時刻37 闇纏う狂い少女
女の声だったと思う。しかし、曖昧だ。なぜならば直接聞くような声とは違ってノイズが酷く、聞き取りにくい。あたかも声そのものにモザイクがかかっているかのような、テレビで聞くような犯人の声みたいなものが混じっている。
息が上がる、冷や汗が吹き出る。黒く冷たい霧に覆われているのに、体はカッカと熱く燃え上がるようだ。
振り向いたら、殺されそうな……これが本物の殺気なのだろうか。
「はははは、てる脅えてるね脅えてる。良いの良いんだよ、振り向いても。殺すつもりとか、別に別に、つも殺すつもりで来たわけじゃないしね」
おかしな言葉が耳に届き、声が反響してトキヤの頭を狂わせる。強烈な殺気を放っているのに対し、言っていることは真逆。
ズキズキと頭が痛む。初期は軽く扉をノックするほどのものだったが、今ではハンマーで殴打されるような痛みへと変化していた。
「ぐっあぁぁ……ぁああぁぁっ! ぐぅ……あぁぁうぅぅ、やめ……ろぉぉぉおお!」
「あれえあれれ? たったったこれだけなのに、までここまで、闇魔法に耐性がないんが、ないんだ。じゃあ、ちょっと抑えてあげるね。ふふふ、あははは……ヒャーハハハハハ!」
イカレた高笑い。抑えてあげると言ったのはどうやら本当のようで、少しだけ頭痛が遠のく。不協和音を醸し出していた声も、若干聞き取りやすくなった。
思い出す、ガンズが言っていたことを。
結界を張ってこの森の出口を封じた人物がいる。恐らくこいつ自身がそうだ。ベア・ザ・クロウの死骸消失事件の真相も、そしてそれを操っていたのもこいつで間違いないだろう。それほど、トキヤたちに敵意を向けて攻撃していた。殺すことを厭わないくらいに。
「うぅぅぅっ! てめぇが、てめぇがこの惨状を引き起こしたのかっ! てめぇがぁぁぁ!」
膝をつき朦朧とする意識、振り返れば死ぬかもしれない恐怖の中、それでも友人をやられた怒りでトキヤは振り返った。
そこには――
「そうだとしたら? んー?」
ミリアと同じくらいの背丈の少女、魔法使いを彷彿させる漆黒のローブ。トキヤの世界ではこんな姿をした者はまずいないが、相手が魔導士なのだということはすぐに把握できた。
しかし、肝心な顔が見えない。深く被ったフードに隠れていて、髪の毛の色すらも。
「ジロジロー、ジロジローって舐め回すように見て、興味あるんだねぇ私に。あー皆まで言わなくても大丈夫。私もその気で来たんだよ、君の力に興味があって、君が欲しくて」
蹲るトキヤに少女は手をかざす。
「うっ――」
わずかな呻き声を上げたとき、既にトキヤは壁に押しつけられていた。いや違う、ただ倒れただけだ。そう錯覚するほどに一瞬の出来事だった。
地面に突っ伏した彼の頭を少女が踏みつける。頭蓋が軋む。少女とは思えないほどの強いプレッシャー。踏み抜かれれば、それこそ頭が潰れそうなほどに。
「ねぇ、私の物にならない? 強くなりたいんでしょ? フローレンスにいるよりかは幾分かマシだと思うけど、やー無理かな? ダメ? 嫌? どっちぃぃぃ?」
「あっがぁぁっぁうああぁぁああっ!」
「質問には早く答えろって教わらなかったのかなぁ⁉ ……!」
途端に頭を押しつけるプレッシャーが遠のく。何が起きたのかトキヤが気づいたのは、男の声が聞こえてからだ。
「はぁ、はぁ……あと一歩、常時強化が遅れていたら危なかった……。すまない、トキヤ。無事か……?」
満身創痍を通り越したその体で放った横一閃は、残念ながら敵を掠めることすらしない。
いつの間にか立ち上がっていたフリッツが、倒れているトキヤを守るようにして少女の前に立つ。
「う……ぐぅ……フリッ……ツ、ダメだ……そいつは……」
ヘッドレス・クロウとは比べものにならない。それほどの力の差を感じたトキヤは、かすれ声でフリッツを止めていた。
分かっている、フリッツもそれは分かっていた。
黒いフードの隙間、薄気味悪く笑う少女は幽霊のようにスーッと足を動かさず移動し、少しだけ距離を取るとフリッツに語りかける。
「あと一歩遅れていたらって? そうなるようにしてあげたんじゃない。君が彼を守るように仕組んであげたんじゃなぁぁい?」
「世迷い言を! ならば、なぜ僕を殺さなかった!」
「死んで? ねぇ、死んで? 死んで、死んで、死んで、死んで、ふふふ……あはははははは!」
言葉は通じているはずなのに話が通じない。壊れたかのように少女は同じ言葉を繰り返し、笑い、凍り付くような闇の風が舞い始める。
寒さか、恐怖か。
フリッツはカチカチと歯を鳴らし、対面した巨大な闇を前に剣を向けたまま動かない。
「な……んだ……? 体が震えて……。僕は、恐怖している……のか?」
動かないのではない、動けない。
脳が動くなと強力な信号を発している、まるで意識までも少女に操られているかのように。
「死ぬ前の気持ちはどんな感じ? 誰も教えてくれないんだよね、まだ死ぬとは思ってないから? 馬鹿だよね、死ぬのはもう運命で決まっているのに」
少女が胸の辺りまで右手を挙げる。すると、手のひらの上、渦巻くようにして強力な負のエネルギーが集まり始めた。
死ぬ、動かなければ本当に死ぬだろう。だが、フリッツの足は地面に吸い付けられているかの如く、その場から動くことを許さない。
「やめろ……やめろっ! フリッツを解放しろ! さもねぇと、俺が――」
「槍で私を刺し殺す? そんなひしゃげた槍で? でも慌てないで、大丈夫だから。そう大丈夫、彼は死ぬの、それが運命なの。さぁ早く、聞かせてよ死ぬ間際の言葉を」
ヘッドレス・クロウの血で濡れ、あの巨体に振り回された槍は既に曲がり、もう武器としては程遠い存在。使えないほどまでに陥っていた。
それでもトキヤはその鉄の棒切れで、少女を薙ぎ払う。だが――
「う、ぐ……っ」
体は既に限界を通り越していた。
距離感覚も掴めない状態で力いっぱい振った鉄の棒は、動いてすらいない少女を捉えることもできず、勢いのままトキヤは地面へと倒れてしまう。
自分のために、とフリッツはトキヤを見て歯を食いしばり、相対する敵に目を向ける。
意味の分からない思考をしている人間を、楽しませるための言葉は持ち合わせていない。だが、トキヤをこの場から逃がせるのなら、それを甘んじて受け入れてもよかった。
口を開く、敵に助けを乞う言葉を。しかし、先手を打ったのは少女の方からだった。
「あー良い、もう良い。そんな言葉が聞きたいわけじゃないの。運命で決まってるのに、友人を助けるための命乞いだなんて甚だしい。ふふ、あは! あはははは!」
思考を読んだように、告げられる。そうだ、そもそも話が通じる相手ではなかった。
「てめぇ、フリッツを……早く解放しやがれ……!」
地面を這うトキヤが、不気味に笑う少女のローブの裾を掴む。
その瞬間だった。ガラスが割れるような甲高い音と共に、辺りを覆っていた闇の霧が少しだけ晴れ渡る。
少女の口元から笑みが消える。霧が晴れ始めた原因に気づくとトキヤには視線を落とさず、当初の目的を成し遂げられなかったかのようにフリッツへ吐きかけた。
「…………そう、貴方も言わないの。でも、貴方は死ぬの。それが運命なの、だから死んで?」
右手に集められた魔力を弾けさせると、辺りがもう一度、闇で覆われる。そして今度こそ、トキヤへと視線を落とした。
「トキヤ・ホシヅキ、また会いましょ? 熊如きを退けて、もっと強くなってることを望んでる。うふふ、あはははは! ヒヒヒ、ヒャーハハハハハ!」
「待てよ……待てっ……! くそ!」
見上げた視線の先が翻されたローブに遮られる。
もう為す術がない。いくらもがこうと手に取るのは空気ばかりで、噴き出した濃い闇が次第に少女を飲み込み、その場から跡形もなく消し去ってしまった。
逃げられたと思うのも束の間、巨大な音がトキヤの耳に轟き、振り返る。
「……なんで。なんで、だよ……」
ここまで戦って、満身創痍になってようやく倒した。倒したはずだった。だが、実際にそれは動いている。
闇の中で蠢く、ドロドロに溶け腐った肉から無残に骨が見え隠れする首無し熊。
トキヤにとっての恐怖の象徴が、ヘッドレス・クロウが再び動き出していたのだ。
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