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時刻71 そんなつもりじゃなかったのに

 合わせた槍と鋭い爪が離れ、間合いが開く。

 そして数秒もしないうちに、トキヤたちが入ってきた入口から大きな音が轟いた。同時にそれはミリアが無事に脱出できたことを意味する。


「システィ、シグレ……ミリアを頼むぞ」


 大丈夫、大丈夫だ。と信じ、トキヤは槍を構え直すと、ガーロともう一度向き合った。


 ――後は時間だ。時間を稼いで、反動に備えるんだ。


 だが、どう凌ぐ? 今のガーロは言うなれば狼男と化しているだけの人間。殺すことはできない。攻めあぐねていれば、その分反動までの時間が迫ってくる。

 攻めるか、待つか、トキヤが考えていると先に動いたのはガーロだった。

 しかし、それは攻撃ではなく鋭い牙の生えた口だ。


「あんたからは貴族の匂いを感じない。なのに、なぜミリアを庇う?」

「俺の家族だからだ。お前こそ、前まではミリアの家族だったんだろ? なのに、なんで」

「は? 家族?」


 踏み出す足と共に太腕が襲いかかる。ぎりぎりで反応できたトキヤは、攻撃範囲外であった懐へと飛び込んだ。


「っ……少なくとも! ミリアはお前のことを家族だと思っていた!」

「そいつはどうも虫酸の走る話だ。俺は使い勝手すらも悪い、トロい駒だと思ってたけどなぁ!」


 左右から迫る両手をしゃがみで避けるとトキヤは持ち手をくるりと回し、刃先の反対となる石突きでガーロの顎を突き上げる。


「ぐっ……!」

「なんでだ。なんでミリアを嫌う! 同じ孤児だったんだろ⁉︎」

「るせぇな……! 臭ぇんだよ。あいつは貴族臭ぇ。貴族なんかが俺たちの孤児院に来やがってよ!」

「貴族? ミリアは記憶を失っているんだぞ! 何の証拠があって――」

「証拠なんて必要ねぇ、ただただ臭うんだよ! 貴族の特有のニオイがよっっ!」


 太腕の唐竹割りを槍で防ぐが、力の強さにトキヤの体が悲鳴をあげる。


「ぐぅっ……! じゃあっ! じゃあ、お前の身に何があった! 貴族と言うだけで、なんでそれほど憎むんだ! お前は貴族から何……を」


 された? 続く言葉を前にトキヤの体から力が抜け、そのまま地面へと叩きつけられた。


「がっはっ! く……そ……やべぇ、反動が……。まだ何も……!」

「なんだよ、もうおねんねか……? ようやく力にも慣れてきたってのによ」


 倒れたトキヤを引きずり起こすとガーロはその首を持ち、壁へと叩きつけた。


「貴族じゃねーだろうから生かしてやろうと思ったけど、やっぱあんたも貴族側の人間か」

「あぐ……ぐあっあぁぁぁっ!」


 右手から滑り落ちた白銀の槍が、カランと石の床を鳴らす。

 足が付かない。トキヤはもがくのを試みるが、狼のような体毛で覆われた腕はびくともしなかった。


「へ、へへへ……貴族は殺さないと殺、殺す殺すすす」


 勝利を目前に狂い始めるガーロ。首を絞める手が先程以上に強まり、空いた方の右手に黒いエネルギーが集まっていくのがトキヤの目に映った。


 ――マジか、マジか。俺、死ぬのか? 死んじまうの? 嘘だ、死ぬなんて。


 そんな言葉がトキヤの頭の中を何度も駆け巡り、うるさいほどの危険信号がかき鳴らされる。

 危機的状況の中、トキヤはかつてジョシュアに教わった言葉を思い出していた。


『トキヤ、相手を殺すのは確かに悪いことだ。だがな、それを躊躇した場合、死ぬ番はお前に回ることになる』

『……』

『殺したことを忘れろとは言わん。だが、もしそれと直面することがあったら躊躇はするな』

『それでも俺は……もう誰も』


 そう言うとジョシュアは困ったように笑っていた。

 これがその時なのだろう。ジョシュアが告げたもしもの時――殺さなければ殺される時だ。

 ようやくトキヤに起こった反動が収まり、体に力が戻ってくる。同時に腰につけていた黒い短剣にゆっくりと手を伸ばした。


「ぐ、ぐぐ……ぐぅ!」

「ふふへへへ、武器、武器ききは排除!」

「くっ……そ!」


 手を伸ばしたのがバレていたのか、体を強く押し当てられると反動で腰から短剣が滑り落ちてしまう。それはトキヤが考えうる生き残るための選択肢がすべて消え失せたのを意味していた。

 死ぬ、死ぬだろう。そうトキヤは感じていた。

 黒い闇を纏うその爪を首に押し当てられるだけで、頭と胴体は二つに分かれ、このナインズティアでの生を終わらせる。ここまで強力ならばトキヤ如きが纏う魔法障壁など、障壁の意味すら成さない。

 だが、その最期の直前、トキヤの耳に聞き覚えのある声が届いた。


「トキヤさんっ!」

「トキヤお兄ちゃん!」


 目に映ったのはシグレとミリア。しかし、距離がありすぎる。もう間に合わない。

 咄嗟の判断の中、シグレは間髪入れずにその手に持っていた脇差を投げつけた。それはトキヤの顔面横の壁に突き刺さり、何を意図しているのかを気づかせる。


「殺殺すすす! き、ききき貴族殺」


 殺意だけが伝わってくる壊れた言葉に、ミリアは裂帛の叫び声をあげた。


「トキヤお兄ちゃん! お願い! ガーロを!」

「くっぅぅ!」


 脇差を引き抜き、逆手持ちにする。

 ガーロはミリアの声に惑わされていた。トキヤの方が幾分か早く、頭上に刃を突き入れることができる。それを行えばこの戦いは終わる、ガーロの死をもって。


「っっぅおおおおおぉっ!」

「殺、ころろろ殺――」


 振り下ろされる刃。それはガーロの顔へと真っ直ぐに軌道を描いていた。


 ――描いていたはず。だが脳天に触れる直前、その剣筋は横へと逸れ、ガーロの頬を切るだけに留まった。


「トキヤさ――‼」


 シグレの声が響く。

 最後の一瞬、トキヤは躊躇した。たとえ何であれ、ガーロは人間だ。殺してはいけないと思ってしまった。

 シグレがトキヤの元へ飛び込んでいく。それに遅れ、システィアがこの場へとやってきたが、既に何かができるほどの時間はなかった。それでも――


「この――!」


 それでもとトキヤの自由を封じている左手に魔法剣の斬撃を飛ばす。それはシグレの横を通り抜け、腕を落とすことに成功。


「ぐっ!」、


 着地と同時にトキヤはふらつき、それでも逃げようとするが、凶悪な爪は既にトキヤの体を貫こうと迫っていた。


「うわ――」


 トキヤの体に衝撃が走る。目に映るは、赤いリボンと微笑み。


「これで……あのときの借りは、返しましたよ?」


 体を押されたトキヤはその攻撃範囲から外れると、次の瞬間、骨の砕ける音と血しぶきが華奢な体から噴き出した。


「あ……あぁぁ……うわぁぁぁぁあああぁぁあっっっ!」


 浴びた鮮血、赤に染まる景色にトキヤが叫び声を上げる。

 少女だった残骸は仰向けに倒れると、目を見開いたままピクリとも動くことはなかった。


「そん……な……。うそ……でしょ……シグレ……」

「シグレ……お姉……ちゃん?」


 ゆっくりと近づいたミリアはその場へへたり込むと、もう動かない彼女の上半身を抱いていた。


「ねぇ、シグレお姉ちゃん……? シグレお姉ちゃんってば……ねぇ、ねぇ?」


 返事はない。あんなにミリアと会話を交わしていたはずなのに、今ではミリアの声だけが木霊する。


「そんなつもりじゃなかったんだ……。こんな、こんなことになるなんて……」


 トキヤは上の空で、何度もそう呟いていた。システィアは惨状に目を伏せると、反動で倒れてしまっていたガーロに剣を向ける。


「……ロイヤル・ギルティの名の下に、貴方をここで処刑します。悪く……思わないで」

「こ、殺……こここ」


 剣を突き立てたシスティアの顔は悲しさを持ちつつも冷徹そのものだった。感情に身を任せたわけではない、ただこのままガーロを野放しにするわけにいかなくなったのだ。

 一つの判断が運命を狂わせてしまう。その夜、全てが絶望へと染まってしまった。

 誰もが絶望する中、トキヤの頭にだけ響いてくる声があった。


『またそんなつもりじゃなかった、か?』


 それはトキヤ自身にも分からない声、何者か分からない。だが、確かにそれは聞こえていた。

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