されたくなかったから。そしてもう一つは――



「おのれ、おのれおのれおのれ、人間どもがあああ!」



 オウケンに対して不自然ではない程度に時間を与えるためである。


 鬼人は吼えるような怒声をあげ、ハーピーのごとく両翼を羽ばたかせて空高く舞いあがる。火炎姫の魔法で与えた傷はほぼ治っており、焼けただれたはずの両眼も再生していた。


 戦闘前に神がどうこう言っていたことから予想していたが、やはりオウケン自身が回復魔法の使い手だったようだ。


 空中からこちらを見下ろす鬼人の目には、溶鉱炉を思わせる灼熱の激情が渦を巻いている。


 次の瞬間、オウケンは大音声だいおんじょうで魔法の詠唱を開始した。



「『その頭に鬼角きかくあり、その身体に豹紋ひょうもんあり、その尻尾に蛇鱗だりんあり』!」



 それは聞いたことのない文言だった。かなりの上位魔法らしく詠唱が長い。


 ここで警告の声をあげたのはモーガン・スカイシープ――かつて六旗の旗将きしょうを務めた老練の旗士きしである。



「いかん、あれは第九(けん)の風魔法じゃ……奴め、このあたり一帯をまとめて吹き飛ばすつもりとみえる……!」



 シドニーに支えられたモーガンの声が震えていたのは傷の痛みによるものか、術式への畏怖によるものか。


 そうしている間にも詠唱は進み、オウケンの身体を取り巻く風は勢いを増していく。大気が悲鳴のようなきしみをあげ、雷鳴にも似た轟音が続けざまに耳朶を打った。



「『獣の咆哮、不止の誓約。赤楓せきふうの野に爪痕つめあとを刻め』」



 魔法が完成に近づくにつれ、オウケン自身のけいも膨れあがっていく。


 どうやらオウケンはけいによって魔法を強化しているらしい。鬼人の周囲では風が轟々と渦を巻いており、あたかも竜巻を身にまとったかのようだ。


 吹き荒れる風は地上にも押し寄せてきた。大のおとなが吹き飛ばされてしまいそうな強風に煽られて、父の妻妾さいしょうたちが悲鳴をあげている。



「『風雲を従えて走り、雷光を引き連れて駆けよ』」



 詠唱は精密。勁量けいりょうは膨大。先刻イブキをなぶっていたときとは比べものにならない。


 吹き荒れる風の向こうから喜悦に満ちた声が聞こえてきた。



「さあ、我が鳳翼ほうよくにて吹き飛びなさい! 『黒風絶影、千里の脚は地平を穿うがつ――黒飛廉こくひれん』!!」



 その瞬間、発動した魔法は確かに強大だった。


 第九(けん)とは系統魔法の到達点、すなわち最上位魔法である。それが鬼人のけいによって強化されているのだから、その威力は推して知るべし。


 ――だが、言ってしまえば、ただそれだけだった。



「ふん、この程度か」



 失望を込めて吐き捨てる。


 俺はかつてカナリア王都で第八(けん)の魔法を喰った。今のレベルはあのときの倍以上。今さら第九(けん)の魔法にひるむはずはない。


 魔法に上乗せされたけいも大した問題にはならない。


 オウケンのけいはたしかに強大だが、ティティスの森で戦った幻想種ヒュドラには及ぶべくもない。もっと言えば、空装を出したゴズにも届かない。その程度のけいが上乗せされたところで脅威をおぼえるはずがなかった。


 実際、解き放たれた第九(けん)の魔法はソウルイーターの前にあえなく屈した。無造作に放った俺のはやてとオウケンの魔法が空中で衝突するや、自然ならざる颶風ぐふうきしむような咆哮をあげて四散する。



「………………な」



 視線の先でオウケンが呆けたように絶句している。その顔をみるかぎり、やはり今のがオウケンの全力だったのだろう。せっかく切り札を出す時間を与えてやったというのに期待はずれもはなはだしい。


 俺は小さく舌打ちしたが、すぐに思考を切り替えた。


 まあいい。それならそれで、さっさとオウケンを斬って御剣邸に向かうまで。俺は再度ソウルイーターを振るい、空中にいるオウケンにはやてを放った。


 見えざる斬撃は宙を駆け、たやすくオウケンの右腕を断ち切る。片翼では飛行を維持できないらしく、鬼人が絶叫をあげて落ちてきた。


 その身体が地面に叩きつけられる寸前、俺は足にけいを込めて墜落地点まで駆けた。そして、片手でオウケンの身体を受けとめる。


 墜落死などされては魂を喰い損ねてしまう。それに、最後にいておきたいこともあった。


 無言でオウケンを地面に投げ落とす。落ちた瞬間、傷が痛んだのか、鬼人の口から大きなうめき声が漏れた。同時に、鳥を思わせる身体がみるみる人間の形に戻っていく。もう心装を保つだけの余力もないのだろう。


 ややあって、のろのろと上体を起こしたオウケンは、至近に俺の顔を見つけて表情をひきつらせた。何事か叫びながら、しりもちをついたまま必死の形相で後ずさる。


 むろん、そんなことで逃げきれるはずもなく、俺はソウルイーターの切っ先をオウケンの首筋に突きつけた。



「さて、泰山公。このままでは死はまぬがれないが、もう切り札はないのか?」


「…………い、いったい何なのですか、あなたは!? あなたのような人間がいるなど聞いていませ――」


「質問に答えろ」



 ソウルイーターの刀身を首筋に押しつける。刃が皮膚に食い込み、あふれた血がつつっと肌を垂れ落ちていく。


 ぴたりと口をつぐんだオウケンに再度問いを向けた。



「御剣の屋敷を攻めているのはお前の味方なのだろう? 幻想種に匹敵するあの力、お前は持っていないのか?」


「…………答えれば、見逃してもらえるのですか?」


「答えなければ殺すのは確かだな」


「……」



 オウケンは無言だったが、俺を見上げる目の奥では懸命に計算を働かせている。


 やがて何らかの答えにたどりついたらしく、オウケンはこちらの反応をうかがいながら口をひらいた。



「屋敷を攻めた者は蚩尤しゆうに命を捧げたのでしょう……同じことができるかと問われれば、できます。もっとも、私にその気はありませんがね……」


「それは何故だ? どうせ死ぬのなら、敵に一矢報いてから死んだ方がマシだろう」


「……すべての鬼人が蚩尤しゆう帰依きえしているわけではない、ということです……我ら鬼人は、望むと望まざるとにかかわらず蚩尤しゆうとつながっている。それを祝福として喜ぶ者もいれば、呪いとしてむ者もいるのですよ……」



 それを聞いた俺は、先刻のさいのように右の眉をあげた。ここまでの話を聞くに、蚩尤しゆうとは鬼神の名前だろう。鬼神をむ鬼人がいるというのは俺にとって驚きだった。



「察するにお前は後者なわけか」


「フフ……めぐし子は短命と相場が決まっています。何故だかわかりますか……? 蚩尤しゆうの力を受けとめるには、人の器は小さすぎるからです。我が父たる泰山王は、蚩尤しゆうの力に耐え切れずに狂死しました……」



 オウケンは左手で顔を覆い、荒い呼吸を繰り返しながら、かれたように口を動かし続ける。


 法衣をまとった身体は戦慄わななくように震えていた。



「私は……私はあんな死に方をするのはまっぴらです。ええ、まっぴらなのですよ……! だからこそ、光神教に身を投じてこの呪いを断ち切ろうと――その私が、ここで死ぬ? こんなところで死ぬのですか? 人間ごときに敗れて? フフ、フフフフ…………フフフフフフフフフフ!」



 音程のはずれた声で笑うオウケン。両の目は血走り、惑乱したような光がちらついている。明らかに正気を失いかけていた。


 よほどに俺に敗れたことが衝撃だったのか、父親の死に様がトラウマだったのか。あるいは出血の量が限界を超え、意識が混濁しはじめたのかもしれない。


 まだきたいことはあったが、これ以上は色々な意味でまずそうだ。


 と、そのとき、いきなりオウケンが吼えた。



「――誰か、誰かいないのですか!? カガリ様、イサギ殿! 私は……私はこんなところで死ぬわけにはいかないのです! 誰でもいい、誰か私を助けなさい!」



 その叫びは怒号であり、悲鳴であり、哀願であった。激情の極み、両眼の毛細血管が破裂して血の涙があふれ出る。


 オウケンの決死の叫びは柊都しゅうとの空を震わせ、聞く者の耳朶を激しく打った。


 むろん、こたえる声はない。オウケンの行動は、死を前にした悪あがき以上の価値を持たない。そのはずだった。


 だが、次の瞬間、状況が激変する。



「――――ッ!」



 彼方から殺到してくる気配を感じ取った俺は、とっさにその場から飛びすさった。


 間一髪の差さえなかっただろう。寸前まで俺がいた場所を一条の閃光がなぎ払う。ぼうっと突っ立っていたら、身体を上下に分断されていたに違いない。


 俺は素早く体勢をととのえながら、視線を正面に向けた。


 視線の先にいるのは、しりもちをついたままのオウケンと、そしてもう一人。いや、この場合はもう一柱ひとはしらというべきか。


 異形が立っている。


 三メートルに届く巨体。鉄柱のごとき四肢。両の目は鬼灯ほおずきのように赤く、大きく裂けた口からは無数の牙がのぞいている。


 人間ではありえず、鬼人でもありえない。さりとて怪物と呼ぶには威厳がありすぎる。


 鬼神――眼前にいるのがそう呼ばれる存在であることを、俺は確信した。



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