20-21. 内
上を向いてパックリと口を開き、巨大で真っ赤な舌を広げるホエール。
そこに一直線に下降するシンは、空中でバランスを崩して射線をずらすどころか着地すらもままならない。
「おいシン! 逃げろ!」
「射線から外れるのです!」
「ダメエエェェッ!!」
フーリエ港に数多の悲鳴がこだまする。
ある者は声が枯れんばかりに叫び、ある者は眼を隠し、またある者はただひたすらに祈る。
「……マズい」
僕もパニックに陥りかける……が、寸前のところでなんとか踏み留まる。
ギリギリで心の平静を保ちながら、焼き切れるスレスレの速度で頭を回す。
「……まだ策は有る」
そうだ、まだ手は尽きちゃいない。
まだアレが残っている!
「【内接円Ⅰ】……」
そう唱えると……パックリと口を開いたホエールの内側に現れる、青透明色のリング。
「……留めろ!」
僕の号令に合わせてリングがブワッと広がり、下顎と上顎に接して止まった。
――――【内接円Ⅰ】。
【外接円Ⅰ】と同じ拘束魔法でありながら、対の効果を持つ魔法だ。
対象に外接する円で縛る【外接円Ⅰ】に対し、【内接円Ⅰ】は対象の内側に内接する円で強制的に『留める』。
いわば開口具、顎を開いてギリギリ入る大きさの鉄製リングを噛ませるようなものだ。
「コレでホエールの顎を抑えられるハズだ……」
顎が固定され、口を閉じれなくなったホエール。
勝ち誇っていたようなその眼にも、戸惑いの曇りが映る。
そんなホエールの舌のド真ん中に、彗星のごとく一直線にシンが墜落。
受け身も取れずに背中を強打する――――も、舌の弾力がシンの衝撃を受け止める。
「痛ったたた……」
すぐに頭を抑えて起き上がる。
……良し、大きな怪我は無さそうだ!
「シン! 早く! ホエールの口から出るんだ!」
「今のうちに海に飛び込むんだぞ!」
「ホエールに食べられちゃうわ!」
「……わっ、分かりました!」
僕達の声が届くや否や、スッと立ち上がるシン。
すぐさま駆け出し、舌の外に広がる海を目指す。
「……くぅっ、中々進みません」
しかし、ボコボコかつ柔らかい舌の表面がシンの足を掬う。
その上甲板サイズに広がる舌がシンの脱出を阻む。
そして、そんなシンの脱出を意地でも阻止しようとホエールも顎に力を込める。
――――ピキッ
「なっ!?」
ホエールの顎を固定する内接円から嫌な音。
……マズい! 拘束が崩れる!
「【内接円Ⅰ】、【内接円Ⅰ】……開け!」
すぐさま内接円をもう2本追加し、シンの脱出する時間を稼ぐ。
……頼む。コレが破られたらお終いだ。
内接円よ、どうかシンを守ってくれ……ッ!
「時間が無い! 急げシン!」
「わっ、分かりました……!」
このまま口が閉じられたらお終いだ。
早く! シン早く――――
しかし――――やはり、火事場の馬鹿力という言葉は偉大だった。
バリバリィィィンッ!!!
「えっ――――
ホエールの顎を閉じる馬鹿力に敗れ、無残にも粉砕する3本の内接円。
戒めを解かれた上顎は、円を砕いた勢いそのままに……しっかりと、口を閉じた。
舌の上を懸命に走っていたシンを、闇の中に取り込んで。
「お、おい……シン…………」
返事は無い。
「間に合わな……かったの?」
「ウソでしょ……?」
嘘ではない。
シンは今、遺言を残すことも無く……呑み込まれた。
「「「「「シンーーーーーーッ!!!」」」」」
港中に彼の名がこだました。
港中の誰もかもが、俯いた。
「僕の所為だ……僕が人間大砲なんて言ったから……」
……優勢だった勢いで、もう少しでホエールを撃退できると思って、だ。
そんな調子で軽く口走った結果がコレだ。
僕の所為だ。
僕の所為じゃんか。
僕があんな事言わなければ、シンはあんな目に…………――――
「クソオオオォォォォォォォォォォォォォッ!!!」
両肘両膝を地に着けて、ただひたすら叫ぶ事しか出来なかった。
――――自責の念に叫ぶ事しか出来なくて、
次第に声が枯れて、
涙も枯れて、
白衣の袖もぐしょぐしょに濡らして、
嗚咽も途絶えて、
ただ黙って地に伏すしか、出来なくなった時。
僕の口は、再び…………ひとりでに動き始めた。
「――如何ニ内容煩雑ニシテ憶ウル事能エドモ」
擦れがちな声が、僕自身にも意味の分からない呪文を紡ぐ。
「――如何ニ内容煩雑ニシテ憶ウル事能エドモ
――如何ニ緊張焦燥絶望ニ精神侵サレドモ」
誰もかもが黙り込むフーリエの中、ただ僕の呪文のみが念仏のように響き渡る。
「――如何ニ内容煩雑ニシテ憶ウル事能エドモ
――如何ニ緊張焦燥絶望ニ精神侵サレドモ
――幾百幾千ノ唱ウルハ万物掌中ト為ス」
そして、普段の何倍もある詠唱をようやく終えた僕の口は……その魔法の名前を以って締めた。
「――如何ニ内容煩雑ニシテ憶ウル事能エドモ
――如何ニ緊張焦燥絶望ニ精神侵サレドモ
――幾百幾千ノ唱ウルハ万物掌中ト為ス
――【暗唱】・詠唱強化」
れっ、レシテーション……?
何だその魔法、今までの数学でそんな単元をやった覚えは――――
しかし、まだ呪文は終わらない。
まるで誰かに操られているかのごとく、気味が悪くなるほどに僕の口が動き……立て続けにもう一つ、【演算魔法】を唱えた。
「大小違エドモ形違ワザレバ皆同族ゾ――
――――【相似Ⅴ】・100倍」
ひゃっ……100!?
そっ、そんな100倍だなんて無理だ!
頑張ってせいぜい10倍拡大が限界だってのに、100倍だなんて到底――――
だが、その【相似Ⅴ】の100倍拡大は……キャンセルされなかった。
魔法は発動したのだ。
その直後、何か異常を感じ取ったホエールが眼を見開くと。
しっかりと閉じていた口を、途端にモゴモゴと震わせ始める。
「ねっ……ねーダン、何が起きてんの?」
「分からねえ……」
まるで口内で大量の爆弾を爆破させたかのように、ホエールの口が上下左右に振れる。
ホエール自身もその動きを制御できていない。
それどころか、心なしかホエールの頭部が……じわりじわりと膨らんできているようにも見える。
内側からの力に、ホエールの硬い外皮がピキピキと剥がれていく。
「何が起きてんだ……?」
「まさか……シン!?」
――――その、まさかだった。
グッと上下の顎を抑えていたホエールも、ついに口内の膨張力に耐え切れず……パカッと口を再び開いた。
「ふぅッ!!!!」
と同時に――――身長も肩幅も100倍に相似拡大されたシンが、ホエールの口内から飛び出した。




