1章 30話 VSダンジョンの怪物
鳴り響くは、大剣により生み出されし轟音。
正樹の目の前には、ボロ雑巾の様な騎士と青筋が怒りを這わす様に光る赤黒い皮膚を持つ化け物が一匹。
繰り広げられるは、一人と一匹による人外対戦。
当たれば即死、剣筋は目視不可、心身ともに絶不調。
そして何より、この場においての最後の頼みの綱であるパーシィの体力も風前の灯火。
しかし、こころの絶望は乗り越えた。
ならば、まだ戦える。
正樹は押し殺した笑いを引っ込めると、取り戻した平静をフル活用し、状況分析し終える。
どう確認しても死神の鎌が見える様な有様ではあるが、まだ鎌は首にかかっていない。
スキルにより黒い靄を作り出し、異空間から片刃の斧を取り出すと同時に『アース・コントロール』を使用する。
「隙ができたら下がれ!」
パーシィに声を掛けたと同時に、足元が凹んだためにオーガの体が少し傾く。
そして、正樹の言う通りに下がると、後ろからオーガの顔に目掛けて爆炎石が炸裂する。
それにより大きくよろめくと、パーシィが追撃で右脚を大きく切りつける。
目が見えなくともオーガはすぐに反応すると、大剣を横凪に振るうが、既に標的であるパーシィは後ろまで引いている。
ここにきて、ようやくオーガに膝をつかせる事に成功する。
「パーシィ、援護を頼む」
正樹の隣まで下がって来たパーシィは、予想外のことに驚く。
性格からして、まさか戦うことを選ぶ様には思えなかったからだ。
事実、普段であれば間違い無く逃げを選択するのであるが、そうしない理由が三つある。
一つ目が、単純にオーガから逃げ切れるのかが怪しいからだ。
ぱっと見では相手は足を負傷しており、逆にこちらの足は無事であることから逃げ切れそうに見える。
しかし、よくオーガを観察してみると小さい傷が既に塞がっているのだ。
ここからでは確認できないが、最初につけた背中の傷も流れている血の量的に止まっているように思える。
オーガは種族的特徴として自然治癒が早いと言うことは割と有名な事だ。
だが、それでも一日あれば回復するくらいの早さで、あれほどの治癒力は無いはずなのだ。
つまり、あのオーガの治癒力は通常種と比べ物にならないか、傷ついた部位を急速に回復する手段があるかの二つが予想できる。
どちらにしろ、逃げる事に体力を使った挙句にオーガの足が治り切った場合、今よりも状況が悪くなるのは間違いない。
一人であればどちらかは逃げられるのであろうが、今の正樹にそんな選択肢は無い。
二つ目は、単純に逃げると言う気分では無いからだ。
そんな馬鹿なと言われるだろうが、この気持ちの部分と言うのは非常に大切なのだ。
パーシィの騎士のあり方に当てられた正樹は今、すごく高揚しているのだ。
死の恐怖に囚われて、耐えることしか考えられ無かった先程と違い、今は逃げると言う手段の下準備どころか、あの化け物の討伐にまで頭を回せているのだ。
単に死の恐怖により、頭のネジが外れてハイになっているだけかもしれないが。
最後の三つ目。
勘がいけると言っている。
この世界に来てお世話になりっぱなしな勘様が言っているのだ。
正樹にこれを跳ね除ける理由は無い。
「さぁ、パーシィ。自己犠牲は諦めろ。ここからは化け物退治だ」
パーシィは、悪魔の様な手が差し出されるのを幻視してから正樹の顔を見る。
そこにはいつもの気怠げな表情ながらも、楽しげな悪餓鬼のような顔。
あまりの無謀なことを止めようとしていたが、その表情を見た瞬間にその気持ちは引っ込む。
そして「分かったよ」と言うと諦めた様に笑みを浮かべる。
そうこうしているうちに、足の止血を済ませたオーガは再び立ち上がる。
どうやら、正樹の予想通り回復力を強化する何かがあったのだろう。
それでも完全に塞がってはいないようで、すぐに突撃して来る様子はない。
「あちらも最低限の準備は終わったな」
それはこちらとて同じことと言うように、左手に持った斧を肩で担ぐと右手に野球ボールの様な物を準備する。
「ヴォォォォオオオ!!!」
「行くぞォォオ!!」
中断された戦いの開始を告げる様に咆哮があがると共に、ボールをオーガに向けて全力で投げる。
その芸も無く直進する球は、予想通りと言うべきが大剣を構えることで防がれる。
だが、あの球の真価はここからであった。
大剣に当たると同時に、プシューと言う音を立てて煙が吹き出す。
辺りをまとわりつく様な白煙が包むが、奇策をされ続けたオーガは動揺も少なく、すぐ様煙を払う様に大剣で扇ぐことで対応する。
オーガの凄まじい力で扇がれた煙は、なす術なく強風に吹き飛ばされるが、正樹も承知の上での行動だ。
視界が晴れ、全力スイング後の姿勢のオーガの目に捉えたのは二人ではなかった。
代わりに目前には、自分より少し小さいくらいの巨石が突進せんと迫っていた。
だが、オーガにとっては十分対応できる程度の速度しか出ていなかった。
その有り余る力を使い、巨石になまぬるいと両断する。
次は貴様らだと、切り裂いた先を見るがそこには既に二人の姿は無かった。
何処だとオーガが探す時。
切り裂かれた岩の影にパーシィが飛び出す。
正樹に、「岩を出したら突っ走れ」と言われていたパーシィは、岩を目眩しにする様に距離を詰めていのだ。
それは正樹も同様で、遅れながらに逆の壁際を走っていた。
パーシィは岩陰からニュッと気配もなく出ると、先程傷つけた右脚をもう一度斬りつける。
接近に気が付けなかったオーガは、痛みにより斬られた場所を判断すると乱雑に大剣を払う。
しかし、そんな事は折り込み済みで少し下がることで対応する。
大剣は鎧を削るだけの結果で終わり、オーガは再び膝をつくこととなった。
これにより一つ、状況が有利になった。
だが、これだけでは足りない。
このオーガがこれしきのことで、有利を取れたなどと思わない。
パーシィは、遅れて走る正樹をチラリと見るとすぐ様に追撃に移る。
予想を裏切らない様にオーガは、大剣を頭目掛けて振り下ろす。
衝撃波を伴いそうな剣撃ではあるがしかし。
これを幾度と目にして体感しているのだ。
「もう、それは聞かないよ!」
言うと同時に剣を寝かせ、その上を擦る様に大剣が通過すると轟音を立てる。
だがそれだけでは終わらさないと、受け流しきれない力を利用して回転斬りを見舞うことにより、腹に一文字が描かれる。
腹を捌かれたが、関係ないと今度は拳を突き出す。
これを地面に這う様に屈む事により回避すると、オーガの腹に剣を突き立てる。
そして。
『スプラッシュ・ペネトレイト!!』
超短縮詠唱が叫ばれる。
すると轟々と言う音を立てて、滝の様な水がオーガを襲う。
足に力が入らず、踏ん張ることもできずにまともに受けたことにより、大きく飛ばされる。
それでもさすがと言うべきか、魔法の威力が減衰して転がり始めるとすぐ様に足で踏ん張りを見せると、闘志をむき出しにするように唸る。
パーシィ渾身の魔法も、致命傷にはなり得なかったがそれでいい。
正樹は、オーダー通りに仕事を完遂したパーシィに惜しみない拍手を心の中で送る。
それだけでは足りないとパーシィを追い抜く際に「あとは任せろ」と言い残し、吹き飛ばされたオーガを追う。
正樹がパーシィに指示した仕事とは、俺から注意を外しつつ、一瞬でいいから足を止めてくれ。あと出来れば水をぶっかけてくれると助かる。
である。
それを、注意を逸らしながら足を止めるどころか再度片足を潰し、腹を切りつけてしまいには水の上位属性である水流魔法をゼロ距離で当てたのだ。
これを讃えずに何を讃えると言うのか。
異世界に来て一番の笑みを浮かべながら、いつの間にか取り出していた槍に魔言を囁く。
『雷よ、槍に集え』
槍がパチパチと放電すると、片手でオーガ目掛けて投擲する。
正樹の手から離れた槍は、弓により放たれた様なスピードで飛来する。
オーガはパーシィ渾身の一撃により大ダメージを負い、体を起こしたばかり。
雷の槍はオーガの抵抗すら許さずに左脚の太腿に風穴を穿つ。
これにより、両脚が使えなくなったことにより機動力を奪う事に成功した。
だが、まだだと正樹の思っている。
脚が使えなくとも絶対的とも言えるスペック差にて、残った腕二本でも正樹を狩るに足るだろう。
ならばと、再び魔法を行使する。
『雷よ、敵を射抜け。サンダー・アロー』
詠唱が行使されると、正樹に追随するようにナイフサイズの雷の矢が四本現れる。
これにて下準備も大詰めで、距離も十メートル程に差し迫った。
「カウントダウンだ。ファイア!!」
掛け声と共に矢が放たれると、瞬時にそれぞれが足元、右肩、腹、頭を目指す。
恐怖から立ち直った時だ。
オーガを攻略する際に、どうやって倒すか。
これには、教会から各自に支給された魔道具によりどうにかなると思っていた。
光は、身体能力の大きく上がる指輪に光を蓄積する聖剣を。
純司は、魔弾と実弾を両方撃てる魔銃。
咲は、魔法の全てを向上させる杖を。
恋詠は、長さを変えられる魔剣と魔法を切れる魔剣を。
同じように正樹にも先程投げた槍ともう一つ。
それが今走りながら肩に担いでいる斧だ。
この斧は、魔力を込めれば込めるほど破壊力を高められると言う代物だ。
その破壊力は折り紙付で、理論上であれば英雄級の者ですら倒せるほど。
だが残念ながら、そこまで破格な力があるにも関わらずに教会倉庫に眠っていたのには理由がある。
本来の魔導具は、魔力を流すことにより使えるものと、魔力を魔導具に貯めておく事により任意で使える物の二つに分かれる。
この斧は後者であり、魔力を貯蓄できないのだ。
つまり、魔力を込め続けないとチャージがリセットされるのだ。
これだけであれば、まだ使いようはあったのだろうが、この斧の一番の欠点はそこでは無い。
なんとこの斧、一度当てるとまた最初から貯め直しなのだ。
しかも、起動は任意では無く自動で。
最初にこれを選んだ時は、神官達がそれはやめた方が良いと言われるほどに使い勝手が悪い。
いわばロマン砲なのだ。
故に今までその使い勝手の悪さから、誰からも使われてこなかったのだが正樹はその性能を聞いた瞬間、迷う事なく手に取った。
放たれた雷の矢は一瞬にして着弾すると、バチバチと大きなスパーク音を出してオーガの体を食い散らかす。
オーガ含めて辺りは水浸しに加えて、身体中の切り傷に出血。
それに加えて右肩に刺さった矢。
「ここまで下拵えしたんだ。よく沁みるだろ?」
正樹の矢は、魔力を通しやすいミスリルと呼ばれる特別な金属製なために電気の通りが良く、腕を動かす事は不可能である。
最初からの布石では無いが、土壇場で考えたにしては上々の成果と言えよう。
動きを封じ切り、取った!と正樹は確信して斧を構える。
ここに来て流石に不味いとオーガに焦りが現れ、感電する体を無理やり動かそうと身を捩る。
唯一、切り傷が少なかった左腕を無理やり動かすと、溜めの無い拳が正樹を襲う。
スピードも威力もないパンチではあるが、あくまでもこのオーガにしてはの話だ。
勿論、正樹がまともに受ければ即死はしないまでも重症は免れない拳だ。
幸い、十分に反応出来るが仕切り直しが脳裏を掠める。
「そのまま、突っ込め!」
足を緩めようとすると、背中を押すような声がかけられる。
ここまで来たら一連托生と、声の通りに足に力を込めてさらにスピードを上げる。
迫り来る拳に幾分かの恐怖を覚えるが、それでも相棒と言っても過言では無いパーシィが行けと言った。
今はそれだけで十分であった。
そして、パーシィも正樹の期待は裏切らない。
『スプラッシュ・ブレイドォォオ!!』
正樹の横を青が過ぎさると、オーガの腕が消えていた。
否、切り飛ばされた。
これで憂いは消えた。
あとは、この斧を全力で打ち込むのみ。
「詰みだ。クソオーガ」
薄らと紅く光る斧は、唸るように風を切りながら獲物に迫る。
弱者の牙が怪物の喉元に迫る時、奇しくもオーガも強者の底力を見せた。
動くはずのない腕を無理やり動かすことにより、大剣を間一髪で滑り込ませてきたのだ。
死ななければまだ、どうにかなる。
実際に、正樹もパーシィもこれを凌がれた場合は、戦える気力も魔力も無い。
大剣を盾にすることができた時点で、オーガの勝ちが決まったのだ。
本来であれば。
ドゴォン!!と大砲が当たったような音が洞窟内に鳴り響く。
オーガは、重度の怪我に加えて電撃を浴びた足に踏ん張ることが出来ずに、矢のように大きく飛ばされる。
あまりの衝撃に口から血が漏れるが、口元にはえみが浮かぶ。
最後の最後で、オーガは競り勝てたのだ。
生まれながらの圧倒的強者である自分が、今回も勝ったのだと。
優越も束の間、身を焦がすような憤怒が湧き上がる。
このような下等生物に己が遅れを取ろうとはと。
脚力、耐久力、腕力、魔力とどれを取っても足元にも及ばないような奴らに、このように苦戦させられた事にプライドを大きく傷つけられたのだ。
ベクトルのままに、吹き飛ぶオーガはどうなぶり殺してくれようと考えようとしたその時だ。
ふと疑問に思うことがあった。
自分はいつまで飛ばされているのかと。
周りを確認すると、あいも変わらず光る苔の生える壁ばかり。
オーガは浮遊の終わりを待ち侘びていると、不意に響く再度の衝撃により意識が途切れるのであった。
●
「ハァ、ハァ、あー、疲れたぁ…」
今までの轟音が嘘のように鎮まり、聞こえるのは青年の大きく肩で息をする息遣いのみ。
破壊痕が痛ましく刻まれ、激闘の模様を思わせる風景。
正樹は、オーガがしっかりと崖から落ちたのを確認すると、気怠げな表情と共にしみじみと言う。
元々、あのオーガを黒心斧で倒せるとは考えていなかった。
この斧の能力は、蓄積した魔力を時間経過で増幅する、なのだがその時間の捻出が難しかったのと単純に魔力が足りていなかったからだ。
万全の状態でかつ、時間を稼げるのであれば倒せたのであろうが、それは無い物ねだりと言うことで最初から視野に入れていなかった。
ならばやはり、逃走しか勝ち筋がない。
そこで閃いたのが、なら相手に逃げて貰うだ。
幸い、この辺りは昨日の段階で探索しており周辺地理を把握していた。
最初は、その時に見つけていた奈落のような崖を見つけており、一か八かで逃げ込めるように後退していた。
だが、これにオーガを落とせば最悪死ななくても十分逃げることができるのではないかと。
結果としては、大成功と言っても過言ではない大勝利を手にすることができた。
正樹としては、オーガを真っ二つにしたいところではあったが、それは高望みというものだろう。
疲れ果ててはいるが、強敵を倒せた優越が少し心を満たす。
このまま、寝てしまいたい衝動に駆られる正樹だが、ここで休むには危険が多過ぎる。
パーシィも正樹も、すでに限界でありそこら辺の魔物にもやられかねないのだ。
「パーシィ、お疲れさん。そんじゃ、とっとと移動し…」
違和感はあった。
こう言う時に、パーシィが静かだったことなどなかったのだから。
大したことのないゴブリンとの戦いですら喧しくも声を掛けてくるのだ。
こちらが生き物を殺して気に病んでないか。
また、心が荒んでないか。
この世界には似つかわしくなさ過ぎる、その優しいパーシィが労いの言葉すら言わないことが。
嫌な予感に見舞われて、振り返ってった瞬間、声が詰まる。
倒れたままピクリとも動かないその様を見て。
分かっている、確認などしなくとも勘が告げていた。
それでも、鉛のように重い足をゆっくりと動かしてパーシィに近寄る。
目の前まで来ると、案の定と言うべきか。
歩いている途中までは、後悔や懺悔の言葉しか思い浮かばなかった。
実際に、すまないと言う言葉を今でもこぼしそうではあるが、パーシィの表情がそれを許さない。
こういう時にかける言葉は…
「ありがとう、パーシィ。お世話になりました…」
この世界での一番友人兼恩人に向けて。
深々とお辞儀をすると、正樹の目の端に涙が溜まる。
だが、それをこぼすことは決してない。
そんな頭を下げられたパーシィの表情は、微笑みながら正樹を見守っていたのだった。




