027●第5章● 〃 1964年6月16日(火)夜③:強引なスカウト
027●第5章●霊写技師と痛い就活…1964年6月16日(火)夜③:強引なスカウト
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久はしばらく凍り付いた。想定外のなりゆきに、頭の中もフリーズする。
といっても、今、一九六四年という時代に自分が存在しているという、そのこと自体がまったくもってトンデモな想定外なのだが。
「どうかね」スマホをいじくりながら、丹賀は、呆然とする久に繰り返した。「しばらくここで働いてみるのも、悪くないと思うのだが。ねえ未来少年君」
突然に、具体的かつ現実的な提案である。
非正規雇用でワーキングプアに苦しむ二十一世紀の未来人など、どこ吹く風、いくらでも仕事はあるし、それなりに稼げるといわんばかりに、涼しい顔で丹賀は言う。
「ともあれ、このすまき……」
「スマホです」と真幌場。あ、そう、と頭を掻いて言い直す丹賀。
「すまほ……は没収……もとい、預かって調べさせてもらう。なに、取り上げはしないよ、調査が終わればきちんと返却する。預かり証も書いて借用料を支払う。瓢明先生に見せて、長沢の科学センターに分析を頼むことになるが、センターの所長には、大事な物件を壊さないように重々念押しするから安心しろ」と、丹賀は漆田に視線を移す。科学的なことは漆田が担当らしい。
「そりゃもう了解です。この機械と写真を見たら、御殿山所長、逆立ちして腰を抜かしますよ」
返せと言っても無理なようだ……と覚悟する久に真幌場が告げた。
「ごめんなさいね、キュウ君。完全没収はしないけど、預かる分には法的根拠があるの。条文が必要なら、きちんと文書で示しますけど」
「……いえ、結構です」
どのみち、わめこうが暴れようが、返してはくれないだろう。
それにさっき、画面の上端に小さく表示されていた電池マークを見た。残存バッテリーはいいところ5%。明日の朝にはスマホは真っ暗なただのガラクタになっているだろう。
「ようし、これで決まりだな」本人の意思確認を完全にすっ飛ばして、丹賀は満足した様子で、「キュウ君の霊写力、たいしたものだ。マンさん、これは使えるとみたが」
「そりゃもう。キュウ君さえその気になってくれるのなら。この能力は捨てるに惜しいっスよ。霊界物質の被写体をここまで明瞭に撮像できるというのは、間違いなく、超超超、超一流の霊写技師です、ドーンと太鼓判っす!」
と請け合う漆田を受けて、「ひょっとしたら、ひょっとするかも……」と、万馬券に夢を託すかのように、万城も乗り気を見せる。
真幌場女史も両目にお星さまを輝かせて「もうウキウキするわ! キュウ君、キミは金の卵、いいえ純金プラチナダイヤモンドのゆで卵、トースターエッグよ!」
頼むからちゃんと、イースターエッグと言ってほしい……
周囲の空気の豹変に、ただもう呆気にとられる久。
たちまち、ちやほやされる自分。
このノリの良さと、歓迎ムードの目出度し感覚は、さすが昭和の一九六〇年代……ということなのか。
「よし、うちへ就職だ」と自分の胸を自分でドンと叩き、任せろ、といった態度の万城。見た目はなかなか、頼りがいのありそうな、いい感じのアニキである。「仕事場は企画課、担当は撮影記録係プラスアルファ雑用ありってことで、いいですか」
「オッケー!」と親指と人差し指で輪を作る真幌場。この女、自己紹介になかった人事部長も兼ねているらしい。社内の隠れた実力者、お局様か大奥の闇将軍ってところか。
「あの……」久は混乱した思考を纏めようと、ひたすら時間稼ぎで質問した。「それってバイトですか、それともハケン、契約社員、ええと……」
「言ってることの意味が今一つわからんが」と丹賀。
「いえ、つまり、非正規か、正規か……」
「なんだ、そんなことか、そんな区別は知らんぞ。本採用に決まっとる。それしかない。出向者は若干いるが、待遇はみな正社員だ」
「当社は定年までの終身雇用を建前とし、俸給は年功序列です。キュウ君は年齢的に中卒採用となりますが、試用期間は省略して、本日付で本採用。給与は月給制で満額支給となります。具体的には額面で一万六千円」と、真幌場は淀みなく雇用条件をそらんじる。「雇用者の法人名は“株式会社四谷プロダクション”。登記上の本社すなわち秘密基地の所在地は東亰都外堀区四谷一丁目一番地。地上社屋の住所は十二番地。勤務は一日八時間、週休は平均一日半、ただし休日・深夜勤務の不定期シフトあり。諸手当は厳正に支給。定年は五十五歳。労働組合は未結成ですが、労使協議会があります。福利厚生の面では、契約保養所があります。佐渡島の黄金秘宝館と、ルクセンブルク大公国のアルデンヌ高地にある虎山荘ですね。十月の東亰ピューテックが終わったら、慰安旅行に行けるといいよね! 東亰のここに独身寮を完備し、大浴場と食堂も付設、格安食券で三食支給可です。ね、至れり尽くせりでしょ」
すらすらと自画自賛な労働条件を示されて、久は、しまったと思った。
久の入社が、なし崩しに既成事実化されていく。
なにしろスマホを人質に取られてしまったのだ。そのことを丹賀も真幌場も承知して、逃げるに逃げられない空気を醸し出している。
いつの時代も大人はずるい。
それに、うっかり聞き逃すところだったけれど、“月給一万六千円”ってブラック企業も真っ青の暗黒ぶりだ。騙されてたまるか。
「独身寮は、四矢女学園の学生寮の隣だぞ。こよみくんとお隣同士だな」
と、万城が悪乗りして口を滑らせ、こよみが、つん、と眉をひそめた。
非人道的な安月給に加えて、さすがにこの美少女型閻魔大王閣下と隣り合わせは御免なので、就職に関する久のモチベーションは一気に急降下する。
「ご不満ですか?」と、真幌場が久の顔色をうかがう。「でも、お勧めですよ。キュウ君、今までのお話だと、キミ、身寄りがないんでしょ。お家の心当たりもないんでしょ。お金もないんでしょ。それならお決めになったらいかが。魔自、悪くないですよ。一人でここを出て、僕は未来少年だとか、魔物だ神様だ幽霊だとか喋っても、だあーれも信じてくれませんし」
「ちょいと頭のイカれた奴だと怪しまれ、その方面の病院送りだな」と、あおりまくる丹賀。
「陸海空の自衛隊さんも年じゅう隊員募集中だけど、その程度のカラダではいつまで持つかわかんねえスよ……」と、久を肉体的に値踏みする漆田。
「職安へ行けば仕事にはありつけるが、たいてい肉体労働だよ。ドヤ街で日雇い生活か、ギャング団に就職して街のチンピラになる手もあるけれど、まあ、お奨めできないな」と万城。
「東亰ピューテック開会の前に都内全域で浮浪者狩りがあるはずです。野犬狩りとセットで」と真幌場。「ね、キミの場合、たぶん戸籍もないんでしょ。捕まったら少年院か犬小屋送りになりますよ……」と真幌場。
「食い詰めると、売血に手を染めることになるぞ。生き地獄だ」と丹賀が脅しに輪をかける。
「バイケツ?」と二倍サイズの尻を想像する久に、真幌場が囁く。
「自分の~血を~売るのよ~」
ヒュードロドロといった古典的なBGMが似合う立居振る舞いで、真幌場は告げる。
「この夏は、吸血鬼も大量発生するでしょう。十代のピチピチした若い男子は絶好のカモです。全身の血を吸われてミイラ男と化した犠牲者が、この夏も盛り場を徘徊することでしょう」
「ドラキュラ男爵のカモは、若い娘っ子じゃなかったのか?」と丹賀が混ぜ返した。
「いえいえ、夜の街には女ドラキュラもいーっぱい。あたくし、ちょうどこれくらいの男の子が大好物なんです、ムフ」
すまして答える真幌場女史の妖しい笑み。
蠱惑的な唇からこぼれるつややかな八重歯に、久の背筋はぞぞっと凍る。
「食うなよ、まだしばらくは食うんじゃないぞ」真幌場の冗談に口裏を合わせて、丹賀はさらに一押し。「ふらふらしていると、歌舞伎町か花園町あたりで、鬼より恐い吸血女に生き血を抜かれて、かわりに梅毒をもらっちまうぞ」
「梅毒ではありません。ビールス性の肝炎です」と訂正する真幌場女史。
この時代では、ウイルスのことをビールスと呼んでいるようだが、どちらにしても恐ろしいことに変わりはない。健康保険なき身では、なおさらだ。こちらの世界で怪我や病気をしたら、どうすればいいのか。久にはさっぱりわからない。二十一世紀に比べて、かなり不衛生な世界だろうし。
待つのは、猛獣だらけの檻に放り込まれた仔羊の運命だ。
「キュウ君、君の窮状はよーっくわかる。孤独な境遇もよーっくわかる。さぞや心細いであろうことも、よーっくわかる」
丹賀が、「キュウ君、君のことは“よーっくわかる”」と男の情感を込めて繰り返した。繰り返されるほどに、かえってウソっぽく感じるセリフだが、なぜか丹賀が深くうなずきながら言うと、本当になにもかもわかってくれているような安心感が、ずっしりと伝わってくる。
「悪いことは言わん、うちに来れば、安全な寝床と食事と規定の給与と社会保険を保証する」と、丹賀がニカッと笑って社長らしい貫禄を見せると、ついフラフラと、はい、お任せしますと答えてしまいそうだ。
その他、あることないこと取り交ぜて散々脅され、なだめすかされて、思考回路は漏電寸前、もうこれまでと観念するところで……
久は気付いた。
就職するのは、表向きは“株式会社四谷プロダクション”の企画課、担当は撮影記録係プラスアルファ雑用係、写真を撮るだけなら楽な仕事に見える。
しかし、それだけではないはずだ。四谷プロには、裏の顔がある。むしろそれこそが彼らの本来の稼業であり、自分がさせられる仕事でもある。
「万城さん……最初、僕を捕虜にしたとき、自分たちは“秘密組織”だと言いましたよね。僕が四谷プロに就職するってことは、つまり……」
「うーんそうだな、同時に、われらが“秘密組織”にも就職することになる」
「どんな組織なんです」
万城はちらりと真幌場を見て口ごもりつつ、答えた。
「知っているんだろ? キュウ君は」
「いいえ!」知らないことは知らない、ここでいいように騙されてたまるものか、とばかりに久は断言する。
「いやこれは、キュウ君が入社を決めてくれないと、俺の口からはちょっとね……」
そう言葉を濁す万城の視線を受けて、丹賀たちの表情が、妙に曖昧になった。言っていいものやら、明らかに迷っている。
久は聞いたことがある。ブラックな会社ほど、ブラックを隠すものだ……と。
これは、ひょっとしなくても、入社すれば過労死率百二十%、生還率無限小のブラックホール・カンパニーじゃないか?
全員が黙った。気まずい十秒余りののち、久は丹賀の顔をしっかりと見て、畳みかけた。
「そこのところ、はっきりして下さい。みなさんが僕にさせようと思っている、本当の仕事って、何ですか? ここは特撮の映画会社みたいで、じつは全然違う」
要するに、それが知りたいのだ。一番知りたい、肝心なところが後回しにされている。カオスな気分で、半ばやけくそになってきたが、これだけは確かめずにおれない。
こいつらの本当の正体は、何なんだ? 続けて問う。
「もしかして超能力の雑技団? 怪獣と戦う秘密の戦隊? それなら、こよみさんたちは魔法少女なんですか?」
まあ、そんなものだね、と、なぜか真顔でうなずく一同。
混乱する久。頭がくらくらする。
こうなると久にとって、目の前の現実こそが現実離れしてくる。
ああ、ここへきてどうして、いちいち話題が脱線に脱線を重ねて、こんなにつまらない紆余曲折にはまってしまうのか。
知りたいことはひとつ、ひとつしかないというのに!
ついに久の忍耐は砕けた。
「とにかく、教えて下さい! 僕の方こそ知りたいんですよ。みなさんが本当なのかウソなのか……怪獣みたいな魔物や、機関銃を撃つセーラー服の女の子たち。遠くへつながる地獄の門に女神様、ジャージ着た魔女様の戦車隊、みんな特撮でしょ、トクサツ! そういうことにしてるんですよね。でも特撮と言いながら、じつは超能力か魔法力が本当にあるみたいだ。けれど怪獣は超巨大な張りぼてで、女神様はじつは作り物のアンドロイドかもしれない。何から何まで詐欺師みたいで、そんなの全部まとめて……信じられない!」
「いや、何もかも君が見ての通りなのだ。それでいいのだ。自分をもっと信じなさい。一般大衆の普通人には見えていないだけで、我々には完璧な事実であり真実なのだよ」
神前のお告げを思わせる丹賀の言葉に、それって完璧に、怪しい妖しい宗教の教祖様の洗脳セリフじゃないですか……と、なおさら猜疑心にからめとられた久は詰め寄り、問いかけた。
「それじゃ、今日、上野公園で起こったことは、あれって本当に、みんな絶対にマジなんですね!?」
「だから魔自だと言っている」丹賀は、何をいまさらと笑って胸を張り、平然と告げた。
「我々は魔法自衛隊だ」
今度は久が顔をひきつらせて笑う番だった。
「な、何すかそれ?」




