20-9. 波I
「……………………まっ、不味い」
トラスホームさんの顔から一気に血の気が引き、一瞬で真っ青になる。
よく見れば両手も震えている。
「……なっ」
只ならぬ気配。嫌な予感。
全身の筋肉が強張る。
何だ……何だ一体?
あの旗に何かあったのかよ――――
「おうおうおう、どうした?」
「皆何かあったのー?」
「トラスホームさん、なんだか顔色が良くないけど……」
異変を察知したのか、不穏な表情のダン達も駆けつける。
全員が揃う中……トラスホームさんは俯いたまま、目を合わせることもなく。
「……落ち着いて聞いて下さい。皆様」
震える声で告げた。
「この街は――――魔王軍が来る前に滅びるかもしれません」
えっ……?
ほっ、滅ぶ?
どうしてそんな突然?!
「……なんだ急に。縁起でもねえ事を」
「そんな言い過ぎですよ、トラスホ――――
「私の方こそ言い過ぎであって欲しい位です」
だが、青白い顔を上げるトラスホームさんのこの感じ……本気だ。
「シン様の見たという、赤白格子模様の旗……ケースケ様はその意味をご存知でしょうか?」
「意味っ? いや……」
聞いた事ないけど……赤と白の格子模様、だよな?
赤白の……紅白、そうか。
「紅白幕みたいな、何かお祝い事とか――――
「真逆です。……それが意味するのは、危険」
きっ、危険!?
「左様。その旗を街や港で使えば、それが示す意味は海の危険――――すなわち『津波』」
津波――――。
幾ら勉強ができない僕でも、流石にコレくらいは知っていた。
海を糧に生きる街では、避けては通れない災害。
大量の水が壁のように押し寄せ、その莫大な力で何もかもを押し流す……災害。
「「「津波ッ?!」」」
「マジかよッ?!」
「うそでしょ……」
トラスホームさんのあの表情といい、口にしていた『フーリエが滅びる』といい……その危機感が今、鮮明に伝わった。
……つまり、トラスホームさんはシンの言葉を聞いてこう推測した訳だ。
普段通り、魚を獲りに海へに出ていた漁船が。
沖合で、津波の前触れを一早くキャッチし。
一刻も早く街の人々に知らせるため、危険旗を掲げて一斉に帰ってきた。
その様子を、灯台の上からシンが捉えた。
辻褄は合って欲しくはない。
が、合ってしまった。
一斉帰港も、危険旗掲揚も、説明がついてしまった。
となれば――――今まさに、フーリエへと津波が迫っている事になる。
今は波が穏やかな磯にも、沢山の人が住まう港にも、この前やっと復興した街にも。
全てを押し流す、津波が来る。
「…………ヤバいじゃんか」
いや、ヤバいどころじゃ済まされない。
普段は真面目で穏やかなトラスホームさんが、こんなにも顔面蒼白で取り乱す程なのだ。
事態は相当、深刻。
思わず身体が震えた。
「皆様、海沿いの此処は危険です……。早く、早く高台へ……っ!」
「は、はい!」
青白い顔のトラスホームさんが声を搾り出す。
……そ、そうだ! 早く逃げなきゃッ!
「丘の上にある私の屋敷まで行けば安全です。市街からの民も直に集まってくる筈。さあ皆様、早く……っ!」
「え、ええ! 分かったわ!」
「来た道なら憶えてます! 先導は私に任せて下さい!」
「よし、シン頼んだ!」
シンがへと走る。
武器を拾い上げたアークとコースが後を追う。
「良いかコース、絶対チェバと離れ離れになるなよ!」
「うん先生! 行くよチェバ、にげろー!」
「わん!」
「ダン、この3頭を抱いて行けるか?」
「おう余裕だぞ! 任せろ先生!」
「よし! インク・サンク・クーゴ、ダンの下に集合!」
「「「わんわん!」」」
コースとチェバに続きダンも3頭を抱いて駆け出す。
……良し、コレであとは僕とトラスホームさんだけだ。
「トラスホームさんも行きましょう!」
「……は、はい」
振り返ると、そこにはフラフラとした足取りのトラスホームさん。
この顔色に、この様子に……貧血を起こしているようだ。
「ダメなら肩貸します! 領主屋敷まで一緒に行きますよ!」
「……わっ、私は大丈夫です。1人で行けますから」
いやいや!
こんなぐったり姿のトラスホームさんを置いて行けるワケ無いじゃんか!
「ケースケ様は先に屋敷まで行かれてください。それに私は……これから港に向かいますので」
「港に!?」
いやいやいやいや!
高台どころか真逆じゃんか!
「そんなどうして?!」
「私は……領主としてフーリエを、フーリエの民を守らなければなりません」
「守る、って……」
つまり避難誘導、ってことか?
「左様、私は港で民の避難誘導に徹します。……1人でも多く、民を救うために」
「……って事は、トラスホームさんは」
「最後まで港に残ります」
「…………っ」
そう告げるトラスホームさんの身体は震え、貧血で真っ白な顔でありつつも……その目だけは責任感に燃えていた。
命をも賭けて街を守る、領主の眼をしていた。
「…………成程」
……分かったよ。
トラスホームさんの、気持ち。
「ですから、ケースケ様と皆様は領主屋敷へ向かわれて下さい。私は――――
「……いや。手伝いますよ、僕も」
そこまで言われてトラスホームさんを1人で送り出す訳ないじゃんか。
「そう言って頂けるのは有難いですが――――
「行きます。僕も」
トラスホームさんの覚悟は伝わった。
彼は街の領主として、1人で街の民を守ろうとしているのだ。
自分以外の市民を、危険に曝さないために。
自分はどうなろうと、1人でも多くの命を守るために。
……けどさ。
その気持ち、1人で背負い込まないでくれよ。
僕にも共有させてくれよ。
僕は――――この世界を守りに来た、勇者だから。
「そもそもトラスホームさん。そんな覚束ない足取りで港まで行けるんですか? 1人で」
「それは……っ」
ダメ押しの一撃。
これにはトラスホームさんも断れない。
「コレで決まりですね」
「……承知しました。御協力に感謝致します……但し、危険だと感じたら直ぐに避難して下さいね」
「勿論ですとも」
僕だって死にたくはないからね。
「さあ、港まで行きましょう。肩貸しますよ」
「……宜しくお願い申し上げます」
こうして、僕とトラスホームさんは共に灯台広場を後にし。
来た道を戻ってフーリエの港へと先を急いだ。




