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第13話 詩が、ボクの名前を呼んだ

大阪市街・避難場所


 その朝、颯太は詩の声で目を覚ました。


「颯太、大丈夫?」


 颯太くん、ではなかった。


「……ああ」


 颯太は短く答えながら、一瞬だけ固まった。詩が颯太を呼び捨てにしたのは初めてだった。昨日、機内で「ありがとう、颯太」と言っていたが、それ以来だ。


 詩は気づいていないようだった。自然に、ただそう呼んでいた。廃墟のビルの中で、朝の薄い光の中で、颯太が目を覚ましたことを確認して、そう呼んだ。ただそれだけのことのように。


 でも颯太には、それが大きかった。


(守護共鳴──深まってる)


 UIに小さな表示が出ていた。


【NOTICE】

守護共鳴:Phase 2(進行中)

対象者との距離感・呼称の変化が確認されました


(Phase2になった。詩は無意識だ。でも──変わっている。少しずつ、確実に変わっている)


 颯太は自分の動揺を顔に出さないように窓の外を見た。外は曇っていた。大阪の空はまだ亀裂が走っているが、昨日より少しだけ少ない気がした。


「顔色いいね。昨日よりずっと」


 詩が颯太の隣に座った。本当に自然に。他に座れる場所があるのに、颯太の隣を選んだ。


「……そうか」


「うん。なんか──颯太が守ってくれてから、颯太がすごく頼もしく見えてきた」


(頼もしい──ATK42のボクが?)


 少しおかしかった。でも、嬉しくなかったわけでもなかった。



 その日の移動中、詩が何度か「颯太」と呼んだ。


 「颯太、あっちに何かいる?」「颯太、休憩できそうな場所ない?」「颯太、さっきの魔物どこ行った?」


 そのたびに颯太は少しだけ間を置いてから答えた。動揺を悟られないようにした。平静を保つのは難しかったが、なんとかそうした。


 翼が気づいていた。颯太と目が合うたびに、翼が微かに笑った。颯太は毎回無視した。


 昼頃、比較的安全な廃墟の建物に入って小休止した。水と食料を配っていると、橋本七虹(はしもとなにこ)が颯太に言った。


「夜刻くん、さっきから日向(ひなた)さんに「颯太」って呼ばれてない?」


「……ああ」


「いつからそうなったの?」


「……ボクにも、よくわからない」


 橋本が「仲いいね」と言って、詩に食料を持って行った。颯太は何も言えなかった。翼が遠くから「なんか顔赤くないか」と言った。颯太は無視した。



 夕方、廃墟に戻った時、詩が颯太の隣に座って言った。


「ねえ、颯太」


「……なんだ」


「なんか最近、名前で呼んでるけど、嫌だった?」


「嫌じゃない」


 即答した。少し早すぎたと思った。詩がまた微かに笑った。


「ならよかった。なんか自然にそうなってた。最初は気づかなくて、橋本に言われて初めて「あ、そうなんだ」って思ったんだよね」


(自然に──そうだ。守護共鳴は詩に強制しているんじゃない。詩の中にある何かを、引き出している)


 颯太はポケットの告白メモを指先で触れた。


(ボクが何十回も詩のそばに戻ってきた──その積み重ねが、今の「颯太」という呼び方になっている。これが守護共鳴だ)


「颯太は、あたしのことどう呼んでる?」


「……詩、だ」


「最初からそうだったっけ」


「……ループの途中から。詩の方が言いやすかった」


「ループって?」


 颯太は「いや、なんでもない」と言った。詩が「また謎のこと言ってる」と笑った。颯太は少しだけ笑い返した。



 夜、見張りの時間、颯太はUIを開いた。


「颯太」という呼び捨てが、耳の奥にまだ残っていた。


(詩が颯太と呼ぶ。それだけのことだ。でも──何十回のループで、ずっと「颯太くん」だったのに)


 颯太には、その差がわかった。距離の差だ。心の距離が、少しずつ縮まっている。守護共鳴のせいかもしれない。でも──关係なかった。


(理由がなんであれ、詩がボクのことを「颯太」と呼ぶ。その事実だけが、今夜のボクには十分だ)


 翼が「何ニヤニヤしてんだ」と言った。颯太は「ニヤニヤしてない」と答えた。翼が「してたぞ」と言った。颯太は無視した。


 颯太はUIのメモに一行書き足した。


【記録】

詩が「颯太くん」から「颯太」に。守護共鳴Phase2確認。

切なさもある。でも──今夜は、嬉しい方が大きい。



 翌朝もまた、詩は「颯太、おはよう」と言った。


 颯太は「おはよう」と答えた。今度は間を置かずに。


 詩が少し嬉しそうな顔をした。颯太はそれに気づいたが、気づかないふりをした。


 翼が「今日の経路を確認しておく」と言った。颯太は「頼む」と答えた。


 出発の準備をしながら、颯太は静かに思っていた。


(「颯太」という呼び方が、毎日続いていく。ループがリセットされたら、また「颯太くん」に戻る。そのたびに、また「颯太」になるまで待つ)


 切ない。でも──それがボクに許された時間の使い方だ。


 詩が「行こう」と言った。颯太は頷いた。三人で廃墟を出た。


 大阪の空に亀裂が走っている。でも「颯太」という声が、今日も颯太の耳の奥にあった。



 その夜、颯太は一つのことを確認した。


 守護共鳴のPhase2が続いている。詩が「颯太」と呼ぶことが当たり前になりつつある。詩は気づいていないが、颯太には見えている。


 UIの「守護共鳴:Phase 2(進行中)」という表示が、薄く光り続けていた。


(この数値が上がるほど、詩は颯太のそばを安全だと感じる。守護共鳴が完成した時──チップの謎が解ける鍵になるかもしれない)


 颯太はそう考えながら、目を閉じた。


 詩の「颯太、おはよう」という声が、また明日も聞ける。そのことだけが、今夜の颯太には十分だった。



 颯太は廃墟の夜を過ごしながら、「颯太」という呼び方について考えていた。


 ループがリセットされたら、また「颯太くん」から始まる。そしてまた少しずつ、「颯太」になっていく。その繰り返しが、切なくもあり、なぜか温かくもあった。


 詩は颯太のことを覚えていない。でも守護共鳴が、詩の中に何かを積み上げている。


(それでいい。積み重ねればいい。何十回繰り返しても──いつか全部終わった時に、詩の隣に立てればそれでいい)


 颯太は窓の外を見た。大阪の空に亀裂が走っている。


 でも今夜は、「颯太」という声が耳の奥にあった。



 颯太はもう一つのことを考えていた。


 「颯太」と呼ばれるたびに、颯太は自分が少しずつ変わっていく気がした。最初のループでは「全部1のゴミ」と笑われた。でも今は、詩が「颯太」と呼ぶ。翼が「お前がいれば大丈夫だ」と言う。砂川先生が「頼む」と言った。


 何十回のループで積み上げてきたものが、今の颯太を作っている。


(ボクが弱いのは、今だけだ──最初にそう言い聞かせた言葉が、今は本当になってきている)


 颯太は静かに息を吸った。大阪の夜が、静かに続いていた。


 翌朝もまた、詩は「颯太、おはよう」と言った。颯太は「おはよう」と答えた。それだけで十分だった。


 明日もきっと「颯太」と呼んでくれる。その予感だけで、今夜は眠れる気がした。


 おやすみ。

読んでくださりありがとうございます!


「颯太くん」が「颯太」になりました。颯太は絶対に覚えています。


面白いと思っていただけたら、ブックマークと評価をいただけると励みになります。次話もよろしくお願いします!

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