20-15. 大津波
ズウウウゥゥゥゥゥン!!!
ホエールが海面に飛び込んだ――――と同時に感じたのは、今までに体験した事もない程の鳴動。
3つの波が、フーリエの僕を襲った。
「ぐうッ!?」
「がはッ!?」
僕達の身体を前面から押し倒す、不可視の壁……衝撃波。
ガツンという衝撃が身体を浮き上がらせ、状況を理解させる間もなく後方へと突き倒す。
「痛ってて……」
「くぅっ、後頭部が――――
背中と頭を地面に強く打ち付け、海岸通りに横たわる。
そんな僕達を立て続けに襲うのは……ホエールの腹が水面を打った轟音。
一瞬で耳鳴りを起こさせる程の、強力な音波だった。
ズウウウゥゥゥゥゥン!!!
「「うッ!」」
ズンと腹を震わせる重低音。それはもう、バシャンと水面を叩く類の音とは違う。
地表に何かが墜落したような、それとも遠くで巨大な爆弾が爆発したような……。何とも言い表せないが、莫大なエネルギーが動いた事は間違いない。
「……とっ、トラスホームさん……大丈夫ですか」
「はっ、はい。私は…………」
「良かった……」
酷い耳鳴りの中、薄っすらと聞こえるトラスホームさんの声。……良かった、なんとか無事みたいだ。
痛みを堪えつつ、なんとか膝に手をついて起き上がる僕達。
そのまま、ホエールの居座る海へと再び目をやると――――
「こっ……」
「コレが……」
ソイツは、僕達を待ち構えるように反り立っていた。
フーリエの北端から南端までを、隙間なく覆うように広がる――――大津波が。
「コレが……その…………」
「さっ、左様……『死の津波』です」
その高さ、ざっと5階以上。見慣れた高校の校舎を軽く上回っているのは、遠目でも明らかだった。
そしてそれは同時に――――せいぜい3階建てのフーリエ港の建物を、容易く呑み込めることを意味していた。
「このままじゃ……」
「この街は、街の民は……」
建物の上階なら大丈夫だろうと思い込んでいた僕達の考えを、嘲笑うようにポッキリと折り捨てる死の津波。
あと1分もせずに、『死の津波』はココに居る全ての命を本気で刈り取ろうとしている。
数多くの市民の命を、トラスホームさんの命を――――勿論、僕の命も。
マズい。
本当にマズい。
「…………っ」
ぐんぐんと接近し、視界を埋め尽くす『死の津波』。
頭が真っ白になる――――
……いや。
駄目だ駄目。
なんとかしなければ、生き残れない。
「……やるしかない。とにかく」
この状況を覆す、解は存在する。必ず、どこかに。
そう信じて、吹っ飛びそうな思考をギリギリで引き止めながら思いついた方法を手当たり次第に試した。
――――死の津波が到達するまで、あと30秒。
「来る波は抑えるまでだ! 【定義域】・x≧0ッ!!」
迫り来る海水に定義域を設定し、海岸線上に防潮堤の如く青透明のバリアを打ち立てる。
シュン
「よし!」
魔法を唱えると同時、海岸線と並行するように青透明のバリアが現れる。
あとはこのバリアが津波の衝撃さえ受け止めてくれれば――――
「ケースケ様! 幅が全く足りておりません!」
「えっ!?」
が、張れたバリアはせいぜい幅200mほど。1kmを優に超すフーリエの海岸線を守り切るどころか、その大部分がノーガードになっていた。
「もう1回……【定義域】・x≧0ッ!!」
改めて青透明のバリアを打ち立てる……が、大きさはさほど変わらない。
「クソッ、全然足りないじゃんかッ!」
自分の力量不足に苛立ちつつも、次の手に掛かる。
――――死の津波が到達するまで、あと25秒。
「どうか【乱数Ⅹ】が暴走しない条件下で、この津波がフーリエを襲いませんように――――【条件付確率演算Ⅶ】!」
津波がフーリエから逸れるなり消えるなり、そんな僅かな可能性に賭けてみるが……どうやら駄目なようだ。
「変化なしかよッ!」
半ば分かってはいたけど、【条件付確率演算Ⅶ】は100%の相手には確率を操作できない。
間違いなくフーリエを襲うこの大津波には、付け入る隙が無かった。
――――死の津波が到着するまで、あと20秒。
バリアも駄目。確率操作も駄目。
となれば……後はもうコレしか無い。
「頼む! コレでなんとかなってくれッ!」
白衣のポケットからMPポーションを取り出して一気に飲み干すと……最後の魔法を唱えた。
「【相似Ⅳ】・1/4!」
そう唱えた途端……反り立つ壁のように迫っていた『死の津波』の一部が、まるで何かに切り崩されたように姿を消す。
そんな隙間からは奥に控えるホエールの驚く顔が見える。
「よしッ!」
「津波が消滅した……のですか!?」
いや、消えたという訳じゃない。津波の一部分を縦・横・高さそれぞれ¼スケールに小さくしただけだ。
よく見てみれば海面近くに相似縮小した津波が残っている。……けど、その高さは建物1階分ほど。3階以上に避難した市民はコレで助かるハズだ。
「となれば……あとはコレを繰り返せば!」
津波が到着するまであと17秒、いや、あと17秒もある。
MP消費が大きい【相似Ⅳ】とはいえ、MPポーションを飲めば即座に連発できる。
このままギリギリまで【相似Ⅳ】を繰り出しつつ、あとは僕とトラスホームさんも建物に上がれば助かるぞ!
窮地の中に希望の光を見出しつつ、白衣の胸ポケットを探る。
「……無い!?」
あれ、おかしい。
MPポーションが1本も無くなってる。空き瓶すらも。
いつも4、5本は常備しているのに……なんでだ?
「……まさか」
さっきの津波が頭に蘇る。
必死に握っていた取っ手が壊れて、首まで引き波に浸かって……その時に流されたみたいだ。
「ヤバい……」
このままじゃ【相似Ⅳ】が一発も使えない。
『死の津波』は僅か一部分が小さくなっただけ。ココに居る市民の一部は守れども、残り大多数の市民の状況は依然変わらない。
一瞬見えた希望の光が、再び閉ざされてしまった。
段々と焦りが募り始める。
――――死の津波が到着するまで、あと15秒。
「どっ、どうすれば…………」
何か方法は、他に方法は無いのか?
再びフルに頭を回して自問を繰り返す……が、第4の手は浮かばない。
1秒1秒がどんどんと過ぎ去っていく。
「ケースケ様……」
「分かってますッ!」
トラスホームさんの懇願するような声に、隠しきれなかった苛立ちが露わになる。
ピッ
「……っ」
そんな僕に追い打ちをかけるように、軽い電子音を伴って眼前に現れる青透明のメッセージウィンドウ。
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【相似Ⅳ】が【相似Ⅴ】にスキルレベルアップしました
===========
「チッ」
眼を通してみれば、単なるスキルレベルアップのお知らせ。思わず舌打ちが出る。
……こんな切迫した状況で出てくんなよ。っていうか、幾らスキルレベルアップした所で今の僕には【相似Ⅴ】を使うだけのMPが無いのだ。皮肉かよ。
もしやと期待した僕がバカだった。
――――死の津波が到着するまで、あと10秒。
「……ヤバい」
段々と近付く、『死の津波』。
もう時間が無い。そして打つ手もない。方法も思い浮かばない。
焦りも忘れ、再び頭が真っ白になる。
「……まっ…………」
言葉すらもロクに出ない。
視界いっぱいに映る、抗いようのない死の津波……余りにも刺激の強過ぎる光景は、僕の脳を思考停止に追いやった。
「ケースケ様……私は民と共に死にます」
隣のトラスホームさんが膝をつく。
……そっ、そうだ。なんとかトラスホームさんだけでも避難させなければ……。
「……だ駄目です、トラスホームさんは建物へ」
「良いのです! ……此れが領主としての責務、領主は民と共に在るのですから」
座り込むトラスホームさんに手を伸ばすが……微動だにしない。
――――死の津波が到着するまで、あと5秒。
「……終わった」
マズいでもない。
ヤバいでもない。
詰んだ。
……いや、詰んだとも感じない。
頭が回らない。
視界のほぼ全面を埋め尽くす『死の津波』を、僕は何も考えずただ見つめる事しか出来なかった。
「先生……!」
「……っ」
そんな僕の耳に入った、僕を呼ぶ男の子の声。
無意識に顔を向ければ……海岸通りを、シンが全速力で走ってきていた。
「シン、なんで……」
折角安全な屋敷に避難してたのに、どうして降りてきたんだよ。
このままじゃシン、お前まで巻き添えに……。
「先生なら、この津波……どうにか出来るんですよね?!」
「いや……」
「嘘ですッ! 先生なら絶対できます! その無秩序無制限ブッ壊れクソチート魔法なら!」
「いやでも、シン……――――
ん?
思考停止したハズの頭に、何かが引っ掛かる。
無秩序……無制限……シン…………。
無制限……シン……。
「……ッ!」
その瞬間、昨晩の出来事がふと頭に蘇った――――
∩∩∩∩∩∩∩∩∩∩
「おっ、見ろよシン! 先生の本、お前の名前が書いてあんぞ!」
「えっ! 本当ですか!?」
本を覗き込むダンに、呼ばれてやってくるシン。
ダンが指差す先を一緒に覗き込む。
「ほら見ろよコレ。シンだとよ!」
「あっ……本当だ!」
そう言い、笑顔で頷くシン。
……ん、この本に『シン』なんて書いてあったっけ。見憶えないけど。
僕も半ば疑いつつ本を覗いてみると、ソコには……――――
∇∇∇∇∇∇∇∇∇∇
「……成程」
頭に引っ掛かった『何か』が、スッと外れた気がした。
と同時に、僕は確信した。
「……まだ有った」
まだ存在した。打つ手は。
そして……――――コレこそが、『解』だと。
「……良し」
―――コレが失敗すれば本当にお終い。
―――だが、失敗する気はしなかった。
―――自信に満ち溢れていた。
「……頼むっ」
スッとその場にしゃがみ、海水に濡れた地面に両掌をつく。
そして、真っ直ぐに『死の津波』を見つめ。
―――自信はある。根拠もある。
―――なぜならば……。
―――勉強したからだ。
「【正弦波形Ⅰ】ッ!!!」
その魔法を、唱えた。




