1章 29話 挫けぬ心
軋み上がる空間。
その咆哮は地を揺らし、獲物をすくみ上がらせる。
その獲物である正樹は、目の前の怪物から目を離せないでいた。
(あ、これ死んだわ)
正樹の目には、オーガが剣を非常に緩慢な動きで構える。
普段であれば余裕で躱せるなと考えるが、生憎と指一本すら動く気配はない。
隣に意識を向けると、何やらパーシィが叫んでいた。
と言うのも、間延びし過ぎていて何を言っているのかが全く分からないのだ。
そこで自分が今、極限状態に陥り脳が活性化していることを理解する。
だが、残念ながら動くことが出来ないために全く意味がない。
(つかえねぇな、俺の体。ただの拷問じゃんかよ)
こうなると、正樹は自分の無能さ加減に苦笑をする。
どうせなら走馬灯の内容でも決めるか、と決心した時だ。
不意に横からの衝撃に襲われる。
すると、とてつもない速さで正樹の元いた場所に何かが打ち付けられて地面が爆ぜる。
何事かと思いその場所に目を向けると、大剣が地面をえぐっているところだった。
「マサキ君、しっかりしてくれ!!」
さらに殴られる様に聞こえた声の方に顔を向けると、険しい顔をしたパーシィが剣を構えていた。
これらの状況的に、パーシィに助けらたことにより体と時間の感覚が元に戻ったと言うことを理解する。
オーガの懐に潜り込む様に進むパーシィを見て援護に入るために、正樹は体を転がりながら距離を取る様に飛び起きる。
懐に入られるのを嫌ってか、オーガは片手で大剣を乱雑に横薙ぎにする。
そんなとてつもない質量を誇る鉄の塊がパーシィに迫るが、彼は身をかがめることにより回避に成功する。
そんな光景を視界に収めて正樹は唾を飲む。
横薙ぎの余波が正樹の体を物理的に押すところを見るに、まともに当たれば挽肉に早変わりすることをいやでも理解させられる。
大剣を回避されたことをオーガは即時理解すると、手が空いていた左腕をパーシィに突き出す。
だが、これも横にステップすることに成功すると下に構えていた剣でガラ空きの胴体を切り上げる。
綺麗に胴を切りつけることに成功したが、しかし。
切りつけられた胴体は薄皮が切られた程度の傷跡しかなく、オーガは問題は無いとの如く大剣を引き戻す動作に入る。
『アース・ピラー』
呟く様に唱えられた魔言は、オーガの動きを邪魔する様に複数の土柱になり動きを阻害する。
しかし、それはほんの一瞬のことでオーガが大きく身動ぎするだけで壊されてしまう。
だが、その一瞬のおかげでパーシィは拳の間合いからの離脱することができた。
さらに、オーガの身動ぎの隙をついて今度は鋭く踏み込むと剣を大きく振りかぶる。
それにオーガが、雄叫びをあげて獲物への苛立ちを表す。
大剣を強引に引き寄せながらパーシィに向けて斬りかかる。
剣と大剣がぶつかり合い軋み上がる。
「ぬぅぅッ…!?」
漏れ出るような苦しげな声がパーシィの口から出る。
拮抗できたのはほんの一瞬のことで、パーシィがすぐに押し込まれるとオーガは、スイングする様に弾き飛ばされると、弾丸の様に壁に激突する。
それだけに終わらず、追い討ちをかけるために、その巨体からは想像できない様な速度で直進する。
オーガがまずは一人と思った時。
横から強い衝撃と刺すような痛みが襲う。
不意打ちに驚き止まり、痛みのある右足を見ると鉄の矢が浅く刺さっていた。
「化け物、パーシィに夢中とか。ホモなのか?俺も忘れんなよ!」
声が聞こえもう一人の獲物の方を見ると、先ほどまでは持っていなかった弓が足元に落ちており、同じく無かった片手剣を二振り構えてオーガに迫っていた。
鬱陶しいと言わんばかりに唸り、足に刺さった矢を抜きさると、返り討ちにしてくれるわと言わんばかりに待ち構える。
大剣の間合いに入った正樹を、両断するために振るう。
そんな圧倒的なまでの暴力を前に、正樹は背中をぐっしょりと濡らす。
ここでの失敗は、すなわち死。
力強く振り下ろされた大剣の軌道を予測し、添えるように左の剣を添えて足の力を抜く。
剣と剣が触れると砕けるような音を立てる。
しかし、正樹は折れそうな心を騙して、引き攣った笑みを浮かべながらも無事にいなし切る。
代償に剣が砕けたのと、とてつもない痺れが腕を襲うが構わずに突きの姿勢に入り、オーガの丸太のように太い腕を突く。
これで大剣を落としてくれれば御の字。
筋を切れていれば大金星だが、そう上手くはいかない。
剣は指一本分くらいしか刺さっておらず、これ以上押し込めそうにもなかったのだ。
(かっった!なんだこれ、肉を突いた感触じゃねぇぞ!?)
少し驚き固まりかけたが、剣を刺した腕が動くとすぐ様に後ろに大きく飛び、安全な位置まで引こうとする。
剣の間合いから逃れることには成功したが、オーガはこのまま帰すかと正樹のと距離を詰める。
これは不味いと、危険信号が正樹の脳内に走り抜ける。
オーガと正樹の身体能力では比べるのも烏滸がましいほどの差があるのだ。
スピードも例に漏れず、先に動き出していた正樹にすぐさま追いつく。
だが、このまま何もしないつもりは微塵もない。
懐から八本のナイフを取り出し、オーガの顔に目掛けて投げつける。
オーガはそれを腕を振り払うだけで顔を守り、他の箇所に飛んだナイフはその強靭な肉体が弾く。
おかげで、ほんの僅かでも距離を稼ぐことに成功した正樹は、『ストーン・ピラー』と呟く。
それによりバックステップすると、踏んでいた地面からオーガに目掛けて円錐状の石柱がせり出る。
勢いよく直進していたオーガは、急なことに反応することもできずに脇腹に突き刺さる。
アースの上位属性であるストーンにした甲斐があってか、貫通したことに正樹は笑みが浮かべる。
ストーンにした以外にも、本来の倍の魔力を込めたのに加えて魔法を改変したことにより範囲を犠牲にして凝縮したのだ。
本来のストーン・ピラーの大きさは横一メートル、高さ三メートルの円柱なのだが正樹のは、底辺の横幅が一メートル、長さは二メートル程の円錐状。
その硬さは普通のストーン・ピラーとは比較にならない。
ここにきて初めて、オーガから苦しげな叫びが辺りに響く。
「パーシィ!!」
この絶好の好機を逃してなるものかと、吹き飛ばされた相方を呼びかける。
そして、相方は言われずとも分かっていると言わんばかりに、薄く青に輝かせた騎士剣を構えて既に踏み込んでいた。
そのまま速度を落とすことなく、一瞬と言っても過言ではない速さでオーガの背中を上段からの必殺の一撃を入れる。
衝撃を伴った斬撃を受けた背中は深く切り裂かれ、石柱がさらに深く食い込んだオーガは絶叫の様な咆哮をする。
自身にこれ程の屈辱をくれた敵に怒りをぶつけるべく左手で石柱を握りつぶす。
それだけに留まらず、胴体が動く様になるといまだに刺さった石柱による傷を無視する様に体を捻る。
己の背中に傷をつけた愚か者に向けて、轟音を伴った横薙ぎを見舞う。
それをパーシィは予想しており、後ろに下がることで風圧を叩きつけられるだけに終わる。
注意がパーシィに逸れたところに、追い討ちの如く正樹は魔法を紡ぐ。
『アース・コントロール!』
この魔法によりオーガの足元が緩み、両足が地面に沈む。
これだけであれば、大きく体制を崩すだけなのだがそれだけで済ませるほど正樹は甘くない。
『ストーン・バインド』
追い討ちの魔法をオーガに放つと、地面が蛇の様に動きながら下半身をがんじがらめにする。
最初の位置に戻る様に逃げていた正樹は、足元に落ちている弓を拾う。
その後、魔力を鉄矢に纏わせ、ギィイという音を立てながら弓に乗せるように番える。
『貫け』
ポツリと魔言を呟くと、螺旋状の風を纏った矢がオーガの右肩を射抜く。
狙い通りの位置に当たりはしたが、貫通させるつもりで打ったのにも関わらず、矢の中程で止まってしまったことに舌打ちが出る。
しかし、痛みに対する雄叫びをあげているところを見るに、しっかりとダメージが入っていることは分かった。
拘束は解かれておらず、オーガは痛みで隙が出来ている。
ここで畳み掛けると、パーシィは再び剣を青く光らせながらオーガに追撃をしに行き、正樹も次の弓を番える。
そしてこの時、正樹はオーガに僅かな違和感を感じる。
雄叫びを上げたあたりから身体中に張り巡らせられた線が、少し強く光っているような気がしたのだ。
だがそれでも、この機会を逃すのは不味と思い矢に魔力を込める。
異変はパーシィがオーガの間合いに入った時。
雄叫びが一層強くなると、目に見えて線が強く発光して身体中から魔力が溢れ出たのだ。
それを見た二人は不味いと思うが、パーシィは既に攻撃の態勢に入っている。
視界の端にパーシィを捉えたオーガは、拘束ごお無理やり体を捻るとガラ空きの胴体に裏拳を入れる。
大振り気味の剣を無理なり手繰り寄せたパーシィは、裏拳を剣で受け止めるととてつもない速さで吹き飛ばされ、大きな音を立て壁を砕く。
「クソ!」
大きく吹き飛ばされたパーシィを見て、今までよりもさらに身体能力が上がったのを理解させられる。
今までは、とてつも無い身体能力ではあったが動きと思考が単調だったお陰で、気を逸らしながらにすれば対応することが出来た。
だが、正樹の目の前でオーガは、問題ないように下半身の拘束を引きちぎっている。
先程は一応は拘束可能であったのに、今度は一秒単位の足止め程度にしかなっていなかった。
(不味い不味い不味い!!)
吹き飛ばされたパーシィの方に意識を向けるが、すぐに復帰できそうな気配は感じられ無い。
良くて数秒動けないか、悪くて気絶で最悪は死んだか。
いずれにしても無事で無いことは確かだと結論付けて、目に怒りを宿して標的を定めたオーガに集中する。
脇腹と背に大きなダメージを負っているにも関わらず、動きの速さは先程以上。
番ていた矢を放つが、無防備では無いオーガには障害にはなり得ない。
矢とて、常人には視認して捉えるのが不可能なレベルの速さを誇っていたが、その圧倒的な身体能力の前には無意味である。
オーガは大剣で矢を迎え撃つような動作をすると、金属が強く打ち合ったような音を出すのみのだ。
正樹は即座にスキルで取り出した槍を構えて迎撃の態勢を取ると、その時にはオ既にーガが大剣を振り下ろさんとしていた。
「はやっ…!?」
「ヴォオオオ!!」
隕石のように降り注いだ圧倒的な威力。
迎撃を即座に捨て、直感の示すままに横にずれることで何とか回避を成功させる。
が、あまりの威力に衝撃が襲いかかり正樹は、中に弾かれることになった。
(どんな馬鹿力だよ!?)
当たっていないことを瞬時に判断したオーガは、中に浮かぶ正樹に視線を合わせる。
ここにきて、本日一番の死の警告が鳴り響く。
空中にいるために身動きが取れず、オーガは既に次の行動へと移っているのだ。
どこからどうみても詰みの状況と言っても過言では無い。
だが、ここで死ぬ気は毛頭無い正樹は、持っている槍の後ろ部分に持ち替えると、オーガの胴体に向けて突き出す。
刺さると正樹は、力の限り押し込むと同時に手を離すことにより、空中に投げ出された体が後ろに逸れる。
そのすぐ後に、雷が落ちるような音が目の前に鳴り響き、遅れるように剣圧が襲いかかる。
剣圧により大きく吹き飛ばされ、転がるがなんとか体勢を立て直す。
死神の鎌が少し遠のいたことにより正樹は、吸えていなかった空気を急いで取り込み、脳に鞭を打つように働かせる。
極度の集中状態で息継ぎすらままならない状況を、早く打開しなくてはと焦りに支配される。
だが、それを許す気などさらさら無いオーガは、一瞬にして距離を詰めていた。
その事を理解した瞬間に正樹は、またも己の本能のままに横に転がると、ギリギリのところを大剣が通り過ぎる。
二度目の間一髪で避ける事に成功するが、大剣に伴っている衝撃が体を蝕み、苦悶を漏らす。
しかし、オーガとてその事は織り込み済みであったかのように、今までの満ぶりからジャブ攻撃に切り替えていた。
今までよりも遥かに少ない攻撃モーションにより、すぐに大剣を引き戻すとニノ太刀を正樹に見舞う。
何度目かも分からぬ背筋に感じる強烈な悪寒に正樹は、体勢を立て直すことが不可能だと悟ると、今度は『ウィンド』を地面に打ち付けるようにして打つ。
それにより、体が弾かれたように宙を舞うことでどうにか大剣を回避する事に成功する。
代償として天井に打ち付けられ、肺から空気が漏れ出る。
(息!息を吸え!)
一瞬、空白が頭を支配するが無理やり意識を正すと、逃げた酸素を全力で取り戻すように吸う。
次にオーガを確認すると、これで最後だと大剣の切り上げに移っている最中であった。
(今度こそ死…)
そんなことが頭によぎった時。
「うぉぉぉぉおお!!」
正樹が死を覚悟したその時に、不意に聞こえた雄叫びによりオーガの体が大きく傾く。
まさかのことに、何だと正樹が目を見張ると、パーシィがオーガの背中に剣を深々と食い込ませた。
時間にしてたった数秒にして、数秒も見舞われた猛攻から解放された正樹は、自由落下の力で地面に降り立つ。
地に足がつくと、何よりも先にオーガから距離を取ると急いで息を吸う。
助けられた安心感と死の気配が少し遠のいた事により、恐怖が体を蝕もうとするが気力でねじ伏せて、轟音を鳴らし続ける方へ意識を集中させる。
そこには、防御に徹するパーシィを切り裂かんとオーガが目にも止まらない蓮撃を繰り出していた。
一発一発が爆弾のように辺りを砕き散らかす死地。
そんな中でパーシィは、食いしばるようにして魔力を纏わせた剣を手に、紙一重で凌ぎ切る。
常識の埒外の一人と一匹の戦いは、正樹の闘志をゴリゴリと削っていく。
自分は果たしてあの一撃を耐え凌ぐことが出来るのか?
剣を視認するのも厳しい。
あの恐怖を象った魔物と自分は渡り合えるのか?
逃げるだけで精一杯ではないか。
そんないくつもの自問自答が湧き出て、正樹の足を石のように硬くする。
それに勝てるかの話であれば、答えは絶望的としか言いようのない状況なのだ。
パーシィを良く観察してみると鎧は凹み、隙間からは滲み出る血などが見える。
普通であれば即死の攻撃を、数秒の気絶で済ませるなど正気とは思えない。
そんな重体では、あの状態は長くは持たないだろうと誰であろうとも思うだろう。
それに、正樹自身も直撃こそ受けていないがあの衝撃を間近で受け続けた。
それにより、質量の伴った風圧に叩かれ続けられたり、弾き飛ばされた石礫が体に当たったり、無理に体を動かしたりと至る所が悲鳴をあげている。
それに加えて残りの魔力を半分以下で、既に魔力欠乏症の症状が出て来ており倦怠感や目眩まで起きている。
それならば残されているのは逃げるだが、二人よりも遥かに早いあのオーガから逃げ切れる未来はまるで見えない。
(詰みだな。あんな化け物とやり合うなんてな。相変わらず運が無いな)
いくら思考を巡らせようとも打開できない絶望的な状況に、正樹は匙を投げるように項垂れる。
「すまない、少し気絶していた!」
一撃で命を刈り取る猛攻の中、急に声が飛んできた事に正樹の肩が跳ね上がる。
まさか、この状況で謝罪をして来るとは思わなかった正樹は、「は?」と漏らし唖然とする。
単純に、いきなりなことで驚いたのもあるが、それ以上に今にも死にそうな状況で正樹を気遣うようなことを言ったことの方が衝撃的だ。
言うにしても、援護の要請などもっと言うべき別のことがあったろう。
「それ、よりも、早く、逃げてくれ!ここは僕が、抑える!さぁ、早く!」
それどころか、自分を犠牲にしてでも正樹を助けるときた。
どこからどう見てもパーシィの体は限界で、命を削るようにして無理やり動かしているような状態だ。
馬鹿過ぎると正樹は驚愕する。
確かに、パーシィの目指す騎士とはこう言うものなのだという話は聞いた。
たがそれを、命の危機に瀕したこの状態でするとは思っていなかった。
おかげで正樹は空いた口が塞がらなくなるが、同時にクククッと笑いが込み上げる。
馬鹿過ぎるが、だからこそパーシィらしいと。
ならば、自分はこのままあの騎士を見捨てて尻尾を巻いて逃げるか?
否と答える。
神宮正樹と言う男は、どこまでも天邪鬼である。
そんな男が、人に言われて、はい、分かりました、などと言うだろうか?
否と答える。
ここは間違いなくパーシィを見捨てて逃げるのが正解だ。
そんな事は百も承知。
だが、あそこにいるのは自分が昔憧れてやまない一つの理想があった。
正樹に限った話ではない、正義を体現した英雄の姿。
それを見捨てるなどあり得ない事だ。
それが出来るのであれば、一人ダンジョンに残ろうなどしない。
神宮正樹はリアリストでありながらロマンチストでもあった。




