第1話 今日こそ告白する、そう決めた修学旅行の朝だった
ポケットの中に、四つ折りの紙がある。
何度確認したかわからない。朝、家を出る前に。羽田空港の集合場所で。搭乗ゲートをくぐる時にも。そのたびに人差し指で形を確かめて、まだそこにあることを確認した。
告白メモだ。
昨夜、机に向かって一時間かけて書いた。何度も書き直した。最終的に残ったのは、たった二行。シャープペンシルの跡がかすかについた、くしゃくしゃのルーズリーフ。
ボクは、日向詩のことが好きです。
付き合ってください。
……小学生の手紙みたいだ。でも他の言葉が思いつかなかった。
夜刻颯太は、窓際の座席22Aに座っていた。
三列シートの左端。隣の22Bには、日向詩が座っている。通路側の22Cは、清水壮真が陣取っていた。
座席は抽選だった。この隣の席が当たった時、颯太は画面を三回見返した。それでも番号は変わらなかった。
(今日しかない)
飛行機が動き始めると、詩が小さく声を上げた。
「離陸するね。なんか緊張する」
颯太は窓の外を見たまま、短く答えた。
「ああ」
それだけだ。もっと気の利いたことが言えたらよかった。でも颯太の語彙はそこで止まった。
エンジンの音が大きくなる。シートに背中が押し付けられる感覚。窓の外で滑走路が流れ、速くなり——機体が浮いた。
眼下に東京湾が広がった。朝の光で水面が鈍く光っている。
(沖縄に着いたら言おう。到着して、みんなが荷物を取りに行ったすきに。それだけでいい)
「今日こそ」と決めたのは、これで何度目だろうか。文化祭の打ち上げの時も、体育祭の後も、三者面談の帰り道でも——結局、告白メモはポケットの中で一度も出番がなかった。
でも今日は違う。修学旅行だ。二泊三日。帰り道がある。
(全部終わったら言おう。全部終わったら、絶対に)
◆
一時間ほど経つと、機内は落ち着いた空気になった。
隣で詩が文庫本を開いていた。栞の代わりに指を挟んだまま、窓の外をぼんやり見ている。光が横顔に当たって、まつ毛の影が頬に落ちていた。
(いつもそういうことに気づく。ボクは本当に、どうしようもない)
後方の席から磐の笑い声が聞こえた。うるさい。机を揺らすような声で、陰山が何かに同調してへらへら笑っている。修学旅行の機内でも、あいつらは変わらない。
気にしないようにした。
時計を確認する。10時22分。
高度35,000フィート。雲の上だ。窓の外は一面の白で、その上に青い空が広がっていた。東京から離れるほどに、颯太の気持ちは少しだけ軽くなっていた。
詩が文庫本をしまった。それに気づいた颯太は、反射的に口を開いた。
「詩、ボク——」
詩が颯太の方を向いた。
「うん?」
(今だ。今言えばいい。なんでもいい、何か——)
その瞬間だった。
空が、割れた。
窓の外の青空が、突然、解像度を失った。
滑らかだったはずの青が、粗い四角の集まりに分解されていく。ピクセルが剥がれるように、色が、光が、遠くから順番に意味を失っていく。まるで精巧に描かれた絵が、その裏側から何かに書き換えられているように。
次の瞬間、空に——文字が走った。
人間の言葉ではない。数式でも記号でもない。ただ「何かの命令」だとわかる、無機質な光の羅列が、大気を引き裂くように一直線に広がった。
そこから、何かが這い出てきた。
悲鳴が上がった。
颯太は反射的に詩をかばおうとして、座席ベルトに阻まれた。機体が激しく揺れた。酸素マスクが落ちてきた。誰かが転んだ。誰かが泣き出した。
そして——颯太の視界に、文字が浮かんだ。
【STATUS】
Lv1
HP:1
ATK:1
DEF:1
SPD:1
スキル:なし
透明なガラス板に刻まれたような文字。颯太にしか見えない。そんなことはわかった。なぜかわかった。
これがボクの、能力だ。
でも——全部1? スキルはなし?
「夜刻! お前のステータス見せろ。ボクのはすごいぞ」
清水が驚いた顔で言った。磐が後方から声を上げた。
「はー? 夜刻、お前それゴミじゃん。全部1て」
陰山がにやにやしながら続く。
「スキルなし? マジで何もないじゃん。笑えるんだけど」
颯太は答えなかった。
詩を見た。詩は怯えた様子で窓の外を見ていた。それでも颯太の視線に気づいて、小さく微笑んだ。
「颯太くん、大丈夫?」
(大丈夫じゃない。でも——)
その笑顔が消えたのは、それから22秒後のことだった。
◆
颯太は、同じ場所にいた。
窓の外の空はまだ青い。10時29分21秒。Xデーの、一秒前。
隣の22Bに、詩がいる。
颯太はゆっくりと息を吸った。ポケットの中の告白メモを、指先で確かめた。
(また、始まりだ)
——ボクは、何度でも戻ってくる。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
第1話、いかがでしたでしょうか。
主人公・夜刻颯太は「ボク」と自分を呼ぶ、弱気で少し不器用な男の子です。告白メモをポケットに入れたまま言い出せない——そういう子が、崩壊した世界でどう変わっていくのか、ぜひ見届けてもらえると嬉しいです。
「22秒後」に何が起きたか、次話でお見せします。
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