時刻43 黒の姫君
一旦は穏やかなムードになった場だが、全てが終わったわけではないのは事実。
本題となる近辺の森で起きたことについてジョシュアが話を移すと、ガンズは今一度前へ出てトキヤと出会ったときの説明が始まった。
トキヤに一人の隊員をつけ、町へ送ったこと。その直後辺りかに結界を張られ、迷ったトキヤたちと再度合流したこと。
そして、続く言葉にシスティアは声を上げずにはいられなかった。
ベア・ザ・クロウ。
昨晩、システィアが首と胴を分かち、トドメを刺した獣の名だ。
奴はこの手で倒したはずだと、完全に胴と首を切り離したはずだとかぶりを振る。今でも彼女の手にはその感触が残っているのだから。
普通の獣であれば、それだけで事足りる。首を飛ばされて生き続けられる生物など、ほとんどいないだろう。それはこの場にいる誰もが分かっていた。
「落ち着け、システィア」
「だって、兄様だって見たでしょ⁉ 首を切り落としたのよ⁉」
「ああ、見た。確かに奴は死んだ、死んでいた。……だがな、昨日お前が屋敷へ戻った後、トキヤを連れてあの場へ立ち寄ったときだ」
飛ばした首も、死骸も、血痕一滴すらも残さず、その場から消えていた。そう告げられるとシスティアはショックのあまり数歩後ろへとたたらを踏んでしまう。
「そ……んな……嘘……」
兄の言葉を、未だ信じられない妹。
本来あり得ないはずのことが起きてしまったのは事実だ。だが、今は妹に構うべきときではない。そんな彼女を一旦は置き、ガンズへ話を続けてくれとジョシュアは頷いた。
「散々探していた場所から突如現れた奴に不意打ちを打たれ、ジョンが一時戦闘不能に。もう一人の隊員、っ……フリッツと共に下がらせ、私は奴と対峙しました。システィア様が仰るとおり、現れたベア・ザ・クロウには首がなかった」
フリッツの名。ガンズは顔を歪め、それを聞いたトキヤも悔しそうに顔を俯かせた。
ようやく涙が落ち着き、シグレの腕から離れたミリアも大方の話は聞いている。話が話なだけ、カタカタと体を震わせているが。
回復を施され、調査隊が全員復帰した後は完全にこちら側が優勢をとっていた。だが、一つの罠にかかり、優劣はあっという間に逆転した。
撃ち出す魔力を含んだ爪、地中から強襲する伸びる鋭爪、そして首がないのにもかかわらず動き回るあの巨体。あれはもう獣の類いではなかった。
記憶が途絶えるまでの全てを話しきり、ガンズが報告の口を閉じる。今の今まで黙っていたシスティアがジョシュアに断りを入れると、彼女はトキヤへと話を振った。
「じゃあ……トキヤ君は、ベア・ザ・クロウと戦った……の?」
「…………信じられないかもしれないけど、調査隊のみんなが倒れた後、戦ったよ……いや、正確には逃げ回ってただけか」
「……私がちゃんと倒さなかったから」
その言葉が指すのは、肉も骨も、その全てを無へと返さなかったからという意味だろう。
トキヤが知っている優しい彼女が既に死んでいる死骸に対してそこまで非道なことができるだろうか? すぐに出るのは否の言葉。
所詮は『たられば』に過ぎない。
起きてしまったことに対しての仮定の話はそこまでだ。ジョシュアがそう告げると、現在の話から話題を変える。
ベア・ザ・クロウがヘッドレス・クロウと化して動いたその裏側、そこには何者かが暗躍し、手引きしていることは間違いなかった。
森に張られた結界、死んだはずの獣を魔物へと変化させる能力。そして、これこそがジョシュアの本題だった。
「トキヤ、質問を変えたい。お前は……あの森で黒いローブを身に纏う魔導士風の女と会ったか?」
ジョシュアの言葉に、ミリアとトキヤを除く皆の表情が固まる。
このナインズティアにおいて、言葉が指すのは一つ。厄災の象徴『黒の姫君』と呼ばれる人物のことだ。
今から十年前、突如として現れた天才魔導士である彼女は、象徴的な漆黒のローブに身を包み、数々の村と町を襲い、滅ぼした。その惨状は苛烈を極める。
ある町では、住民全員が焼き焦がされ。
ある町では、住民全員が溺れ死んだかのように、体が水を吸って何倍にも膨れあがり。
ある町では、住民全員が地面から両腕だけを出したまま死に。
ある町では、住民全員が刃物のような鋭利な何かによって細切れに切り刻まれ。
ある町では、住民全員が血を全て抜かれ、殺されていた。
火、水、地、風、そして闇。それぞれの魔法を象徴するかのように、見せしめとして殺された人々。その悪名は瞬く間に国中へ広がり、「次はこの町じゃないか?」と人は恐怖におののいた。多くの血が流れ、殺し回っても彼女は飽き足らず犠牲を求め続けた。
遠い過去、ある魔法学者の過ちによって生成されてしまったと伝わる負の遺産、『魔物』。
現在のナインズティアでは魔物の生成という魔法は完全に途絶えてしまっているが、彼女の名が轟き始めてから、爆発的に増え広まったのだ。
途絶えてしまった魔法を、彼女がもう一度作り出したのかは定かではない。が、事実、多くの獣を魔物へと変えたのは彼女だった。
獣よりも危険な魔物を生み出し、光以外の五色という多種多様な魔法を扱う魔導士。
命からがら逃げ延びた人が語る彼女の風貌、そこから更に人々へ伝播する恐怖。恐れをなした人々は彼女の逆鱗に触れないように象徴色である黒、そして敬う気持ちを意思するかのように姫君を合わせ、『黒の姫君』と呼ぶようになっていった。
だが、転機は訪れる。英雄と呼ばれる者の誕生となったきっかけの話だ。
フローレンスの現当主。ジョシュアとシスティアの父である、英雄ベルナルド・フローレンス。彼が英雄と呼ばれる前の、今から五年前の過去の話。ベルナルドは当時、ナインズティアの恐怖の象徴である黒の姫君を捕らえることに成功した。王都の処刑台へと送ったのである。
彼女は国を挙げた公開処刑の罪人として扱われ、人々を恐怖に陥れた彼女が捕まったことを国民は喜び、一目見ようと誰もがその場へと押し寄せた。
漆黒のフードに包まれた彼女の顔が露わになった瞬間、人々は驚愕した。彼女はまだ年端もいかぬ少女だったのだ。歳にすれば、十二、十三というくらいである。
彼女の姿を見た人々は少々困惑するが、すぐに罵倒し責め立てた。その声を聞き、自分のやったことを今更悔いているのか、彼女は許しを請うように涙を流していたのだという。だが、それで処刑が覆るわけもなく、火あぶりの刑が執行されるその時まで、一切口を開くことはなかった。
故に誰も彼女の名前を知らず、黒の姫君が起こした一連の事件は幕を閉じ、平和なときが戻る。だが、一度野に放たれた多くの魔物は、彼女が死んだ後も消えることはなく、夜にはその姿を現し人々を襲った。
それでも古くから魔物が生息していたナインズティアにおいて、魔物の対処法は完全にないわけではない。魔物は明かりに弱く、比較的光の多い町村などに近寄ることは積極的にしなかった。とはいえ、魔物が多くなったのは事実、人々も極力夜に外を出歩くことはせず、光の多い安全な町へと移住していった。
死してなお、人々に魔物という恐怖を与える『黒の姫君』は、不吉の象徴として語り継がれている。故に彼女を連想させる言葉は誰もが慎み、いつしか禁忌的な意味を持つようになっていた。
だからこそ、ジョシュアに対しガンズが声を上げる。
「ジョシュア様、あの女は貴方の父上によって処刑台へと送られたことはお忘れでしょうか? 事実、私はこの目であの女の最期を見ています」
ジョシュアは返答をしない、ただただトキヤの言葉を待つように彼の目を見つめていた。
そのトキヤはギリリと歯を軋ませ、表情を怒りの一色へと変える。そしてとても低い声で言葉を絞り出した。
「会い、ました。忘れようがねぇ、あの頭をかき回されるような痛み、覚えている。黒いローブの女を……!」
「トキヤ! お前――!」
何を馬鹿なことを! という顔でトキヤに向かおうとするガンズ。ジョシュアは立ち上がると机を両手で叩き、その歩みを静止させた。
ジョシュアの顔は冷静を装いつつも、明らかにいつもとは違う……とても冷たい、だが憤怒の炎を秘めた目をしていた。その姿は、場にいる誰もが息を飲むくらいに。
「……すまない、トキヤ、続けてくれ」
「……はい。俺が見たのは少女の姿の女……。背の高さは、ちょうど、ミリアくらい」
急に名前を呼ばれたミリアは体をビクリと跳ねさせる。
ミリアが奴だと思う気持ちは全くもって、無い。それを伝えるように首と両手を左右に振り、トキヤは彼女へ謝罪を述べた。
少女の姿の女。言い得て妙な言い回しだが、一番それがしっくり来ると感じたのだ。
「他には? 奴は何か言っていたりしたか?」
「他には……俺に興味があるとか、俺が欲しいとか」
普通ならば女の子に言われて嬉しい言葉かもしれないだろうが、トキヤの気持ちはまったくの逆だ。吐き気がするほどに。
「後は?」
ジョシュアは食いつくように話の続きを聞いた。まるで何かを必死で探しているかのように、黒の姫君かも分からない人間のことを尋ね続けた。
「後は……フリッツに貴方は死ぬの、それが運命だって――」
その瞬間、我慢の限界を超えたのかガンズが派手な音を立てて、トキヤに詰め寄る。今にも殴りかかりそうな勢いだ。しかし、隣にいたジョンがそれを羽交い締めに静止させる。
「トキヤ、貴様‼ じゃあ、フリッツが死んだのはそいつが言ったせいだって言いたいのか⁉ お前を守って死んだんじゃないのか⁉ えぇっ⁉」
「隊長! 落ち着いて!」
場が慌ただしくなる。システィアとシグレも加勢に入ろうとするが、ジョシュアはそれを止めた。
トキヤがガンズへと体を向き変えて、真っ向から瞳をぶつけたからだ。
「フリッツは俺が殺したのも同然です。俺は魔法を使って、ベア・ザ・クロウの攻撃を奴自身に向けさせて撃破しました。だけど、俺は直後、魔法の副作用によって動けなくなった。……伏兵がいたんです、熊の首が。そいつに襲われかけたとき、フリッツが身を挺して俺を守ってくれました。フリッツが死んだのは俺のせいです」
トキヤが全てを言い切るとガンズの動きが止まる。
この猛りを、憤りを、悲しみを。ぶつけられる対象を見失い、膝がゆっくりと地面へ落ちる。そんなガンズの代わりにジョンはトキヤへと告げた。
「君は俺たちの命の恩人だ。フリッツが殉職を遂げたのは君のせいではない。もしも君がいなければ、俺たち二人も今頃……ベア・ザ・クロウに殺されていただろう。本当にありがとう、そして隊長がすまない」
トキヤに訪れたのは困惑。ジョンが何を言っているのか理解できなかったからだ。
フリッツの死は紛れもなく、自分に原因があるとトキヤは思い込んでいた。
だからこそ、ガンズのように怒ってくれた方がいい、どうしてもっと怒ってくれないのかと困惑の色を隠せなかった。
それに回答するよう、ジョシュアがトキヤに告げる。
「フリッツがお前を守ったように、お前はガンズやジョンを守ったんだ。気に病むなと言っても無理だろうが、全てがお前のせいではない。お前は充分よくやってくれた」
「ジョシュアさん…………」
ジョシュアは机を回って、トキヤの肩を叩く。
だが、彼はガンズとジョンを守ったという実感がまるで湧かなかった。未だにトキヤの心はフリッツの死に捕らわれているままで、誰かを守ったなどと到底思うことはできなかったからだ。けれども、二人を守ったというのは紛れもなく事実で間違いはない。
ジョシュアが場にいる、皆に告げる。
「一旦休憩を取ろう。ジョンたちはもう大丈夫だ、ご苦労だった。弔慰金を含め、報酬は後ほど用意する」
「分かりました……この度は失礼しました」
上の立場の人間としては、こうすることしかできない。死骸が消失した昨日の今日で、まさか死亡者が出るほどの事件になるとは、ジョシュアも予想ができていなかった。
ジョンは深々と頭を下げると、ガンズを連れ執務室から退出する。同じくジョシュアも難しい顔のまま、続くように部屋を後にした。
「トキヤ君……少し、気分転換しようか」
「あ、あぁ……そうだな……」
部屋の中央で緊張の面持ちを続けていたトキヤの肩の荷が少しだけ下りる。そんな中、トキヤの耳にシグレとミリアの会話が聞こえてきた。
「シグレお姉ちゃん……人が、亡くなったんですね……」
「はい……」
「人を生き返らせる魔法とか、あったらいいのに……」
「そう……ですね……」
何気ないミリアの一言に、シグレは少しだけ俯いていた。
人を生き返らせる。時を戻したいと共に、一体どれだけの人が望んだ願いだろう。
思うことはある。あるが、トキヤは何も言わず、振り返らず、システィアと共に執務室を後にするのであった。
数ある作品の中から、この物語を読んでいただきありがとうございます。
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