22-12. 蜘蛛糸
「シンダンアーク! 避けろォ!」
咄嗟に声が出る……が、もう既に蜘蛛糸は彼らの眼の前まで接近。3人に避ける余裕はもう無い。
クソッ! こうなったら僕のバリアでッ!
「【定義域――――
「うわッ!?」
「うぐッ!?」
「キャッ!?」
が、無情にもあと一歩間に合わず。
3本の蜘蛛糸が、シン・ダン・アークの胴体を絡めとる。
「くっ、蜘蛛の糸ですか!?」
「ううっ……とっ、取れないっ!」
「しかも巻き付いてきやがるぞッ!」
まるで生きた縄のように巻き付く蜘蛛糸。
両手両足、更には長剣や大盾、炎を失った槍にまで糸が絡まって身動きを封じる。
そんな繭玉のように縛り上げられた3人を嘲笑う様に……糸を吐いた張本人が、その姿を露わにした。
「アーッハハハハハハハハハ!!! 待ってたわよぉー!」
高笑いのギガモスが見守る中、青白い光が徐々に弱まる。
光のカーテンを開くように、その中から現れたのは……黄褐色の巨大蜘蛛。
「……久し振りねぇー。元気だったかしらぁ?」
その躯体はヘリポート大の魔法陣でさえギリギリな程に大きく、全身を覆うは黄褐色の産毛。
腹部の先からはシン・ダン・アークへと伸びる3本の糸が伸び、顔面には不気味に輝く何対もの赤眼。
そんな赤眼の下には……巨大な顎を備えた大口。
「今日も相変わらず美しいわぁ。……サモンド・スパイダーちゃん」
見るからに恐ろしい外見といい、動かずとも重圧を与える体格といい――――それはもう、強者でない訳がない。
ギガモスの【虫寄せ】で召喚した第二軍団の隠し玉、サモンド・スパイダーだった。
「くぅッ……あんな巨大な魔物がッ!?」
「早く逃れなきゃ……っ!」
「けど自力じゃビクともしねえぞ……!」
スパイダーを見て、蜘蛛糸から逃れようと必死に藻掻く3人。だが、藻掻くたびに蜘蛛糸はむしろ絡まっていく。
……クソッ! 僕達がなんとかするしかない!
「コース、チェバ!」
「おっけー!」
「わんッ!」
南門からシン達の下へと駆け出す後衛組。
……だが、そんな僕達を見逃すほどギガモスも馬鹿じゃない。
「シニガマンティスの貴方たちぃー! 白衣の勇者を通しちゃダメよぉー!」
ギガモスが号令を掛けるや否や、前衛組との間に割って入る黒カマキリ。
戦っていた相手を失ってノーマークになった奴らが、今度は僕とコースの前に立ちはだかる。
「クソッ! 通せ!」
「ジャマだよーっ! 【氷放射Ⅵ】」
眼前の黒カマキリに冒険者のナイフを振るう。
コースも氷のつぶてで道を作ろうと対抗する……が、倒せど倒せど壁の後ろからは次々と補充される黒カマキリ。
直接戦闘力に乏しい冒険者のナイフと【水系統魔法】では、突破力が足りない。
幾ら相手が7乗根のスケールで弱体化していようと、頭数というのはそれだけで大きな壁になり得る。
南門を護っていた僕達が、まさか南門から出れなくなるなんて……。
――――そんな足止めを受ける僕とコースに、溜まった鬱憤を晴らすかのごとくギガモスは次の手を打った。
「さぁーて、それじゃあスパイダーちゃん……お腹は減っているかしらぁ?」
「「「「「なッ……」」」」」
顔を青ざめる僕達を尻目に、キシシッと嬉しそうに鳴くスパイダー。
「そう、それならぁ……ご飯の時間にしましょうねぇー! そいつらを食べちゃいなさぁーい!!!」
ギガモスの声に、一番前の両脚で自身の蜘蛛糸を握るスパイダー。
シン、ダン、アークそれぞれに繋がる3本の糸を束ねると……ゆっくりと糸を手繰り寄せる。
手足の自由が利かず、糸を引かれて横倒しになる3人。
尚も藻掻くが蜘蛛糸は解けず、むしろ締める方に働く蜘蛛糸。
「うっ……ッ!」
「やめろオォ!!」
「放してっ!!」
そのままズリッズリッと草原を引き摺られながら、次第にサモンド・スパイダーへと引き寄せられ。
為す術のない3人が徐々に南門から離されていく。
その蜘蛛糸が引かれる先には……顎を開いて涎を垂らすスパイダーの大口。
【恒等Ⅰ】の20分なんて比じゃない程のタイムリミットが、彼らに迫っていた。
「先生先生! シンたちが!!」
「あ、ああ…………」
――――脳内に、あのトラウマの瞬間が蘇る。
シンが、ホエールに丸呑みされる瞬間が。
「ヤバい……」
頭が真っ白になりかける。
足が竦む。
「けど……させない」
が、パニックに陥りかける手前でなんとか踏ん張り。
自分自身に言い聞かせる。
させない。
そんな事、絶対させない。
次こそは、絶対させない。
そう、誓ったのだ。
「絶対させないッ!」
この前のシンの様には、させない。
絶対に彼らを守る。
この黒カマキリの壁を超えて。
何日も何日も、CalcuLegaで作戦会議を重ねて準備してきたのだ。
出来る。僕なら。
僕達なら。
そう言い聞かせ……頭の中に、この状況を打破する手札を並べた。
残る手札:4枚。
「【冪根術Ⅵ】・all7!」
スパイダーに弱体化魔法を発動。
……だが、見た目に大きな変化は無い。蜘蛛糸の手繰りが僅かに遅くなったのみ。
残る手札:3枚。
「ククさん!!」
ククさんを召集。
……だが来ない。王都内、僕の声の届かない所にいるようだ。
残る手札:2枚。
「【冪乗術Ⅵ】・all7!」
イチかバチか、ステータス強化を僕・コース・チェバに付与。
……だが、案の定【恒等Ⅰ】と干渉して使えない。
やっぱりダメだったか……。
そして――――残る手札:最後の1枚。
「……行くしかないか」
コレは実際、【恒等Ⅰ】以上に時間制限と使用後の反動が強いから……まだこんなに敵が残っている中盤では使いたくない手札だった。
けど、仕方ない。他の手札が切れた以上、コレに頼るしかないのだ。
速攻で行くしかない。
「……よし」
時間がない中、ササッと覚悟を決め……声を掛けた。
「…………コース。チェバ。準備は良いか?」
「うん」
「わんッ」
僕の覚悟が決まった眼を見て察したのか、いつになく落ち着きのあるコースとチェバ。
「……行くよ、チェバ」
「わんッ!」
そんなコースが、ギュッとチェバを抱きしめた。
……両者の気が、呼吸が、鼓動が、一致する。
「頼んだぞ、チェバ・コース――――
それを確認した、僕は。
最後の1枚の手札にして、とっておきの……【演算魔法】を唱えた。
「【合成Ⅰ】ッ!!!」
そう唱えた瞬間。
コースとチェバの全身が、灰色のノイズに包まれる。
色を失って輪郭しか分からなくなった、『1人』が『1頭』を抱く姿。
そんなシルエットを……その形を、ゆっくりと変えていった。
∠∠∠∠∠∠∠∠∠∠
――――全く異なる存在。
コースとチェバ。
かたや、人間。
かたや、魔物。
かたや、魔法使い。
かたや、物理攻撃。
かたや、王国。
かたや、魔王軍。
共通点のまるでない彼ら、チェバとコース。……だが、それにかかわらず両者の仲は絶好。
それはもう、元々は敵軍同士という事を微塵も思わせない程に。
何がお互い引き合っているのかは分からないが、僕が『この世界』に来てからこれ程の組合せを見た事は無いだろう。
そんな関係を、日本語では『波長が合う』と言う。
コースの持つ生命の波と、チェバの持つ生命の波……まるでそれらが一致して噛み合うかのような仲の良さを、そう言い表すのである。
――――そして、その両者に【演算魔法】は力を与えた。
y=sinθ と y=cosθ 、異なる2つの正弦関数を1つの正弦関数に仕立てるように。
y=√2sin(x+π/4) という、1つの波に仕立てるように。
波長の合うチェバとコース、両者の生命の波を『合成』し……新たな姿へと変身させるのだ。
∀∀∀∀∀∀∀∀∀∀
灰色のノイズに包まれていた1人と1頭……そのシルエットに起こる変化。
腕に抱かれていた『1頭』が、徐々に『1人』の中に取り込まれていく。
まるで吸収されるかのように、存在を失うかのように、取り込まれて姿を消す『1頭』。
――――すると今度は、吸収した『1人』の方に変化が起きる。
被っていたとんがり帽子、その左右からぴょこりと飛び出す……三角形の耳。
腰の後ろから徐々に伸びる、太い尻尾。
小さく開かれた口元からは、チラリと見える小さくも立派な犬歯。
両手の指先から伸びる、獣の鉤爪。
そして……身体のシルエットの変形が完全に終わった時。
身体を覆う灰色のノイズを、振り払うように弾き飛ばすようにして――――彼女は、その姿を現した。
チェバと同じ、黒色の狼耳。
チェバと同じ、緑色のフサフサな尻尾。
チェバと同じ、鋭い犬歯。
チェバと同じ、狼の鉤爪。
チェバと同じ、金色の瞳。
「行け……チェバ◦コース!!!」
「うおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉん!!!」
可愛くも野生の獰猛さを兼ね備えた、強烈な雄叫びと共に。
狼魔獣人――――『チェバ◦コース』が、月下の南門に姿を現した。




