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挿話 ヤクタ使節団の冒険 (後編)


 湖面は穏やかに、晩春の昼の光を受けて眠気を誘うように輝いている。

 のたり(・・・)としたさざ波の音、ゆっくりとした船の揺れ。目的さえなければ平和な良い日和だ。

 快速船には最低限の乗員となる、ヤクタと水夫しか搭乗していない。少しでも逃げる速度を出すためだが、そのぶん静かで気配もざわつかず、心地よい。


 “神話の囚われの美姫(びき)”をイメージした、ゲンコツプロデュースのヤクタの衣装は金の小札(こざね)のビキニ水着。それに派手な首飾りや耳飾りをジャラジャラと飾り付け、薄衣(うすぎぬ)のヴェールと宝冠をかぶった姿。

 並外れた長身に豊満かつ筋肉質に鍛えられた濃い肌色の身体を惜しげもなく晒した上に額縁を付けて飾り立てたような姿は、見る者がクラクラするほど肉感的だ。


 ゲンコツの野郎、センスが完全におっさんだな。あとで同じ恰好をさせてやる。

 物騒な決意はさておき、その姿を極めて堂々と小型快速船の帆柱の上に現す。神話的、と言えなくもない。ただし、どう見ても生け贄の姫よりはそれを襲う美しき野獣の佇まいだろう。



 岸には使節団の騎士たちが武器を構えて潜み、その後方で町人たちが期待を込めて水竜狩りを見守っている。ヤクタが姿を現すと町人たちがドッと湧くが、必要外のところで竜を刺激しないように現地の衛兵隊が静めにかかる。

 騎士たちは、ヤクタに万一のことがあれば身を挺しても助けられるように必死の面持ちでスタンバる姿勢のまま注目を切らない。

 

 アイシャよりも大柄でメリハリの効いたヤクタの身体(ボディ)は遠くからでも視認性が高い。その姿がやにわ(・・・)に緊張を示し、背負っていた弓矢を引き絞る。



 ピュゥーィ、と笛のような音が鳴り響く。合図の鏑矢(かぶらや)だ。「来たぞ!逃げろ!引き返せ!」

 ひと声怒鳴ってヤクタがスルスルと帆柱を降りる。

 いまだ、湖面は穏やかでチャプチャプと船の舷側を叩く波も静かなもの。船上に生きてきた水夫たちは戸惑いを隠せない。


 しかし金ずくめの野獣は遠慮も容赦もなく舵取りの尻を蹴り上げ、「反転!漕げ!バカども!死ぬぞ!漕げ!」怒鳴る、怒鳴る。

 そのとき、ググっと船の舳先(へさき)が持ち上がった。



「出たァ!」

 水夫たちが恐慌を起こす。


「さっきから言ってんだろうが!ボケ!」

 ヤクタは荷物をひっつかみ、船の頭の方へ駆け上がる。


 そして取り出し、構えたのは銃。

 水面を割って現れたのは巨大な牙が並んだ口。いや、顔。しかし船からは口しか見えない。それが迫りくる。


 即断。距離は5メートルもない。躊躇も怯えもなく、引き金が引かれる。爆音。



 爆音に叩き起こされたように水夫は仕事にかかる。水竜は怯んだように顔を天に向け、高く首を伸ばす。さすがに、効いたかな? 様子を見るヤクタ。だがすぐに立ち上がり、周囲に目を向ける。

 逃げろ! でも、どこに? 攻撃するときにはなかった迷いが足を止める。そして、高く上がった竜の首が落ちてくる。

 南無三!



 湖が爆ぜる。

 間一髪、船は竜の首を避けていた。が、波に飛ばされて宙を舞う。

「しがみつけぇっ!」

 水夫の叫び。ヤクタも、跳ね飛ばされたが かろうじて帆柱に取り付く。


 着水。轟音。天地左右が、陸と水中が、生と死が一瞬区別できなくなる衝撃。



「入江に逃げ込めェ!」

 一瞬早く立ち直った水夫たちが船の各所に取り付く。運良く、転覆を(まぬが)れたばかりか向きをうまく反転できていて、しかもとんでもない追い波。快速船は矢のように浜を目指す。


 ヤクタも立ち直って銃を探す。よかった、無事だ、筒の中まで濡れてはいない。もう一発くらい、いけるか?


 逃げる船、追う水竜。ひとり呑気に次弾の装填にかかるヤクタ。後方を見ると、殺気だった竜の顔がはじめて見える。



 魚のような銀の鱗、狼のように裂けた口、虹色の丸い目、エビのように口元の獲物を捕らえるための手、首の後ろはトゲに覆われ、背には一筋の背びれが角のようにそそり立っている。


「スゲえ!あの首!斬ってオーク皇帝に見せてやったらビビるかな!」

「姐さん!勘弁してください!」

「なんだって!?殺るのはオヤジさ!もっと速く逃げろ!」


 追ってくる水竜のずっと向こうに、鏑矢の合図で出発したハーフェイズの乗る武装船がさらに追ってくる。が、遅い。

 武装した男たちが多いためでもあるし、水夫がビビっているためでもあるし、竜が起こす波に押されているためでもあるだろう。

 少しは向こうのアシストもしてやろうかな、と装填完了した銃を構える。



 目が、合う。次に、竜の視線がヤクタの胸、いや、銃口に向く。それを嫌った竜がガボゴボドドドと水中に潜っていく。


「あいつ!ビビりやがったぜ!」

 快哉を叫ぶヤクタに重なって、

「アネゴ!水が引き込まれて!進まねぇ!」

 水夫が悲鳴を上げる。


 あっ、と思った瞬間、足元が突き上げられ、空へ舞い上げられる。


 空中で、再び竜とヤクタの視線が交わる。ニヤッ、っと竜の目が(わら)う。ふざけるな!

 足場が砕けていく。突き上げられた上昇が静止に近づく。落下に変われば、身動きがとれなくなって敵のなすがままだ。生への本能が足を前へと動かす。

 跳躍!



 人々は見た。黄金ビキニの乙女が崩壊する船の舳先から、竜の頭へと跳ぶ!

 そのまま、竜の鼻先をかかとで蹴ってグルリと前転。額の上で膝立ちに起き上がり、やってやったと右手の銃を突き上げ、高らかにウォーと雄叫び。


 沿岸の観衆が熱狂の喝采を上げ、戸惑う竜の動きが一瞬ゆるむ。その隙を見逃すヤクタではない。脳天に向けての超近距離射撃を敢行。爆音が響き、煙が上がる。



 しかし、無傷。

 流石にこれは、どうしたものか。銃って、実は弱くない? 思考停止してしまったヤクタを掴み潰そうと怒声とともに邪竜の腕が伸びる。

 有効な対処をできるタイミングは過ぎてしまった。またもや本能的に、ヤクタは今度は湖へ飛び込む。それを追って、再び死の(あぎと)が迫る!…動きが、ガクンと揺さぶられる。


 ついに追いついたハーフェイスが全力で投げつけた(モリ)が竜の後頭部を刺し貫き、銛に結び付けられた大船を係留する大綱がその前進をつなぎ止めたのだ。



 ドブン。

 まだ冷たい湖水に全身を叩き込む!冷たい!思ったより底が浅い!水面、ついで湖底に叩きつけられた体がしびれる。せめて もがこうと伸ばした手を、力強く掴まれて引き上げられた。

「アネゴ!無事っすか!」


 水上には、船を失った水夫たちが板切れをかき集めたイカダを浮かべ、手慣れた熟練の技で彼女を救助してくれたのだった。

「ゲハッ!ゲホッ――!ヒュ―……ケッ! 水着で助かったぜ。サンキューな。うーッ、ブルブル」


 九死に一生を拾って、銃も水に浸かってしまったが落とさずに済んだ。弾薬の予備は船とともに水中に沈んでしまったが、持ち込んでいたのは数発だけ。大半は陸上の荷物に保管されている。大丈夫。

 一息ついて空を見上げると、頭上を竜が、空を飛んで浜の方に落ちていく。



「何だ…あぁ、オヤジか。殴り飛ばした!? アタシ、必要だったか?」


 自問するヤクタを置いて、ハーフェイズの船が竜を追って、綱に引かれて飛ぶように進む。

 浜では、待ち構えていた騎士たちが矢を射かけ、槍を構えて突撃している。が、鱗に阻まれて傷を与えられない。

 水竜は巨体をくねらせて湖に戻ろうと、倒れ伏した状態から身をもち上げる。それに立ちはだかるのはゲンコツちゃん。

 握りしめる剣は、かつて神の使徒を通して神自身を斬り裂いた、あの剣。竜に対峙した瞬間、その口の中を思わせる不吉な薄紅色の光を放つ。


 気合一閃、竜の腹が易易(やすやす)と斬り裂かれた。同時に響き渡る絶叫。地が震え、波が泡立つほどの轟音に紛れる濃密な殺気。先刻までの人を甘く見ていた気配とは打って変わった怒りと恐怖の気配。

 ゲンコツやヤクタまでも恐怖感に刺されるように、一瞬棒立ちになる。ピンチ!


 そこへの乱入者、いまだ背に刺さった銛につながる大綱の上を走ってたどってきた、ハーフェイズ。

 その得物、ファールサ国随一の大業物“天剣”が(うな)りをあげる。刹那の後、竜の首が後ろから3分の1、叩き割られた。


 血は出ない、が、何かの空気が吹き出ているようでハーフェイズは身をかわしつつ転がり落ち、ゲンコツと合流する。

 もはや竜のあげる悲鳴は断末魔に近い。周囲の人々の(とき)の声が叫びを打ち消す。

 ここからは、もうこの師弟の時間。竜の息の根が止められるまで長い時間はかからなかった。



「この首をオーク皇帝めに見せびらかそうというのは良き案ですな。とすると、鱗や革などは我が王への土産にしましょう。ヤクタ殿は欲しいものは?」


「あ、いや、結局アタシ何も出来てねぇしなァ…。」


「まさか、そんなことは。なぁシーちゃん!」

「もちろん!ヤクタ姐さんの麗しさあってこその竜退治伝説ッスよ!

(恥ずかしながら今のジブンはまだ子供なので伝説に華を添える色香は無いッス。しかし10年、20年後、伝説が広まったときにハー様の隣りにいるのはジブン。そうなれば、この伝説の美姫は“奇跡の娘”たるジブンだという伝説にすり替えられる!)」


「なんか知らんがゲンコツよ、アイシャの策くらい持って回ったことを考えてやがンな。…あぁ、オマエいちばん被害者だもんな。ま、上手くいけばいいな。」 



 背骨や腕、爪、ヒレなどは町への贈り物にする条件で、町人総出の喜びにあふれた解体作業が始まっている。

 肉は食えるのか? |手足の腱は弓に使ったりできるだろうか。内臓は薬になるか毒になるか。誰も知るものがいないまま、まずは急いで切り分けて、蓄えた“山の主”の氷塊で保存するなり日干しにするなり、これは職人たちの戦いだ。


「すげぇぞ!」

 と取り出された素材は、人頭大の金の真珠。

「これはもちろん、アネゴに!」

 喚声をかきわけて直接ヤクタのもとへ届けられる。


「こりゃあ たいしたもんだ。いいの? じゃ、もらう。アイシャへの土産にしてやろう。喜ぶかな、アイツ。ま、塔に飾る見世物にはちょうどいいだろ。」


 使節団の皆が呆れるなか、雑なほどに鷹揚なコワモテ組のツートップが雑に笑い合う。


「うぅむ、ヤクタ殿、これは竜退治話よりも貴女の黄金伝説になりそうですな。それにしても、こんなものがあるとは世界は広い!」


 英雄“天剣”の目に焼き付いた、竜の頭にまたがる金ビキニ娘の勇姿。決戦以降久しぶりに全身の血が激しく巡るのを感じた。いや、この感情はシーちゃんに気取られてはマズかろう。桑原、桑原。


 


 様々な伝説を生む長旅も、まだこれが序章。聖女伝説の外伝(スピンオフ)として長く世界に語り継がれていく、金銀財宝と血と神秘に彩られた冒険譚は始まったばかりだ。








お読みいただきましてありがとうございます。

本作は、何もなければ基本的にはもうこれきり。新作の書き溜めなどをやっていきたいと思っております。リクエストご意見あれば、いつでもどうぞ。



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