22-1. 火矢
――――今夜は、満月だ。
ティマクス王国・王都。国を治める国王が住まう都市にして王国最大の都市。
その空には、綺麗な円を描いた満月が浮かんでいる。
淡い黄色を帯びた月明りは団欒する家々を照らし、仕事を終えて帰途に着く人々を照らし、また明日の仕事にむけてと床に就く人々を照らす。
カーテンを開いて窓から顔を出す子どもに、優しく微笑むように。
夜が更けていくにつれ、満月は空を昇り人々は眠りにつく。
家々から聞こえていた和やかな声は収まり、窓から零れていた灯りはぽつぽつと消える。
男達の呑み騒いでいた居酒屋もいつしか明かりが落とされ、酔客は夜の涼しい風に当たりながらのんびりと家に向かう。
寝静まる王都。
やがて満月は天頂に昇り、人々は寝静まり。
月光が照らす大通りにも小さな路地にも人影は無くなった。
いつも通りの夜が、王都に訪れた。
――――だが、そんな王都の南門にとある影が迫っていた。
「ん、あれは……」
外壁の上から夜の草原を見張る南門門番。
そのうちの1人が、望遠鏡を右目にあてて声を上げる。
「……門番長! 魔物が接近中です!」
「何者だ?」
「エメラルドウルフです!」
「分かった。……やはり今日も来たか」
――――今夜は満月。
満月は、様々な生物に影響を与える。
魔物も勿論同様だ。草原に棲息する野生の魔物、カーキウルフも例外ではない。
数多くの仲間を手にし、数多くの戦いを制し、そして数多くの生物を食して"時期"が来たカーキウルフは……満月の下、進化を遂げる。
ステータスは格段に高まり、躯体も一回り大きくなる。
茶色がかった緑色から、透き通るような鮮やかな緑色へと生え変わる体毛。
進化に伴って手に入れる、【風系統魔法】。
それらの力を以って周囲のカーキウルフを本能的に絶対服従させる、威圧感。
今夜、1体のカーキウルフが『草原の首領』・エメラルドウルフへと進化した。
しかし……進化したてのエメラルドウルフは未だ体格も力量も未熟。
更なる食糧を求め、十数頭のカーキウルフを従えて向かった先が……王都だったのだ。
「で、サイズはどの程度だ?」
「かなり小型です。恐らく、今晩進化したばかりの個体かと」
「成程。なら問題無い」
しかし、門番も伊達ではない。
以前計介が対峙したような巨大個体ならばともかく、ついさっき進化してきたような個体ならば彼ら自身で追い返し、また討ち取る事など造作もないのだ。
非常を告げる三点打鍾を撞くこともなく、戦士団を叩き起こすこともなく、粛々と彼ら自身で対処するのだ。
街を護る、その使命の下に。
「門番集合! エメラルドウルフが接近中だ! お前はエメラルドウルフの監視を続け、他の者は準備に取り掛かれ!」
「「「「了解!」」」」
「門扉係は改めて閉門と施錠を確認せよ! 武器係は火矢を準備! 魔導投光器も立ち上げておけ!」
「「「「応!」」」」
エメラルドウルフを発見した門番を一人残し、詰所やら倉庫やらに散らばり準備を進める門番兵。
すぐさま弓矢に篝火、瓶入りの油、魔導投光器が運び込まれ、準備が進む。
「投光器準備完了!」
「点灯しろ!」
ガタンというスイッチの音と共に投光器が焚かれ、スポットライトの如く円形に照らし出されるエメラルドウルフ。月光ほどの闇夜が急に明るくなり、目がくらんだのか一瞬よろめく。
……しかし、進化により過剰になった自信が彼の四つ脚を止めさせない。
周囲の茶がかった緑色のカーキウルフに対し、翠玉のような明るい緑色の毛皮がその存在感と度胸を一際示しているかのよう。
「火矢用意!」
門番長が号令を掛け、門番が外壁の上に一列に並ぶ。
矢先を油に漬け、篝火から火を移す。火の点いた弓が一斉に引かれる。
照準は、睨み返すエメラルドウルフの眉間。
「射てェェェ!」
門番長の号令と同時、火矢が射出された。
真っ暗闇の中に響く風切り音、尾を引く赤い光。
向かう先は一点、スポットライトに照らされたエメラルドウルフ。
そして……火矢は一斉に、エメラルドウルフの眉間を貫いた。
――――と、その場にいた全ての門番は感じた。
のだが、現実は違った。
火矢は、1本として当たらなかったのだ。
目の眩んだエメラルドウルフには火矢など見えていないだろう。
見えていたとしても、よろめいて崩れた姿勢から躱すのは困難だ。
かといって火矢の照準も申し分なく、能く訓練された門番兵の火矢は寸分の狂いもなくエメラルドウルフの眉間のあった所を貫いていた。
……しかし、それでもエメラルドウルフには当たらなかったのだ。
何故か。
その理由は、投光器が照らし出していた。
「首が?」
「落ちた……だと!?」
スポットライトに照らされるエメラルドウルフ……その首は、ころころと地を転がっていた。
胴体と頭とを繋ぐ首元で、スッパリと斬り落とされていたのだ。
いわゆる首チョッパ。
「「「「…………っ」」」」
訳が分からずに立ち尽くす門番。カーキウルフ。
……勿論、矢に首を刎ねるほどの威力は無い。
カーキウルフならまだしも、進化してステータスが高まれば尚更だ。
一体何故?
何が起きた?
――――そんな彼らの抱いた疑問の解は、間もなく明らかとなった。
頭部を失い、力なく横に倒れるエメラルドウルフだったもの。
それを踏みにじるように、スポットライトの円の中に現れる……黒い蟷螂。
巨大な鎌をその両腕に備え、吸い込まれるような純黒の外殻を纏った蟷螂だった。
「へぇー、スゴいじゃなぁーい! 流石は魔王様が下賜した兵隊ねぇー」
それに遅れてスポットライトの中に現れ、その外殻を撫でまわす……蛾の女王。
奇妙な紋様の入った翼を背中に生やし、蟷螂の周囲をぐるぐると飛び回る。
「ちょっと軍団長!」
「新人ばかりにそう優しくしないで欲しいっす!」
「古参組の俺達が嫉妬しちゃうんだぜい!」
「俺らの事も撫でてしてほしいんだぜい!」
「あーん、ごめんなさぁーい。でも勿論、貴方たちの事も同じくらい愛してるわぁー!」
そしてスポットライトの影から飛び交う無数のヤジ。
慌てて門番兵が投光器に手を掛け、声の方に向きを変えると。
闇夜の中、ライトが照らし出したのは――――
「貴方たち、ついて来てくれるわよねぇ?」
「「「「「イェス! ギガモス姐さん!!!」」」」」
蛾。
蚊。
蜂。
そして蟷螂。
壁の如く南門に押し寄せる、無数の虫の魔物。
――――他でもない、第二軍団だった。




