22-23. 息Ⅱ
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――――ティマクス王城。
王族の住まう、最上階への階段。
燭台のロウソクは既に燃え尽き、唯一の光源は窓から入る青白い月明かりのみ。
その踊り場に、2人は佇んでいた。
「……もう大丈夫そうだね、カマキリの魔物」
「そうだな。倒し切っただろう」
王族の住まう最上階を護っていた、神谷と可合だ。
何度かに分けて襲ってきたシニガマンティスは、2人の【剣術】と【光系統魔法】を前に為す術も無く。
今や亡骸と成り果てた彼らはゴロゴロと階段に転がっている。
「……よーく見ると案外かわいい顔してる」
そんな亡骸の横でしゃがみ込む可合。
月光に照らされたマンティスの顔をまじまじと眺める。
「止めたまえ美優、油断禁物だ。トドメを刺した心算でも急に動き出すかもしれない」
「……たしかに。もう少し気をつけなきゃ」
すかさず諭す神谷。
可合も頷いて立ち上がる。
――――すると。
窓から差し込む月明かりが、ふと弱まった。
「……ん」
「……あれ?」
一層暗さを増す階段。
灯りを求めて2人は窓際に歩み寄り、空を見上げると。
「雲……なの?」
「何だあれは?」
――――上空には、灰色の靄。
雲のような何かの靄が、満月を遮っていた。
「あの黒くてモヤモヤした感じ……雨雲?」
「そうとも見えるが……」
王都上空をすっぽりと覆う、黒みを帯びた分厚い靄。
色調とも相まって今にも降り出しそうな雨雲にも見える――――が。
「……しかし美優、雲にしては不思議ではないか? 今宵は快晴、つい先程までは雲の一つも無かっただろうに」
「うんうん、そうだよね。満月も星もキレイに見えてた」
「天気の急変しやすい山岳地帯ならまだしも、此処でそんな空模様が変わるとは考えづらいだろう」
「となると、勇太くん……あのモヤモヤは一体?」
「何だか嫌な予感だ……」
不吉さこそ感じられど、2人にはそれが王都中を死に至らしめる残酷な物質であるとは知る由もなく。
ゆっくりと高度を下げて近付く靄を、不思議に感じながら眺める事しかできなかった。
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――――王都のはるか上空から降り注ぐ、どす黒いモヤモヤ。
それは、他でもない最凶の魔鱗粉。
ギガモスの放ってしまった【虫の息】だ。
たった1体の魔物が空中に放った大量の鱗粉は。
またたく間に空気中を漂いながら拡散し。
王都をすっぽりと覆うほど、広がって。
雲や霧のような姿をしながら。
徐々に地上に向かって降下する。
……王都の人々の息の根を、ごっそりと断ち切るために。
王都の人々の命を貪り喰うために。
その正体を知らない同級生達なら、きっとアレを見ても『ああ曇ってきたな』とか『雨降りそう』としか思わないんだろう。
……いや、そもそも気付きすらしないかもしれない。
神経質な神谷くらいなら、もしかすれば『不思議だ』とか言ってるかもしれないけど。
……しかし。
考えてもみて欲しい。
黒いモヤモヤ、その正体が死をもたらす凶悪な粉塵だと知った上で……為す術もなく、ただゆっくり降下してくるのを見させられる気持ちを。
無力感。
絶望。
後悔。
怨恨。
無念。
ぐるぐると脳内を駆け回る、負の感情。
ついさっきまで、ノリに乗っていた僕達が感じていた興奮や歓喜とは真逆の感情。
ブクブクと膨れ上がる負の感情は、今までに積み重ねていた正の感情を
そしていつしか……膨れ上がった負の感情は、今まで積み重ねてきた正の感情を差し引き尽くし。
僕達の感情は――――無になった。
――――無。
何も感じない。
頭が動こうとしない。
それはまるで……1問たりとも解けない定期試験を前にした感覚。
A3用紙いっぱいに印刷された解答用紙。ずらりと並ぶ解答欄。
しかし、1枠すらも埋まらない。全空白。
唯一書けたのは年組番と氏名だけ。
0点確実。
抗いようのない敵。
もはや絶望すらも沸き上がらない……無。
何も考えられず、感じられず、ただ試験時間が過ぎていくだけ。
まさに『無』の感情。
「……………………」
そんな虚無感の中じゃ、言葉なんて出やしなかった。
呻き声すらも出なかった。
口は開けていても。
なぜならば、僕達の感情は無になってしまったから。
【虫の息】に冒される前に、もう死んでしまったから。
……そしてそれは、皆も同様だった。
「「「「……………………」」」」
シンも、コースも、ダンも、アークも。
こんな状況の中、正気を保てる方がもはや異常だった。
――――【恒等Ⅰ】の効果終了まで、あと2分。
徐々に高度を下げる【虫の息】。
もう既に、雲にしてはやけに低いところまで降りてきている。
徐々に迫る、王城の突端。
王都で最も高い所にある、その円錐状の屋根の下には……王族の居室。
もし【虫の息】のモヤモヤが王城を覆ってしまえば……どうなるかは言うまでもない。
そしてそれは、王族に限った話ではない。
王城の上部を覆い尽くした【虫の息】が、更に更に高度を下ろしたら……。
【虫の息】はついに――――王族を皮切りに、王都に居る全てを屠る準備へと入った。
――――だが。
結論から言おう。
僕達は――――この戦いに勝った。
勝ったのだ。第二軍団に。
軍団長・ギガモスの【虫の息】に。
1人の犠牲者も出すことなく。
彼女の言葉が――――絶望的なこの流れを、断ち切ったのだ。




