20-13. 津波Ⅱ
ザアアアァァァァァァ!!!
「やばっ! 来たッ!!」
岸壁を越え、街までせり上がった波。
海岸通りの上を押し流すように、腰ほどの高さの波が建物に入りきれなかった市民へと這い寄る。
「波に呑まれれば御終いです! 早く、何かに御掴まり下さい!」
腰ほどの高さとはいえど足を掬われればタダじゃ済まない。
トラスホームさんの声に、建物に入りきれなかった市民が建物の柱や街灯に飛びつく。
「ケースケ様も早く!」
「はっ、はい!」
勿論、僕も例外じゃない。
流されれば終わる。
「何か掴まるモノ、掴まるモノ…………」
だが、掴まれそうな物には既に市民が群がっている。僕の入れる余裕は無い。
「ヤバい……」
椅子取りゲームで出遅れた時のような感覚。
しかし、背後からはザアァァァと音を立てて迫る波。
「……クソッ! アレしか無いのかよ!」
そんな中、辛うじて目に留まったのは……閉じた窓に取り付けられていた取っ手だった。
片手で握るのが精一杯の、金属製の小さな取っ手。しかも両端を留める2本のネジのうち、1本は新品なのにもう片方が錆びてボロボロ。
見るからに不安でしかないが……今は時間が無い。コレに縋るしかないのだ。
「頼むッ!」
迫る波より一足早く窓に駆け寄り、両手で取っ手を握る。
その直後――――腰から下が海水に浸かった。
ザパアアアァァァンッ!!!
「きゃあッ!」
「ぐぅっ!」
「うわぁッ!」
街まで上がってきた波は市民の腰下を襲いつつ、建物と正面衝突して大量の水飛沫を上げる。
開けっ放しになった建物の扉からは海水が勢いよく流れ込み、1階部分を尽く浸水させる。
ガラス扉も水圧に負け、破片を撒き散らしながら海水の侵入を許す。
街灯や柱にしがみ付く市民は、水飛沫を浴びながらも流されまいと必死に踏ん張る。
上階に居る市民も思わずその光景に目を覆う。
「うっ……ッ!」
そんな取り残された市民と同様、僕も波に抗っている。
2本の足に掛かる強い水圧。海水の冷たささえも忘れる。
「クソッ……」
何度も水流に負けそうになるが、両手と両足に力を込めて踏ん張る。
……足が浮けばお終い。波に呑まれてお終い。
それだけを脳内で繰り返し、必死に両手と地面を踏みしめる両足に意識を注ぐ――――
「ぐっ! 膝ッ……」
波に乗ってきた瓦礫が膝裏に直撃。
カックンと膝が折れ、足から力が抜ける。
……けど駄目だ駄目! こんな所で体勢を崩したら波に呑まれて終わる!
「くぅッ…………」
踏ん張りを失った足の代わりに、両腕で身体を支える。
取っ手を握る両手に力を込める――――
バギッ!!
「やばっ」
と同時に手元から発する嫌な音。
案の定、錆びたネジが僕の体重に耐えきれずポッキリと折れていた。
……が、もう片方の新品ネジは健在。
波に呑まれつつある僕の身体は、ネジ1本でなんとか繋ぎ留められていた。
「ふぅ、助かった――――
と思ったのも、束の間。
もう片方のネジは僕の体重を耐えきったが……耐えられなかったのは、取っ手それ自身だった。
ぐにゃっ
「ッ!?」
両手で握る取っ手が体重に耐え切れず変形。
針金のようにグニャリと曲がり、両掌からすり抜けていくと。
手足の支えを失った僕の身体は……上半身も水に浸かり。
流れに任せて水中を漂い始めた。
――――波に呑まれた!
「しまっ……」
街へと寄せた波が引き始め、身体が海へと流されていく。
両手と取っ手の距離がどんどん離れていく。
「不味い! ケースケ様がァッ!」
「大変だあ!」
「勇者様が流されたぞォッ!」
浸水したフーリエの街に響き渡る、数え切れない程の悲鳴。
「そんな……駄目です、こんな処で亡くなってはいけません! ケースケ様! ケースケ様ァァッ!」
トラスホームさんの絶叫も聞こえるが……耳を傾ける余裕はない。
「……マズい」
波は速い。泳いで抗えるスピードじゃない。そもそも白衣も着てちゃ息継ぎすらままならない。
海水を飲んで溺れれば、勿論一巻の終わり。
波に流されて海に落ちても、ホエールの餌食になって一巻の終わり。
徐々に離れていく窓の取っ手。
……ヤバい。
ヤバいぞこれは。
ヤバいヤバいヤバいヤバい――――
だが、しかし。
そんなギリギリの状態でも、僕の脳は冷静かつ必死に働き。
そして――――現状を打破する、解を見出した。
「【合同Ⅳ】!」
そう唱えると……僕自身の目の前に現れる、僕そっくりのシルエット。
その左手が変形した窓の取っ手に、反対の右手がコチラへと伸ばすと。
「掴まれ僕!」
「おぅ!」
水に没しつつあった僕本体の両手を、合同体の僕がガッチリと握った。
「手、離すなよ!」
「決まってるじゃんか! 頼んだぞ僕!」
「あぁ任せとけ!」
……そう。使った魔法は、姿もサイズも全く同じの合同体を作り出す『分身魔法』。
MP消費が大きくポーションを飲むまで連発は出来ないが、ココぞという時に役に立つ魔法だ。
「間に合ってよかった
「あぁ。ひとまずコレで、なんとか……」
浮き沈みを繰り返しつつも、僕の身体は合同体が繋ぎ止めてくれている。
後はこのまま波が引くまで耐えられれば――――
ガタンッ!
「「うぉッ!?」」
再び耳に入る、嫌な衝撃音。
と同時に、また身体が海へと流され始める。
「やばっ……」
ゾクッと背筋が凍りつく――――
が、動きは直ぐに止まった。
「どっどうした僕!?」
「……大丈夫。窓だ」
「窓?」
視線を前に向ければ、今まで閉じていたハズの窓が全開になっていた。
そんな開いた窓の取っ手には、しっかりと合同体の左手が握られている。
「窓が開いただけだよ」
「……あぁ、なんだ。そういう事か」
また流されたかと、一瞬ヒヤッとしたが……まぁ、そりゃそうだよな。
窓の取っ手は窓を開くためのモノなんだし、取っ手を引けば窓が開くなんて当然だ。
「一瞬マジで死んだかと思った」
「あぁ、僕も手が滑るかと思った。……けど任せとけ僕、絶対離さないからな」
「おぅ。頼むよ僕、本当に」
そう言って合同体に念を押しつつ、左右に目を向ければ……気付けばフーリエを襲った寄せ波は、引き波に転じていた。
海水は街から海へと流れる向きを変え、岸壁下の海へと注いでいく。
「うわあ、何もかもが……」
「根こそぎ流されていくじゃんか……」
と同時に、店に並べられていた魚や果物、木箱、まな板、誰かの靴……街のあらゆる物も引き波に攫われ。
海岸沿いの柵をすり抜けて、ボチャンボチャンと岸壁下の海へと落下していく。
「コレが飢えたホエールの食糧集めかよ」
「豪快だな……」
もしもあの時、取っ手に掴まっていなかったら。もしもあの時、【合同Ⅳ】が頭に浮かんでいなかったら。
今頃、僕達もああやってホエールの餌食となっていたんだろう。
想像するだけで恐ろしい。
「……まぁ、それは置いといてだ」
「あぁ。今は一先ず」
まずはこのまま、合同体と一緒に波が引くのを待とう。
波が引いたら逃げ遅れた市民の避難誘導だ。




