時刻38 発動せし魔法、命を賭けた決着
「ヲヲヲヲォォォォ……!」
森の木々がざわめいている、ビリビリと体に伝わるおぞましいほどのバインドボイス。
失った首の中から虚無を漏れ出させ、最後のときだと言わんばかりに対峙するトキヤの恐怖を煽る。
黒ローブの少女から浴びた重圧、フリッツは未だ自分が動くことを許されていない、それに気がつくと告げた。
「トキヤ、僕を囮にして逃げろ。君だけなら逃げられる。霧が晴れたのは、きっと誰かが結界を打ち破ってくれたからだ。今なら逃げられる」
「聞こえねぇ、何言ってるか聞こえねぇ」
落としてしまった剣に手をかけるトキヤ。カチャリと音を立て、悲鳴を上げる体を無理矢理立たせた。
左手にひしゃげた槍を、右手に刃こぼれした剣を。
「トキヤ!」
「うるせぇ! 動けねぇんだろ、だから置いてけって言うんだろ? それを聞いて『はいそうですか』なんて言えるほど、俺は素直じゃねぇんだよ! 俺は……俺は諦めねぇ!」
啖呵を切るが、武器を持った両手が震えるのは隠しきれない。
「オォ、ヲヲヲヲォォォオオ!」
ヘッドレス・クロウが咆哮を上げながら、地面へとその巨大な腕を叩き付けた。
ゴゴゴゴゴという音と共に、地響きが鳴り地震のような揺れがトキヤとフリッツの平衡感覚を狂わせ始める。
完全に狙っている、この場にいる全員を。倒れているガンズ、ジョンを含めた四人を串刺しにするための強力な一撃を発動させようとしている。
これは走って避けられるような、生易しいものではない。避けられないようにヘッドレス・クロウの全てを込めた必滅の一撃。戦闘経験が少ないトキヤでも分かるくらいに。
「聞いてくれトキヤ! 僕も隊長たちもこうなることはいつだって覚悟してきた。君が逃げても誰も恨みはしない! むざむざ死ぬ必要はないんだ! だから早く――」
「だから、逃げるのが勇者……なのかよ。フリッツがいう勇者はそんなもんなのかよ」
「トキヤっ!」
フリッツの声を置き去りにトキヤはヘッドレス・クロウの元へ走った。
ぐんぐん近づく間合い。この傷、この体ではいくら常時強化があろうが、恩恵は雀の涙程度。けれど、やるしかないのだ。
――救えるのが、動けるのが俺しかいないんなら。
剣を地面へ突き立てると、それを足場に跳躍する。
「くらぇぇぇえええっ!」
ヘッドレス・クロウを軽く飛び越せるくらいの高さから、トキヤが急降下。何度も見た、何度も避けた、もう知っている。この攻撃の最中、ヘッドレス・クロウは完全な無防備だということ。そして、もう止められないということも。
「らぁぁぁぁああっ!」
ひしゃげた槍の先端を敵の背中へ突き立てる。全力の一撃は骨を突き破り、抜けないほどにまで槍を沈み込ませた。
大ダメージのはず、だが、実際には違う。
知っている、知っているのだ。これだけでは足りないということを、トキヤは知っている。
身じろぎすらしない、悶えない。ヘッドレス・クロウは、未だにトキヤたち全員を狙っている。
「こっちだ……俺を見ろ、俺をだっ!」
振り落とされないよう槍を手に、全神経を魔力の解放に集中させる。
「ふぅ……ふぅっ……!」
息が整わない、心臓がこれ以上無いほどに高鳴る。不安がトキヤを焦せ、未だ頭に鳴り響くのは、黒いローブの少女の笑い声。
幻聴だと分かっている、けれどもかき乱される。
上手くいかない、体内の魔力が魔法を発動させられるほど集めきれない。失敗は許されないのに。
「くそ……くそ! 早く、早く!」
地中から揺れと、凄まじい音が鳴り響く。それはタイムリミットが迫っていることを告げていた。
もう時間が無い。ここで発動させなければ全員が死ぬ。
死ぬ、死ぬのだ。無残に、何もできずここで全員は死ぬ。
そんな緊迫した状況の中、不意にシスティアのことがトキヤの頭に浮かんだ。
『最っ低……もう信じないから……』
心を抉られる言葉。
それを言わせたのは自分で、原因が自分にあることは分かっていた。言いたくなんてなかったはず、だけど結果としてそんな辛い言葉を選択させた。
「ふ……はは……あれは効いたな。ちゃんとシスティに謝らねぇといけねぇのに……今、思い出すってことは心残りなんだろうな」
俯くトキヤ。
頭をかき乱す音はもう聞こえない。心臓の高鳴りはまだ消えないけれど、なぜだか心は落ち着いていた。
――刺し違えても、倒してやる。
集中力が爆発する、集めきれなかった魔力が全身から集まってくる。そんな感覚。
「今からでも全力で逃げれば間に合う! トキヤ、頼む! 逃げてくれ!」
聞こえた。
トキヤの耳に心配する声が、確かに聞こえた。俯いた顔を上げると、今度はトキヤがフリッツに笑いかける。
何度も、何度もきついときに助けられた。今度は、俺が助ける番だと言うように。
「フリッツ、失敗したら悪ぃ。でも、これで最後だぜ……ヘッドレス、いいや……ベア・ザ・クロウ」
今までの集めた情報は全部、間違いじゃない。この場にいる誰よりも大きな魔力を発動させれば、攻撃は自ずとそこへ集中する。
例に反さず、大きな魔力の根源へと大熊は狙いを変えていた。その狙いの先が、もし自分の上にいるトキヤならばどうなる?
「いくぜ」
ドッ――という音、首無し熊の下から、上にいるトキヤに狙いを絞り途轍もない巨大な大爪が突き出した――
「時魔法―時の加速―」
魔法が発動する。その瞬間から、トキヤを除いて周りの世界が灰色へと変化していく。
たとえ刺し違えたとしても、ここでヘッドレス・クロウは倒すはずだった。けれども、爪はトキヤを貫きはしなかった。
「これが、俺の魔法……? 時間が止まってる……のか?」
まるで無音の世界、何が起きたのか分からないまま背から飛び降りると、目に入ったのはヘッドレス・クロウの下からゆっくりと飛び出てくる巨大な爪。
それはゆっくりと大熊の体を貫いていく。
「違う、止まってるわけじゃない。時間の経過が遅くなってるだけ……か? っ……しまった、槍が! うっ……お!」
ヘッドレス・クロウを中心に、周りの地面が半径二メートル程度に渡り盛り上がってくる、それほどまでに巨大な爪が地面から飛び出そうとしている。
途端、グッと体が何かに引っ張られる感覚にトキヤは陥った。
「なんだ? っ――そうか、魔法が切れかかって……くそっ!」
元の時間の流れに引っ張られているのだ、この場を離れなければ串刺しになる。
もう槍は回収できない。たとえ手をかけられたとしても、あそこまで深々と刺し込んだ槍を抜くには時間が足りないのは明白だった。
トキヤはその攻撃範囲から離れるように飛び退くと、世界へ色が戻っていく。
その刹那――
――ッゴォォォォォォォン!
「うぉぉあぁぁぁぁっ!」
耳を劈く音、衝撃波と共に天を貫く巨大な塔がそびえ立った。
振り返って見てみると、その最先端には首無しの大熊が穿たれている。まるで恐怖の象徴を討ち滅ぼした正義の剣のように。
ズサッ。
音のする方へ目を向けると、フリッツが膝を付け脱力している。ようやく縛りが解けたようだ。
「トキヤ……無事、だったのか……?」
「あ、あぁ……無我夢中でやったけど、上手くいったみたいだ。今でもこうやって立ってるのが不思議なくらいで」
「はは……正直言うと、もうダメだと思った。友人を目の前で失うかもしれないと覚悟したんだぞ」
「悪ぃ……俺もそのつもりでやってた」
「おいおい……君って奴は本当に変だな。初対面の相手に命を使い潰そうだなんて。けどトキヤのおかげで助かったよ。まさか、あれを切り抜ける程の魔法が使えるなんて思わなかった」
トキヤも自身もこれほどまでとは知らなかった。今でこそそれなりの集中が必要だが、自由自在に使うことができれば相当なチート魔法と言っても過言ではないだろう。
辺りに蔓延っていた黒い霧は晴れ渡り、空には青が見える。もうあの少女の姿はどこにも――
視線を彷徨わせていたトキヤの体がガクンと崩れ落ちる。
「トキヤ! どうした⁉」
「ぐっ……なんだこれ、頭が……うぐっ!」
原因不明の頭痛と吐き気が襲う。何かされたわけではない、トキヤは原因の一つとして黒いローブの少女を思い浮かべるが、そのときほどの痛みではないことは確か。しかし、立ち上がれるかというと無理な相談。目の前が傾き、平衡感覚が掴めないまま立ち上がってもすぐに地面へ倒れるのが落ちだ。
ザザザザ。
どこからか、何かがトキヤたちの元へと近づいてくる音。痛む頭を抱えつつも、顔を上げトキヤは辺りを索敵する。
「くそ……やべぇ、フリッツ……何かが来る、まだ終わってねぇ……!」
「みたいだな。……だけど、この音は一体」
人の足音ではない、何かが引きずるような音。
フリッツは剣を杖代わりに突き立て、震える足を立たせる。血もかなり失っている影響で、足下が覚束ない。それでも尚、フリッツも未だ見えない敵の姿を確認しようと辺りを見回した。
「どこだ……どこにいる……」
フリッツが呟く。姿は見えない、だが這いずるような音が確実にこちらへ近づいてくる。
ガサッ!
その音と共に、目の端で草陰から何かが飛び出した。
そう、おかしかったのだ。魔物は完全に打ち倒すことに成功すると霧散する。それはナインズティアでは当たり前だった。だが、爪の塔の上にいるヘッドレス・クロウは未だ霧散していない。そして、あれだけ攻撃を打ち込んだとしても、ずっと動き続けていた。それはなぜか。
ズルズルズル――
「っ……う、わっ!」
今の今まで行方不明になっていたベア・ザ・クロウの首が巨大な口を開け、動けないトキヤへと襲いかかる。
失念していた。警戒を怠るべきではなかった。まだ戦いは終わっていなかったのだから。
フリッツが振り向いた瞬間、ガクンと膝が崩れる。
万全の状態なら捉えられただろう。だが、今のフリッツには反応ができなかった。もう、あの首を潰すのは間に合わない。
それでも歯を食いしばり、彼は膝を立ち上げた。
「間に合ってくれっ! トキヤぁぁぁぁ――」
最後の煌めき、渾身の力。フリッツの体はトキヤを押し飛ばし、代わりにベア・ザ・クロウの牙の前に躍り出る。
次に森に響き渡ったのは、絶叫だった。
「ぐうあがあああぁぁぁああああっ!」
右肩に食らいつき、バリバリと音を立てながら右上半身のほとんどを奪っていく。噴き出す血しぶきは非現実的な光景でトキヤを絶望に染め上げる。
フリッツの大半を喰らい終えた熊の頭は支えを失い、ボトリと地面へ落ちるとやがて動かなくなった。頭は爪の塔、熊の体と共に霧散していき、砕け散った鉄の槍が天上から降ってくる。
ゆっくりと崩れ落ちる友人の体、ビュルビュルと血を噴き出す彼の元へトキヤは体を引きずらせるとその体を抱いた。
「嘘……だ、そんな……嘘、だろ? だって……こんなの、嘘だ。嘘だ! 嘘だぁぁぁぁぁああっ!」
空へ向かって大声で叫ぶ。しかし、トキヤの悲痛な思いとは裏腹に血の絨毯は広がっていく、為す術もないくらいに。
トキヤは叫ぶ以外に何もできなかった。ただただ現実を受け入れることを拒否するように叫ぶしか、今の彼にはできなかった。
『…………そう、貴方も言わないの。でも貴方は死ぬの、それが運命なの。だから死んで?』
不意に黒いローブの女が残した呪詛が蘇る。それはトキヤの心を黒く、黒く染めていくには充分すぎる。
「俺は信じない……信じないぞ。これが運命だなんて、そんなことは……」
生きろ、生きてくれフリッツ。
トキヤは呼びかける。悲しみで心が黒く染まってしまう前に、何度も何度も呼びかける。
「ト……キヤ……」
フリッツは血を吐きながらトキヤの顔を少しだけ見て、言葉を紡いでいた。もう目の焦点はほとんど合っていない。
「ごふ……ぼ……僕は、トキヤを……守れて、よがっだ……ぐぶ……僕は、君という……勇者を……守った……んだ」
フリッツはトキヤの手をグッと握ると最後に微笑み、力なく項垂れていく。
「ダメだ、ダメだ! フリッツ……! くそ、くそっ! 頼む、回復を……そうだ、魔法だ! 光治癒! 光治癒ッ!」
必死に唱える魔法のフレーズ、それは一切意味を成さない言葉。それでもトキヤは唱え続けていた。あのとき目の当たりにした奇跡にすがるよう懸命に。
効果がないと分かった後も、何度、何回、何十回唱えただろうか。
抱く体から温もりが消え、徐々に重く、動かない物となってしまった頃、トキヤは彼の胸に額を押しつけ涙を流していた。
「なんで……なんで最後に笑うんだよ。初対面の相手に命を使い潰すなんて、変な奴だって言ってたじゃねぇかよ! 守りたかったのは俺の方だったのに、どうして……! 何が勇者だよ……誰も救えない、誰も守れない奴の何が勇者なもんかよ! そんなの勇者なんかじゃねぇ……くそ、くそ……! っ⁉」
ガサガサ。
またもや何かが地面を駆け抜ける音が聞こえる、トキヤは顔を上げると身震いし辺りを見回した。
「震えが……くそ……。またか、またかよ。いや、ダメだ、俺は……生きる、生きてやる……」
ギリッと歯を噛みしめ、音に全神経を集中させる。
駆ける音が止まった。少しすると今度はゆっくりと近づいてくるような音へと変わる。それもまっすぐこちらへ、トキヤの元に。
息を潜め、来るのを待つ。手持ちにもう武器はない、気づかれないようにするしかないが待っていても、時間の問題だった。
ならば、いっそのこと先に現れて虚を突くか――
「トキヤ君……?」
「……! シス……ティ、なのか……?」
音がする方向から聞こえたのは、よく聞き親しんだ少女の声。トキヤの声に気づいた少女は、すぐに草むらをかき分け彼の元へ赴く。
彼を探すために相当急いだのだろう。
トキヤの瞳に映るのはアイボリー色の髪に葉っぱと枝を絡ませ、肩で息をしているシスティアの姿だった。
数ある作品の中から、この物語を読んでいただきありがとうございます。
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