第13話 詩が、ボクの名前を呼んだ
大阪市街・避難場所
その朝、颯太は詩の声で目を覚ました。
「颯太、大丈夫?」
颯太くん、ではなかった。
「……ああ」
颯太は短く答えながら、一瞬だけ固まった。詩が颯太を呼び捨てにしたのは初めてだった。昨日、機内で「ありがとう、颯太」と言っていたが、それ以来だ。
詩は気づいていないようだった。自然に、ただそう呼んでいた。廃墟のビルの中で、朝の薄い光の中で、颯太が目を覚ましたことを確認して、そう呼んだ。ただそれだけのことのように。
でも颯太には、それが大きかった。
(守護共鳴──深まってる)
UIに小さな表示が出ていた。
【NOTICE】
守護共鳴:Phase 2(進行中)
対象者との距離感・呼称の変化が確認されました
(Phase2になった。詩は無意識だ。でも──変わっている。少しずつ、確実に変わっている)
颯太は自分の動揺を顔に出さないように窓の外を見た。外は曇っていた。大阪の空はまだ亀裂が走っているが、昨日より少しだけ少ない気がした。
「顔色いいね。昨日よりずっと」
詩が颯太の隣に座った。本当に自然に。他に座れる場所があるのに、颯太の隣を選んだ。
「……そうか」
「うん。なんか──颯太が守ってくれてから、颯太がすごく頼もしく見えてきた」
(頼もしい──ATK42のボクが?)
少しおかしかった。でも、嬉しくなかったわけでもなかった。
◆
その日の移動中、詩が何度か「颯太」と呼んだ。
「颯太、あっちに何かいる?」「颯太、休憩できそうな場所ない?」「颯太、さっきの魔物どこ行った?」
そのたびに颯太は少しだけ間を置いてから答えた。動揺を悟られないようにした。平静を保つのは難しかったが、なんとかそうした。
翼が気づいていた。颯太と目が合うたびに、翼が微かに笑った。颯太は毎回無視した。
昼頃、比較的安全な廃墟の建物に入って小休止した。水と食料を配っていると、橋本七虹が颯太に言った。
「夜刻くん、さっきから日向さんに「颯太」って呼ばれてない?」
「……ああ」
「いつからそうなったの?」
「……ボクにも、よくわからない」
橋本が「仲いいね」と言って、詩に食料を持って行った。颯太は何も言えなかった。翼が遠くから「なんか顔赤くないか」と言った。颯太は無視した。
◆
夕方、廃墟に戻った時、詩が颯太の隣に座って言った。
「ねえ、颯太」
「……なんだ」
「なんか最近、名前で呼んでるけど、嫌だった?」
「嫌じゃない」
即答した。少し早すぎたと思った。詩がまた微かに笑った。
「ならよかった。なんか自然にそうなってた。最初は気づかなくて、橋本に言われて初めて「あ、そうなんだ」って思ったんだよね」
(自然に──そうだ。守護共鳴は詩に強制しているんじゃない。詩の中にある何かを、引き出している)
颯太はポケットの告白メモを指先で触れた。
(ボクが何十回も詩のそばに戻ってきた──その積み重ねが、今の「颯太」という呼び方になっている。これが守護共鳴だ)
「颯太は、あたしのことどう呼んでる?」
「……詩、だ」
「最初からそうだったっけ」
「……ループの途中から。詩の方が言いやすかった」
「ループって?」
颯太は「いや、なんでもない」と言った。詩が「また謎のこと言ってる」と笑った。颯太は少しだけ笑い返した。
◆
夜、見張りの時間、颯太はUIを開いた。
「颯太」という呼び捨てが、耳の奥にまだ残っていた。
(詩が颯太と呼ぶ。それだけのことだ。でも──何十回のループで、ずっと「颯太くん」だったのに)
颯太には、その差がわかった。距離の差だ。心の距離が、少しずつ縮まっている。守護共鳴のせいかもしれない。でも──关係なかった。
(理由がなんであれ、詩がボクのことを「颯太」と呼ぶ。その事実だけが、今夜のボクには十分だ)
翼が「何ニヤニヤしてんだ」と言った。颯太は「ニヤニヤしてない」と答えた。翼が「してたぞ」と言った。颯太は無視した。
颯太はUIのメモに一行書き足した。
【記録】
詩が「颯太くん」から「颯太」に。守護共鳴Phase2確認。
切なさもある。でも──今夜は、嬉しい方が大きい。
◆
翌朝もまた、詩は「颯太、おはよう」と言った。
颯太は「おはよう」と答えた。今度は間を置かずに。
詩が少し嬉しそうな顔をした。颯太はそれに気づいたが、気づかないふりをした。
翼が「今日の経路を確認しておく」と言った。颯太は「頼む」と答えた。
出発の準備をしながら、颯太は静かに思っていた。
(「颯太」という呼び方が、毎日続いていく。ループがリセットされたら、また「颯太くん」に戻る。そのたびに、また「颯太」になるまで待つ)
切ない。でも──それがボクに許された時間の使い方だ。
詩が「行こう」と言った。颯太は頷いた。三人で廃墟を出た。
大阪の空に亀裂が走っている。でも「颯太」という声が、今日も颯太の耳の奥にあった。
◆
その夜、颯太は一つのことを確認した。
守護共鳴のPhase2が続いている。詩が「颯太」と呼ぶことが当たり前になりつつある。詩は気づいていないが、颯太には見えている。
UIの「守護共鳴:Phase 2(進行中)」という表示が、薄く光り続けていた。
(この数値が上がるほど、詩は颯太のそばを安全だと感じる。守護共鳴が完成した時──チップの謎が解ける鍵になるかもしれない)
颯太はそう考えながら、目を閉じた。
詩の「颯太、おはよう」という声が、また明日も聞ける。そのことだけが、今夜の颯太には十分だった。
◆
颯太は廃墟の夜を過ごしながら、「颯太」という呼び方について考えていた。
ループがリセットされたら、また「颯太くん」から始まる。そしてまた少しずつ、「颯太」になっていく。その繰り返しが、切なくもあり、なぜか温かくもあった。
詩は颯太のことを覚えていない。でも守護共鳴が、詩の中に何かを積み上げている。
(それでいい。積み重ねればいい。何十回繰り返しても──いつか全部終わった時に、詩の隣に立てればそれでいい)
颯太は窓の外を見た。大阪の空に亀裂が走っている。
でも今夜は、「颯太」という声が耳の奥にあった。
◆
颯太はもう一つのことを考えていた。
「颯太」と呼ばれるたびに、颯太は自分が少しずつ変わっていく気がした。最初のループでは「全部1のゴミ」と笑われた。でも今は、詩が「颯太」と呼ぶ。翼が「お前がいれば大丈夫だ」と言う。砂川先生が「頼む」と言った。
何十回のループで積み上げてきたものが、今の颯太を作っている。
(ボクが弱いのは、今だけだ──最初にそう言い聞かせた言葉が、今は本当になってきている)
颯太は静かに息を吸った。大阪の夜が、静かに続いていた。
翌朝もまた、詩は「颯太、おはよう」と言った。颯太は「おはよう」と答えた。それだけで十分だった。
明日もきっと「颯太」と呼んでくれる。その予感だけで、今夜は眠れる気がした。
おやすみ。
読んでくださりありがとうございます!
「颯太くん」が「颯太」になりました。颯太は絶対に覚えています。
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