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前作のスピンオフなのでナンバリングは第四部ですが、ここから読み始めてもOKです。

世の理を掌握する神々の中でも、特異な存在として知られる「ヨモツオオカミ」は、あらゆる世界の狭間を渡り歩き、時に気まぐれに魂を異界へと送り出す女神であった。


かつて、ヨモツオオカミがその業を始めた理由は、ある深い怨念に基づく復讐だったという。だが、あまりにも長い年月が流れた今となっては、当初の理由など女神自身にとっても取るに足らぬものとなっていた。


燃えるようだった復讐心はとうに薄れ去り、いま彼女に残っているのは、魂を別の世界へ送り込み、その行く末を眺めることへの、ある種の気まぐれな愉しみだけであった。


ある静かな日、ヨモツオオカミのもとへ、ひとりの老婆が訪れた。


小柄で、腰の深く曲がった老女だった。だが、その佇まいには年老いた肉体を超えた不思議な気高さがあり、目の前に立つ女神に対しても、怯えや媚びのようなものは感じられない。


死後の世界において、自らの意志でヨモツオオカミのもとへ辿り着ける魂は、ほんのわずかしか存在しない。多くの魂は死と共に朽ち、女神の存在を認識することすらできぬまま、静かに消えていく。


それだけに、この老婆の来訪は、ヨモツオオカミにとっても興味深いものだった。


女神は柔らかな声で問いかけた。


「どうして、私のもとまで来ることができたのかしら?」


老婆は少しのあいだ沈黙し、やがて静かに答えた。


「ここへ来るまでの道を、忘れてしまうかと思いましたが……どうにか覚えておりましたので」


その答えに、ヨモツオオカミは薄く笑みを浮かべる。


「この世には、忘れてしまった方が幸せな道も多いのに。さて――あなたは私に何を望むの? 異世界へ転生したいというのかしら?」


老婆は小さく頷いた。


「はい。願わくば……友人が先に向かった場所へ送っていただければと」


その言葉に、ヨモツオオカミはわずかに目を細めた。


異世界への転生を望む者は珍しくない。だが、行き先を指定する者はさらに少ない。


女神が指先を軽く掲げると、老婆の友人が過ごしている世界の光景が、水面のように空間へ浮かび上がった。


そこは、魔法の存在しない世界――日本と呼ばれる世界だった。


「あなたの友人がいるのは、魔法のない世界よ。それでも構わないのかしら?」


老婆はどこか肩の力を抜いたように笑った。


「それで結構です。もう、魔法には飽き飽きしておりますので」


ヨモツオオカミはわずかに眉を寄せたが、すぐに続けて問いかけた。


「では、肉体について望みはある?」


「そうですね……もし可能であれば、十五歳ほどの、美しい少女にしていただけるとありがたいです」


女神は驚く様子もなく、淡々と頷いた。


「いいでしょう」


老婆の願いを受け入れると、ヨモツオオカミは軽く手を振った。


その瞬間、老婆の魂は淡い光に包まれ、まるで風に溶けるように再構成を始める。


長い年月を刻んでいた深い皺は静かに消え去り、曲がっていた腰はゆっくりと伸びていく。痩せ細った指先には若々しい張りが戻り、やがて滑らかな肌と、凛とした背筋を持つ少女の姿が形作られていった。


老いた魂は今、十五歳の美少女として、新たな生を得ようとしていた。


転生が完了する直前、ヨモツオオカミはふと思い出したように口を開いた。


「最後に何か、言い残すことはあるかしら?」


老婆――いや、少女へ変わりつつある魂は、一瞬だけ目を細め、何かを懐かしむように微笑んだ。


「かつて、あなた様の気まぐれには随分と振り回されました。そのことを、今さら恨んではおりません」


そこで一度言葉を切り、柔らかな笑みのまま続ける。


「ですが……できれば今後は、もう少し控えめにしていただけると助かります」


その言葉に、ヨモツオオカミはほんの一瞬だけ意外そうな表情を浮かべた。しかし、すぐにいつもの笑みへ戻る。


「まあ。私の気まぐれに振り回されたことがあったのね。でも、それもまた、あなたの運命だったのでしょう」


そう言うと、女神は軽く指を鳴らした。


空間に淡い波紋が広がり、少女の魂がゆっくりと異世界へ送り出されていく。輪郭は次第に透け、やがて光そのものへ溶けていった。


完全に消え去る寸前、少女は静かな微笑みを浮かべたまま、女神へ最後の別れを告げる。


それはヨモツオオカミへの、ささやかな皮肉だったのかもしれない。


あるいは、長い旅路の果てに辿り着いた者だけが抱ける、穏やかな感謝だったのかもしれなかった。

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