時刻39 生き返らせる魔法
次に訪れたのは安堵の涙だった。
恐怖と緊張。その両方からようやく解放されたトキヤは、それらを融解させるように両頬を濡らす。が、すぐにハッとした面持ちとなると、白の少女に懇願した。
「システィ……フリッツを、フリッツを助けてくれ! 息をしてないんだ、早く回復を!」
トキヤの視線の先に目を向けると右上半身のほとんどを持っていかれた、人だった物が転がっていることに気がつく。
その姿にシスティアはギョッとし声を失った。ここまで酷い人の姿を見たのは初めてだったからだ。
彼女に遅れて後ろからもう一人、今度は黒い和服を纏った少女がこの場に現れる。
「トキヤさん、ご無事でしたか。……システィ? どうなさ――」
システィア越しにシグレがトキヤへと顔を覗かせると、彼女は眉間にしわを寄せた。
「シ、シグレ……頼む、フリッツが俺を庇って……。助けてやってくれ、お願いだ」
「…………これは、もう」
顔を逸らすシグレにトキヤは涙を流しながら懇願するが、やがて彼女は首を左右に振る。
もう、ダメなのか? 諦めが付かない。
こんな最後でいいのか? 諦められない。
けれど、二人のこの様子から受け取れるのは絶望しかなかった。
過去のジョシュアの言葉が微かに意識を掠める。
『その下の一つは恐らく、かなり癖の強い魔法だ。もしも危なくなったならそれを発動し、窮地を脱しろ。逃げるために使え』
今後、どんな戦いがあってもだ――トキヤはそう念を押されていた。
今は失われてしまったとされる時属性の魔法。これは攻撃に転じることもできる強力な魔法だということは発動して容易に気がついた。
しかし、発動時は無我夢中だったのだ。使用するタイミングが今の今までなく、あの瞬間しかなかった。時魔法を使って今の魔力はほぼほぼゼロ、二度は撃てないこの魔法に全てを賭けるしかなかった。倒すならば、この方法以外に有り得なかったのだ。
ただ、いけなかったのはその後の行動。逃げる選択肢を自ら放棄し、逃げないことが裏目に出ていた。
「癖の強い魔法……魔法を使った後の、頭痛と吐き気……?」
逃げろ。ジョシュアがこれを強く推していたのは、デメリットについて全てを把握しきれていなかったからではないか? トキヤに何らかのデメリットが起こったとしても、昨日であればジョシュアが側にいた。たとえジョシュアがいなくとも、一度退却すればそのデメリットに対抗する時間もできたはず。
それに気づいたときにはもう遅い、今となっては全てが後の祭り。デメリットが現れるまで、若干のタイムラグがあった。使用後すぐ副作用に陥ったわけじゃない。
ガンズたちを置いて逃げることはできなかっただろうが、それでもフリッツと共に離れることはできたはず。少しでも離れれば、結界を破ったシスティアたちが間に合っていた可能性は高い。いや、ほんの少しの差だった。間に合っていたのだ。
逃げるという選択を選ぶのは恥じゃない、選ぶのもまた一つの勇気。それをトキヤは失念していた。
時間は戻ることを知らない。
自分への怒り。その勢いにまかせ、トキヤは片手を振り上げる。
「……うぅぅぅうううあぁぁあぁっ!」
「トキヤ君っ!」
雄叫びを上げ、トキヤは地面を何度も何度もその拳で殴りつける。
「俺がフリッツを殺した! 俺のせいで! 俺がすぐにフリッツと離れてればこんなことにはならなかった! あいつに何度も助けられたのに、なんで俺はこうなんだよ! なんで最後の詰めが甘ぇんだよ! なんでっ……なんで! なんでっっ!」
満身創痍なのも忘れ、力の限り、何度だって自分の不甲斐なさを地面へとぶつける。
その途中、振り上げられた手が止まり、微かな柔らかい香りに包まれていることにトキヤは気づいた。
「やめて! もうやめてトキヤ君!」
「っ……! シ……スティ……? 俺は――」
「もういいの、頑張ったの。頑張ったんだよ、トキヤ君。だから、もう……お願い、自分を傷つけるのはやめて……」
か細い悲鳴が、振り上げた拳を脱力させる。
肩に顔を埋められ、ギュッと体を抱きしめられ、温かな光にトキヤは包まれているようだった。殴った手の痛みも、体の痛みも徐々に消えていく。でも。
――痛ぇ……な。
虚空に目を彷徨わせる。
大切な物を失った感覚。ただただ心に空いた大きな穴だけが、トキヤに現実感を与え続けていた。
それからしばらくして、トキヤの傷が癒えた頃だ。
回復が順調にいったということは、生きる気力を失ってはいない。だが、あれから彼は俯いたまま一言も喋らなかった。それもそうだ、こんな状態でまともに口をきけるとはシスティアも思わない。システィアの知らないところで、なんであれ一緒に戦っていた人が亡くなったのだから。戦闘の中で育まれた絆はとても大きい、平気でいられるはずがない。
「……町へ戻りましょ、トキヤ君」
「…………」
そういって無言のトキヤに肩を貸し立たせると、もう二人の負傷者を回復していたシグレの元へと赴いた。
負傷した二人の前で膝をつき、シグレは赤い薬を傷口へと流し込んでいる。二人の接近に気づいた彼女はぽつりと呟いた。
「経口ならまだしも、薬を傷に浸したところで気休めにもなりません。それでも少しは足しになるといいんですけど」
「傷、かなり酷いわね……」
「はい……。戦闘で倒れてからかなりの時間が経って血もそれなりに流れていますが、やはり本業の方は違いますね。どちらも命には別状ないくらいに回復はしました。気を失わず、戦われていた方が危なかったくらいです」
ふぅ――と一息つくと、また忙しそうに回復魔法を展開する。
「二人が目を覚ますまで、私はここにいるつもりです。トキヤさんを連れてシスティは先に町の方へお帰りになってください。ジョシュア様たちも心配しておられます」
「う、ん……そうね」
ミリアからの話が聞こえて、何も言わずに出てきてしまった。兄に相応の心労を与えているのは自覚している。
苦笑するシスティアを見てシグレがニコリと笑う中、その横、システィアに肩を借りたトキヤが口を開いた。
「フリッツは……。フリッツは、どうなるんだ……」
暗い口調。シグレは少しだけ沈黙するが、黙っていてもしょうがないのは分かっている。だからこそ、こう端的に告げた。
「……そうですね。遺体はお二人が目を覚ましてからになると思います」
遺体という単語。それが気に障ったのか、フリッツの死を認めたくないのか、トキヤは声を荒げる。
「なぁ、生き返す魔法っていうのはないのか? 俺と違ってシグレもシスティも、回復できるだろ? なんであいつを助けてくれないんだよ!」
悲痛。どれだけの想いがあってこう言っているのか、幼なじみを行方不明として失っているシスティアには痛いほど分かる。顔を俯け、頭の中で極力傷つけない言葉を探す。
トキヤ君、あの……ね? 絞り出したシスティアの言葉、シグレは割り込むように遮った。
「魔法はそんなに便利な物ではありません、いくら回復しようと死ぬときは死にます。誰しも人には等しく、平等に死が訪れます。私にも、トキヤさんにも、そして今回亡くなったフリッツさんにも」
「シグレ、そんな言い方……」
はっきり言ってあげないとナインズティアを知らないトキヤには分からない。どんなに優しく取り繕ったとしても、結局は本当を話さなければならないのだ。そして真実を知れば、トキヤが感情的になるのをシグレは知っていた。いや、こういうタイプの人間は感情的にならざるを得ない。ならば敢えて辛辣に話すことによって、システィアではなく自分へ矛先を向けさせる。二人の間はまだひび割れている時期、その関係が分かたれるのが一番の悪手と知っていたからだ。
例に漏れず、トキヤはフリッツの名前を出され静かに怒る。
「あんな死に方をしたフリッツの死が平等だって……? そんな馬鹿な話があってたまるか!」
「トキヤさんは平和な世界で暮らしていたのでしょう? けれど、ナインズティアは違います。街道で魔物や獣に襲われ亡くなる方は大勢います。その方々のことをトキヤさんは知り、平等じゃないと叫びましたか? 逆にトキヤさんの世界では、何らかの事故で亡くなる人はいなかったのですか? それを見て『生き返せ、この死は平等じゃない』と叫んでいたんですか?」
「っ……けどっ! ……だって、友だち……だったんだ。ナインズティアなら、魔法がある世界なら……と思って」
信じたくない気持ちは分かる、友人だったならば尚更だ。結局、人間はエゴの塊で自分の周りさえ平穏であれば幸せでいられる。かくいうシグレだってそうだ。上から押しつけるように諭してはいるが、トキヤの立場になり、ミリアが、システィアが、ジョシュアが。そうなれば、トキヤと同じように怒るはずだろう。問題になるのは自分の周りで何かが起こった場合だけなのだ。
助けられるのなら助けていた。けれど、どうしても無理なものは無理なのだ。人の死は確かに平等だが、死ぬ瞬間は平等では無い。システィアもシグレも心の中では悔やんでいる。もっと早く到着すれば、助けられていたのに……と。
トキヤの言葉に心を乱され、シグレの赤い瞳が泳ぐ。トキヤはそれに気づいて更に詰め寄った。
「本当は生き返らせる魔法があるんだろ? なぁ、シグレ!」
いつの間にか集中力が保たれておらず、回復魔法が疎かになっている。こんな話をしている状態では、治る傷も治らない。シグレは俯くと、やがてため息をついた。
「…………命を冒涜するのはやめるべきだと思うのですが、そこまで言うのなら後でお教えします。システィ、トキヤさんを連れて先に町へ」
シグレは暗く、重苦しい空気を醸し出し、早く帰って――と言わんばかりの様子だ。
こんな状態のシグレはあまり見たことがない。システィアが心配に思うのも必然。
「シグレ……本気なの?」
「本気かどうかはトキヤさんに聞いてください。悪いですけど、忙しいので先に帰って頂けると助かります」
取り付く島もない淡々としたセリフ。対してトキヤは押し黙ったまま、何も言わずにいた。
「分かった……。それじゃ、先に帰るね」
ここにいても埒があかない。システィアは言われた通りシグレをその場に、森を出るために去っていく。
そしてシグレから二人の背が見えなくなった頃だ。シグレは俯いたまま回復魔法を再展開すると、ガンズが気づき、ゆっくりと目を開けていた。
「嬢ちゃん、泣いているのか……?」
「目を覚まされたのですね。心配してくださってるのですか? ですが、大丈夫です。私は泣いてなんかいませんよ」
言葉通り、シグレは涙を浮かべてはいない。ただ悲しそうにニコリとだけ笑うと、ガンズは呟く。
「回復魔法に、悲しみの感情が籠もっているんだ……俺には分かる……」
「…………」
「すまない……話を変えよう。嬢ちゃん、さっきの話は本当か? フリッツの奴、本当に逝っちまったのか?」
「……はい」
到着したときには、もう手の施しようがなかった。シグレから告げられると、ガンズは目頭に手を当てていた。
「……そうか、っ……そうか。俺みたいなおっさんより早く、一番下の癖に――」
可愛がっていた子が、隊の中でも最年少の子が死に、感情を制御できず男泣きに泣く。その無念さにシグレも顔を俯かせていた。
それからしばらくして、ガンズが落ち着いた頃。
「フリッツの最期は聞いているか……?」
「トキヤさんを庇ってと聞いています。遺体は……」
脳裏にトキヤの顔が掠め、言葉に詰まるシグレ。そんなシグレの気持ちを察したのかガンズは、「そうか、守って死んだんだな」と二度三度頷いていた。
あいつらしい。悲しみの感情の中、ガンズは少しだけ誇らしそうに笑う。その顔を見たシグレは溜飲を下げさせ、詰まっていた言葉を紡ぎ出す。
「……遺体は、どうなさいますか?」
「俺たちが王都へ送るつもりだ。家族の元へ送らねばな……」
「そうですか……。ん、もう動けるまでには回復したかと思います」
告げられるとガンズはゆっくり体を起こし、肩を回した。受けた傷、他の箇所にも痛みはもうほとんど残っていない。シグレへ感謝を述べると、未だ目を覚ましていないジョンの方へと赴いた。
「かなりのダメージを受けていたのだと思われます。回復は順調だったので、しばらくすれば目を覚ますとは思いますが……」
「そうか……そういえば、フリッツの奴に一度回復してもらっていたな」
まだジョンは寝かせておくべきだ。ガンズは頷くと、「こちらへ」そうシグレに誘導される。
ガンズたちが倒れていた場所から少し離れたところ、地面にできた謎の巨大な穴の近く。ここで何が起きたのか理解ができないまま赴いた先。
「……遺体はこちらにあります。ご確認を」
案内されたそこには、血の絨毯に沈んだ体。変わり果てた部下の姿があった。その傍らにガンズは寄り添うと、悔しそうに涙を流す。
すまない、……すまない。
痛ましい呟き、嗚咽。シグレはその背中をじっと見つめ、顔を憂いに染めていた。
生き返らせる魔法。
ガンズは恐らく聞いていただろう。けれども彼は最後まで、シグレにその質問をすることはなかった。
数ある作品の中から、この物語を読んでいただきありがとうございます。
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