19『俺たちの貯金はこれからだ!』
こんがりと黄金色に焼き上げられた鶏の骨付き肉。指で押せばふわりと沈む、真っ白なパン。とどめに店主が秘蔵のワインの栓を抜き、肉へパラリと砕きたての胡椒を振りかける。
暴力的なまでの香ばしさが鼻をくすぐった瞬間、隣のテーブルで硬い黒パンを齧っていた客たちが、一斉に羨望の眼差しをこちらへ向けた。
「これが、銅貨十五枚の食事……!」
俺はたまらず、ゴクリと喉を鳴らした。
アブ姉、リリィ、俺の三人分で銅貨四十五枚。俺たちの一日の生活費が銀貨約三枚(銅貨三十枚)なのだから、目の前の食事がどれほどの贅沢かお分かりいただけるだろう。
「アブ姉、リリィ! 肉だぞ! 出汁を取るためのカスみたいな肉じゃなくて、正真正銘、塊の肉だぞ!!」
興奮のあまり、俺の声は天井知らずに跳ね上がっていた。だが、ここ灰猫亭は酔客の怒声や笑い声が日常茶飯事の安酒場だ。誰も俺の歓喜の叫びをとがめたりはしない。
「そうですね。これほど立派なお肉は、サバイバル生活をしていた頃ぶりです……!」
「……はやく、冷めないうちに食べよう」
クールを装うリリィの腹の虫が、ぐぅ〜っと派手に鳴った。
久方ぶりのまともな食事だ、無理もない。俺はあえてそこをイジるような野暮はしなかった。……どうせレスバじゃ勝てないし。
「「「いただきます!」」」
フォークを突き立てると、ぱちぱちとはぜる皮の表面から黄金色の脂が滑り落ちた。閉じ込められていた熱い肉汁がジュワリと溢れ出し、木の皿の底を濡らしていく。
たまらず大口で齧り付く。
「……っ!」
炭火の香ばしさが鼻腔を抜け、噛み締めるたびに逞しい肉の繊維から濃厚な旨味が溢れ出した。スープの出し殻ではない、「肉」を喰らっているという確かな手応え。
「……うう、うまい……っ!」
気づけば、俺の目からボロボロと涙が零れ落ちていた。
ナータに来て以来、来る日も来る日も低賃金の肉体労働。がむしゃらに働いても貯金は減る一方で、空腹の夜は、リリィが教会の慈善活動に参加して貰ってきた石のように硬い黒パンを、無理やり噛んで食べるしかなかった。
あの惨めな日々が、この一口で報われた気がしたのだ。
「これからは、週に一回はこういう食事ができるように頑張りましょうね!」
「うん……!」
アブ姉とリリィの決意に満ちた声を聞きながら、俺は涙を拭い、陶器の杯に手を伸ばした。
注がれたワインは、暖炉の火を透かして深いルビー色に輝いている。まずはグラスに鼻を近づけ、ベリーを煮詰めたような芳醇な果実の香りを確かめる。……ワインなんて初めて飲むからサッパリだが、前世の知識によればこれが「通」の嗜みのはずだ。
思い切って喉に流し込む。
ベルベットのような滑らかな液体が舌を通り過ぎ、胃の奥にポッと心地よい熱を灯した。水で薄められていない本物の酒だ。鼻に抜けるわずかな渋みが、口内の肉の脂を綺麗に洗い流し、次のひと口を猛烈に欲しがらせる。
「うまいかどうかはよくわかんないけど、最高の口直しになるな」
「おこちゃま」
「リリィだって飲んだことなかったくせに」
小生意気なツッコミを入れつつ、リリィの頬もアルコールでほんのりと朱に染まっていた。
続いて、添えられた白パンを手に取る。
指先が、驚くほど軽やかに沈み込んだ。石のように硬い普段の黒パンなら、スープでふやかさなければ歯も立たないというのに。
ちぎった断面は冬の初雪のように白く、丁寧に精白された小麦の甘い香りがふわりと立ち上がる。口に含むと、舌の上でゆっくりと解け、黒パン特有の酸味ではない、純粋な穀物の甘みが口いっぱいに広がった。
「……幸せだ」
「パンって、こんなに柔らかい食べ物だったんですね……」
俺もアブ姉も、恍惚とした表情で天井を仰いだ。
煤けた梁が見える、安っぽい木材の天井。けれど今の俺たちには、それが高級レストランのシャンデリアにも等しく見えた。
俺は白パンの欠片を、皿に残った熱い肉汁と脂にたっぷりと浸す。黄金色に染まったそれを口に放り込み、咀嚼する幸福に目を細めた。
薄暗い酒場の片隅、アブラギッシュ草の安っぽい蝋燭が揺れる中……今この瞬間だけは、王侯貴族にも負けない至福の時を味わっていると確信できた。
「無理してお金を出した価値はあったな」
「だね」
俺の言葉に、リリィがグラスを傾けながら同意する。
本日の稼ぎは銀貨十三枚。その三分の一がこの一食で吹き飛んだ計算になる。
無事にEランク冒険者へ昇格したとはいえ、毎日これだけの額を稼げる保証はない。けれど、Fランクだった頃とは比べ物にならないほど、選べる仕事の幅は広がった。
「とはいえ、現在の全財産が銀貨十四枚ですからね。計算上、五日後には綺麗に一文無しになってしまうんですけどね」
ワインでほんのり顔を赤らめたアブ姉が、シビアな現実を突きつけてくる。
「今日くらいはいいじゃんか。念願のEランク昇格祝いなんだからさ」
「いつもなら『カグヤは能天気だね』って笑うところだけど、今回ばかりは同意かな。たとえ貯金を切り崩しても、今日くらいはパーッと祝わないとやってられないよ」
リリィが小さく口を開け、パクリと肉を放り込む。相変わらず小動物のように一口が小さい。
「そうですね……明日からはまた、地道に貯金を増やしていきましょう。いつ体調を崩すかも、いつ飢饉が起きて物価が跳ね上がるかもわかりませんから」
「ああ。それに、俺たちに剣や魔法を教えてくれる『師範』も探さないとな。我流のまま生き残れるほど、この世界は甘くない」
「ええ。相変わらず、世知辛い異世界です」
そう言って、アブ姉がむしゃりと肉にかぶりついた。
神秘的なダークエルフの美女が、口の周りを肉の脂でテカテカに汚しながら豪快に咀嚼している。そのギャップが少し可笑しくて、俺はふっと笑みをこぼした。
「まぁでも……今のところ、なんとかなってるじゃん」
俺たちの明日がどうなるかは分からない。それでも今は、この黄金色の脂と極上のワインに酔いしれることにした。
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