そして……
「入学式が2時間以上掛かるとか聞いてない……!」
クラスへと向かう隊列からこっそり逃れ、講堂の裏へと隠れたあたしは大慌てで、ローブの胸元に隠した瓶を取り出していた。この中には姿変えの魔法を閉じ込めた、錠剤が入っているのだ。
入学式は1時間半の予定だった。だから、薬が切れる頃にもう一度、薬を飲むはずだった、当てが外れたのだ。
この薬を飲めばあたしは、だいたい2時間ばかり、シャーロックの姿に変身して過ごすことができる。顔は殆ど変わらないけれど、喉仏が出て、胸が平らになって、下半身がその、アレになる。あまり常飲すると体に悪いそうなので、日に2錠くらいまでにするように、と薬を用意してくれた父からは言われている。多分、父が何かしたのだろうけれど、寮の部屋もひとりだった。本来二人部屋なのに、だ。
でも、初日くらいは、誰もいない時でも男の姿でいたほうがいいだろうと思って、朝と、入学式が始まる前に飲んだのだが、無事に変身できたことで、気が緩んでいたらしい。胸元のさらしの巻きが緩いことに、気づいていなかったのだ。
まだあたしは15になったばかり。胸元はそんなに豊かじゃない。でも、締め付けていなければ見る人が見れば分かる程度にはある。女子生徒はローブの前を閉じているけれど、男子生徒は前開きのローブの下に、シャツとベストを着ているだけなのだ。緩んださらしに押し上げられた胸元は、うっかり屈みでもすればバレるだろう。
「……明日からはキツ目に巻いてから飲まなきゃ」
飲んでから巻いたからいけないのだ。巻いてから飲めば、男の身にはちょっと苦しいかもしれないが、緩むことはないはずだ。
「なーにしてるの?」
「ひょえあ?!」
慌ててカラカラと瓶を傾けたところで背後から声を掛けられて、あたしは驚きのあまりに瓶を取り落とした。バラバラと白い錠剤が飛び散り、慌てて振り返ると、癖の強い栗色の髪に緑の瞳、薔薇色の頬をした色白でかわいい女の子が、にっこり微笑んでこちらを見ていた。
「あ、ごめんね? 驚かしちゃったみたい……」
「だ、大丈夫。気にしないでくれ。く、薬を飲もうとしていただけなんだ……」
半年ほど訓練したけれど、言葉遣いはまだ慣れない。どうしても硬い雰囲気になってしまう。本物のシャーロックはあの口ぶりなのだから、これじゃあ、いつか入れ替わるときに困ってしまうのに。
「ごめんね。きみも一年生でしょう? わたしもなんだ。教室に戻る途中で、急に列から離れていくから、どうしたのかなと思っただけなの」
女の子は心底申し訳ないといった表情で、あたしの前にかがむと、こぼれた薬を拾い始めた。あたしも慌てて、それにならう。
「あ、ありがとう……」
「ううん、わたしが驚かしたのが悪いんだし。…………ねえ」
瓶に入っていた錠剤は10粒。あたしの手に5粒。彼女の手に3粒。あと2粒、どこかにあるはず……
「ねえ、これ。姿変えの薬だよね?」
びくん。
自分の背が震えてしまったことに、あたしは内心で舌打ちした。
ばか! そんな挙動不審になってしまったら、肯定しているも同じじゃないの!
「ち、ち、ちがうよ! 心臓の薬! あたし、心臓が弱いの!」
「……ふうん?」
女の子はなぜか笑みを深めた。
残りの2錠も見つけ出し、それらの錠剤をあたしに渡してくれる。
「ありが……あの?」
「……ほっそい手だねー」
彼女は錠剤を渡したあと、あたしの手をぎゅうと握った。そして、ひどく珍しいものを見たとでも言いたげに撫で回す。
……なんだか妖しい手つきだ。こそばゆい。なんだっていうの。
「きみさあ……」
「……な、なに?」
「女の子でしょ」
ぎくり。
震えた己の筋肉に、だからなんでそうすぐに動揺するかなあ! あたしのばか! と内心が悲鳴をあげる。バレバレにも程があるだろう!
「いま、屈んだ時にね。ちょっと膨らんでたよ?」
否定も肯定もできず(いや、この態度だもん、肯定したも同意だろうけれど)、まさか初日からバレるなんて! と身震いしたあたしを、彼女は覗きこんで笑った。――妙に、艷やか、獣みたいな瞳で。
黙っていて、なんでもするから! と叫びかけていたあたしはごくりと喉を鳴らす。
「……実はねえ」
彼女は何故か、あたしの手首をギュッと握って自分の方へ引き寄せた。その手が向かうのは彼女の下腹部で……
「?!」
「『俺』も、なんだよね」
にこりじゃない。
これは、にやりだ!
下腹にのびた手にあたったのは、少女にあるはずのないもので。
混乱のあまり硬直するあたしの耳元に、『事情は聞かないよ……きみと私の、秘密ね?』と妖艶に囁いた少女――少年とは認めたくない――が、シャルの言う『主人公』であることをあたしが知るのは、この二日後に寮に届いた、シャルからの手紙によってである。
うう、知ってたなら、先に教えておいてくれ、弟よ!
しかし弟も「主人公が男とか聞いてねえし!!!」と反論したのであった。
おしまい。