故郷とワイルドボア
ウェシバルから3時間ほど馬車に揺られた先にある小さな村。
さらにその村の外れにぽつんと建っている家。
小さいというほど小さくはなく、豪邸というほど大きくもない。普通の家族が暮らしていた、普通の家だ。
しかし今は、家の周りに雑草が生い茂り、外壁や柱には蔦が這っていた。
「ここが――アルくんのお家?」
僕、アルヴィス・クローリーは“迷い人”である天河ユウキとともに、かつて暮らしていた故郷の家に帰ってきていた。
ユウキは、この世界での野宿や宿暮らしには慣れていない。
それに【魔法槍】を使ったあとは僕も丸一日動けなくなってしまう。
このまま冒険者を続けるなら、ちゃんと落ち着ける拠点はあったほうがいい。
「激しい戦いが続きましたからね、しばらくは休養を取りましょう」
幸い、地下迷宮探索の戦利品で懐には少し余裕がある。特に死霊の魔障石はかなりの高額で引き取ってもらえた。
借金も三分の一ほど返済し、残りは40万ゴールド。
なかなか順調と言えるのではないだろうか。
「いいお家だね」
そう言って、ユウキは家の中を見て回る。
母が病死した後、村を飛び出してからもう2年ほど経つだろうか。随分と懐かしい感じがした。
屋内はうっすらと埃が積もっている以外、さほど大きな変化はない。
少し掃除をすれば問題なく生活できそうだ。
母が生前に育てていた花は、すべて枯れてしまっていたが……。
「――ここは?」
ふと、彼女はある扉の前で立ち止まった。
他とは少し違う、異質な扉。
「そこは地下室の入口で……父さんの研究室だったんだけど……」
地下室の扉は魔法による封印が施されていて開かない。
多額の借金があるのに、なぜこの家がそのまま残っているのか。“これ”がその理由だ。
中に何があるのかわからない。そのうえ封印は強力で、解除専門の魔法使いでも解析と解除に数年はかかるとのこと。
そんな地下室がある家を差し押さえたところで、持て余すだけと見たのだろう。
幼い頃、一度だけ入ったことがある。
魔法書や何かの資料の山、そして見上げるほど大きな天球儀――。
ほどなくして父は失踪し、多額の借金が残った。
父が何の研究をしていたのか、あの天球儀は何か関係があるものだったのか……今となっては知る由もない。
「大猪だ――ッ!!」
思い出に耽っていると、外から叫び声が聞こえてきた。
駆けつけた僕らが目にしたのは、体長3メートルほどの大猪。
村のど真ん中で、右に左に暴れまわっている。
はぐれ……ではない、このあたりによく出没するモンスター。とはいえ、ここまで大きな個体となるとちょっと珍しい。
いつもなら村の自警団が真っ先に駆けつけ追い払っているはず。
しかし今日は、なぜか村長と数人の村人達が農作業用のクワやスコップを手に応戦していた。
「村長! 自警団の人たちは!?」
「アルヴィス、帰ってきていたのか!
自警団のダウニーとエヴァンスは酔った勢いで大喧嘩をやらかして、二人とも怪我をしてしまってな。ホランドもたまたま不在で、俺らで追い払うしかないんだが……」
なるほど。悪いタイミングが重なった、というわけか。
「僕たちも加勢します!」
「そうか、お前さんは魔法が使えるんだったな! それは助かる!
そちらのお嬢さんは? ここは危険だ、安全なところに避難しておいたほうがいい」
むしろ彼女が主戦力なのだけど……。
「大丈夫、まかせてください!」
言いながら笑顔を見せるユウキに、村長は少し怪訝な顔をする。
無理もない。
今の彼女は手甲も千子村正もない丸腰の状態だ。冒険者に見えるかも怪しい。
こんな可憐な少女が岩鬼さえ素手で投げ飛ばす、なんて話を聞かされたところで、にわかには信じがたいだろう。
「いくよユウキ――【魔法弾】ッ!」
放った光弾が大猪の頭部に直撃。
よろめきはさせたものの、この程度で倒せるわけもない。――だけど、それで問題はない。
大猪は鼻息を荒げ、僕に向かって突進してくる。
そこにユウキが割って入った。
「お嬢さん! 何をしてるんだ、危ないぞ!!」
――ズンッ――!
大猪の巨体がまるで岩に激突したかのように跳ね上がると、そのままズシンと地面に沈む。
見れば、ユウキの右手が大猪の鼻先を押さえ込んでいた。
激突の直前に、『呼吸力』を込めた掌打で真下に逸らしたのだ。
その勢いが向かう先は地面。文字通り、岩壁に激突するに等しい。
そして動作の“基点”を奪われた大猪は、短い手足をただジタバタと動かすことしかできない。
可憐な少女が、片腕一本で荒ぶる獣を制している。
「皆さん!!」
僕の声で、呆気に取られていた村長がハッと我に返った。
「い、今だ! 仕留めろ――っ!!」
戦い慣れしていない村人達といえど、身動きの取れない大猪にトドメを刺すのは容易い。
それどころか、村人達の危なっかしい攻撃がことごとく獲物の急所に吸い込まれていく。
ユウキがうまく調整しているのだろう。どこまでも驚くべき技術だ。
大猪が完全に動かなくなるまで、そう時間はかからなかった。
「いやあ、助かったよ。
それにしてもアルヴィス、すごい嫁さんを掴まえてきたなぁ!」
――よ、嫁!?
「ち、違いますよ! 彼女はただの――」
村長の誤解を解こうとする僕の腕に、ユウキが抱きついてくる。
「ちょっ! ユウキ!?」
「えへへ」
彼女は僕の腕に抱きついたまま、いたずらっぽく笑ってみせた。
顔が赤くなっていくのを止められない。
ユウキまで僕をからかって、まったく――。
◇
「わぁ! すごいね、アルくん!」
「あまり凝った料理じゃないけど……」
その日の夕食。
仕留めた大猪の肉と、村で採れた野菜や卵を分けてもらい、思いのほか豪勢な食卓となった。
「いただきます!」
ユウキが両手を合わせる。
彼女が食事の前にいつもやっている仕草。たぶん、聖職者が食前に捧げるお祈りを簡略化したようなものなのだろう。
「! これって――」
「それは卵と油、あと柑橘類の果汁を混ぜて作った自家製のソースで……」
肉にも野菜にも合う、乳白色のソース。
この地方の家庭でよく作られているものだ。混ぜる工程がちょっと大変だけど、母も生前によく作ってくれた。
ソースを少しだけフォークの端につけると、味見するように口に運ぶユウキ。
わずかな沈黙のあと――。
つう、と一筋の涙がユウキの頬をつたう。
「ユウキ!? な、なにか味がおかしかった? あれ? 作り方を間違えたかな……」
「これ……マヨネーズだ」
マヨネーズ?
“向こう”の世界にも、同じようなものがあるのだろうか。
「――私ね」
ユウキは静かに話し始めた。
「この世界に来て、アルくんと一緒に冒険するの、すごく楽しい。
ずっと、夢に見てたような世界が広がってて……。ここに来れて、アルくんと出会えて、食べ物も美味しくて……」
「……ユウキ?」
「でもやっぱり、どうしても考えちゃうんだ。
お母さん、心配してるかなあ……。お爺ちゃん、体調は大丈夫かなあ……。学校の友達にも、また会いたいなあ……って。
頼まれてたマヨネーズも、買って帰れなくて……っ」
こみ上げてくるものを必死に堪らえようとするユウキ。それに反して、彼女の目からは大粒の涙がとめどなくこぼれ落ち、眼鏡の端に溜まっていく。
「私、この世界にずっと居たい。でも、もとの世界にも帰りたい。
これって、ヘンだよね……。ただのワガママだよね……」
冷徹な破壊者であり、孤高の求道者であり――そして、普通の女の子でもある。
そんな彼女に、どうしようもなく心奪われてしまう。
僕に何ができるかはわからない。それでも、僕は彼女の力になりたい。
「見つけよう、“向こう”の世界に帰る方法を。僕も一緒に探すよ」
そう言って、テーブル越しにユウキの手を握る。
「帰る方法がわかれば、またこちらの世界に来る方法もわかるはず。
あの『勇者』ヴァンや、千子村正も、“向こう”から流れてきた。きっと、二つの世界は繋がっているんだ。だから――」
「うん……」
ユウキは頷いて、そっと僕の手を握り返す。
岩鬼を軽々と投げ飛ばし、火陸竜を捩じ切り、実体のない死霊さえも掴む――数々のモンスターを圧倒してみせたユウキの手。
それは、小さく、柔らかい、普通の女の子の手だった。




