第十八話 一掃
凄まじい爆発音が立て続けに轟いた。俺の手を起点として乱れ咲く紅い蓮の数は、かぞえて十。
文字通りの零距離で炸裂した火炎姫の魔法は、当然のように俺の手も巻き込んだが、濃密な勁によって守られた皮膚は火傷ひとつ負うことはなかった。
「グギィ! ヒグ……ガッ! アギッ……ヒィ! ガ、ア! アアッ! ッ――! ――――ッ!!」
片手で宙吊りにされたまま、脳が沸騰しても不思議ではない焦熱の怒涛を顔面で受け止めるオウケン。爆発音が轟くたびに響き渡っていた絶叫も途中からは消えてなくなり、ただビクビクと身体を震わせるばかりだった。
十度の爆発が終わった後、嘴の先から喘鳴じみた呼吸を繰り返すオウケンを見て、俺は唇の端を吊りあげる。
「この程度でくたばってくれるなよ、泰山公とやら」
死ぬなら奥の手を出してから死ね。そう内心でうそぶく俺の視線は御剣邸の方角に向けられていた。
そちらからは、今この瞬間もビリビリと大気を震わせる強大な鬼気が伝わってくる。この島そのものを揺るがすほどの力の拍動は、先にティティスの森で戦った幻想種を想起させるものだった。
先刻、クライアの様子を確かめるべくベルヒ邸に潜入したときも、強大な力を感じてはいた。だが今、俺が感じている力はあのときとは比べものにならない。おそらく御剣邸を襲撃した鬼人が切り札を出したのだろう。
ゴズの空装のようなものか、あるいは鬼人特有の戦法があるのか。いずれにせよ、泰山公を名乗るオウケンが同様の切り札を持っている可能性は高い。
幻想種に等しい力を持つ鬼人の魂は、やはり幻想種に等しいはず。
そう考えたから、俺はオウケンが死なないように配慮した。己を指して愛し子と呼ぶような輩が、まさか何の変哲もない魔法で死ぬことはあるまいと、そう考えて。
ふん、と鼻で息を吐いてオウケンの顔から手を離す。鬼人の身体が重力に引かれて地面に倒れ伏す直前、俺は思いきり右足を振りぬいた。
「――ッ!!」
鉄靴の先端が深々とオウケンの鳩尾にめり込む。
もはや悲鳴をあげることもできず、オウケンの身体が宙を舞った。泰山公の身体は鞠のように地面を跳ねた後、巨木の幹に激突して停止する。
それを見届けた俺の耳にささやくような子供の声が響いた。
「……お、おじちゃん……?」
声の主は地面にへたりこんだ御剣イブキだった。
オウケンの拘束から解き放たれたイブキは、目に大粒の涙を浮かべて俺を見上げている。目の前にいる相手が先刻稽古をした人間と同一人物だと気づいたのだろう。
だが、具体的に何が起こったのかは分かっていない様子で、つぶらな目には怯えと恐れが見え隠れしている。俺に呼びかける声にも安堵はなく、思わず声を出してしまった、という感じだった。
助けに来たぞ、小さな剣士殿――そんな風に言えば格好がついただろう。俺との再戦の約束を果たす前に死んでもらっては困る、という台詞でも良いかもしれない。
だが、俺はそのどちらも口にせず、地面にへたり込んだイブキの奥襟をがしっとつかんだ。そして、猫の子を持ち上げるように強引に立たせ、エマ様がいる方向に軽く押す。
とと、とたたらを踏むように二、三歩進んだ後、イブキは戸惑ったように振り返り、かすれた声で言った。
「……母上……母上が」
イブキの母セシルは二人の鬼人によって地面に押し倒されたままである。母上を助けて――その意思は言葉によらずとも明白だった。
幼子の声なき懇願を受け、俺はあらためてこの場にいる旗士たちに視線を向ける。
過去に旗将を務めたモーガン・スカイシープはいわずもがな、シドニーと祭の二人は黄金世代の一角として令名高く、セシルもまたかつては第一旗に所属していた練達の旗士である。
滅鬼封神の掟を胸に戦う誇り高き旗士たち。
かつて仰ぐように見ていた者たちが今、無様に膝を屈している。こともあろうに不倶戴天の敵である鬼人に対して。
「…………はぁ」
腹を抱えて笑ってやりたいところだったが、実際に俺がとった行動は苦々しげにため息を吐くことだった。
あまりに無様すぎて笑う気にもなれない。かつての俺はこんな連中を畏れていたのかと思えば、不快さはいや増すばかりだ。
青林八旗の青い陣羽織をまとう旗士たちは、もっと揺るぎない存在であってほしいと心底思う。
別の言葉を用いれば――俺以外のやつにあっさりやられてくれるな。いつか見返してやろうと思っていた自分がバカみたいだろうが。
イブキには悪いが、俺はセシルたちを助けるつもりはなかった。
伏兵が待ち構えている場所に幼児妻妾を逃がしたのは剣聖の失態だ。剣聖から彼らを守るように命じられながら、無様に敗れたのは旗士たちの失態だ。
その結果、女子供が殺されたとしても、その責任を負うべきは剣聖であり、旗士たちであって、俺ではない。俺にはこいつらを助ける義務も義理もないのだ。
だから、助けてなどやらない。
「――心装励起」
だから、ここで心装を出すのはこいつらを助けるためではない。
では何のためかといえば、幻想種を喰うためである。この島では使うまいと思っていた心装だが、幻想種が出現したなら話は別だ。
正確にいえば「幻想種」ではなく「幻想種に等しい力を持った鬼人」であるが、まあ大した違いはあるまい。
とにかく、幻想種を喰うためには心装を出さねばならない。そして、どうせ心装を出すのなら喰べる魂の量は多い方がいいに決まっている。
眼前の鬼人たちの魂は大した量ではないが、幻想種を喰う前の前菜と考えれば悪くない。
幸い、七人全員が生きているしな。その意味ではただの一人も鬼人を殺さないでおいてくれた旗士たちに感謝しなければなるまい。
皮肉っぽくそんなことを考えながら、俺は心装を引き抜いた。
「喰らい尽くせ、ソウルイーター」
その瞬間、大気が吼えた。大地が揺れた。
ヒュドラを倒してからすでに一月以上。あのとき『25』だったレベルは『26』にあがっている。たかが一レベルと言うなかれ。俺の一レベルと他者の一レベルでは大きく意味が異なるのは、これまでくりかえし述べてきたとおりである。
ティティスの森でゴズたちと戦ったときよりも勁量は増し、勁技は冴え、勁圧は研ぎ澄まされている。数に劣る敵に人質を持ち出すような連中など敵ではない。
殺意を込めた視線で鬼人たちを一撫でする。
すると、こちらの殺気に感応したか、ここまで俺の勁圧によって押さえ込まれていた鬼人のひとりが動いた。先ほど背後から俺に躍りかかろうとしていた鬼人である。
鬼人は怪鳥のような声をあげて地面を蹴った。そのまま俺に襲いかかって来るかと思えば、向かった先は地面に倒れ伏したモーガン・スカイシープ。
老旗士の首筋に刃を押し当てた鬼人が甲高い声で吠えたてる。
「動――」
たぶん「動くな」と言おうとしたのだろう。その後で、一歩でも動けば老いぼれの首を刎ね飛ばすぞ、とか何とか続けようとしていたのではないか。
――当人の首が刎ね飛ばされた今となっては正解を知りようもないことだが。
ソウルイーターの黒い刀身が鬼人の血を吸って赤く濡れる。勁を用いた高速歩法で鬼人の後方に移動し、すれ違いざま首を切り落としたのだ。
一瞬の早業に鬼人たちの口から動揺の声があがる。連中の目には俺が瞬間移動でもしたように見えたのかもしれない。
直後、立て続けに悲鳴と苦悶の声が連鎖した。
「があ!?」
「ぐ――おのれ、人間ごときがァ!」
「ひ!」
声をあげたのはいずれも鬼人。ただし、連中を攻撃したのは俺ではない。
俺の行動をきっかけに動き出したのは鬼人だけではなかった。それまで押さえ込まれていた旗士たちも同時に動いていたのである。
シドニーの村雨が鬼人の首を薙ぎ、祭の聖人殺しは別の鬼人の胸を貫いた。セシルもまた己を取り押さえていた鬼人の顔を断ち割っている。
残った鬼人は一斉にその場を飛びのき、木の幹で倒れ伏すオウケンのもとに向かおうとした。主を守りつつ態勢を立て直そうとしたのだろう。
むろん、むざむざ見逃したりはしない。今になってしゃしゃり出てきた旗士たちのせいで、せっかくの前菜が半減してしまった。これ以上、あいつらに獲物をくれてやる理由は一つとして存在しなかった。
「母上ぇ!」
「イブキ!」
イブキが泣きながらセシルにすがりついたのは、七人の鬼人が骸になった後だった。セシルは駆け寄ってきた息子を優しく抱きとめ、エマ様はそんな二人を優しく見守っている。
その向こうではシドニーが祖父モーガンの手当てをおこなっていた。その他の妻妾たちも危機が去ったと判断したのか、明らかに安堵の表情を見せている。
俺はそれらの様子を確認してから、いまだ倒れたままのオウケンのもとに向かおうとした。
オウケンの言動を見るかぎり、あいつはずいぶんと配下を大事にしている様子だった。その配下を皆殺しにされたと知れば黙ってはいまい。持てる手札をすべて出して報復してくるはずだし、もし手札がないのであれば逃げ出すだろう。いずれにしても目を離すべきではなかった。
と、その俺の背に声をかけた者がいる。
「いやいや、助かった助かった。礼を言うぜ、空。ずいぶんとまあ強くなったもんだ」
声の主は九門祭。
言葉だけを聞けば祭は礼を述べていたし、俺を称えてもいた。だが、針のような眼光といい、皮肉げな口調といい、それらが上辺だけのものであることは火を見るより明らかである。
事実、足を止めて向き直った俺に対し、祭は次のように続けた。
「願わくば、もう少し早く出てきてほしかったぜ。こそこそ隠れて様子を見ていないでな。あの鳥野郎を泰山公と呼んだってことは、かなり前から――へたすると初めからここにいたんだろ、お前?」




