クマとトラと女 その12
ダンナのクマがクマに唐突に呼びかけた。
「ジョンベクスター」
「……」
「ジョンベクスター。昔そう呼ばれていたよな、あんた。まるでオスのクマの名前だ。俺は俺はそう思ったよ」
クマはいまより若かった頃のことを思い出して笑った。ダンナのクマも笑った。
「これからはお前のことをなんと呼んだら良いだろう。この世界から追放されるものに『おまえ』よばわりは出来ないみたいそうだ」ダンナのクマはきいた。
「わたしに優しくしてはいけないよ! わたしのことを『ソラ』と呼んではいけないよ。皆がやるように『あれ』と呼ぶのが一番さ」
「しかし俺は信じているぜ。皆の言うような怪物じゃない。お前はいまでも昔のジョンベクスターなんだ」
「……」
クマは苦しそうな表情で体を丸くして頭を抱えた。
「オイ、気分でも悪いのか。お前、様子が変だぞ」
ダンナのクマがたずねるとクマは苦しそうに話を始めた。
「……。わたしはまもなくあんたのよく知っているジョンベクスターじゃなくなるんだよ。そうなんだ。あんたにだけは本当のことを言っておかなけりゃならないみたいだね。実はわたしは皆がうわさしているようにあの匂いに導かれてあの禁断の地を訪れたのだよ」
「あの洞窟へという意味か? 大空洞と呼ばれている洞窟へ行くということがどういうことだか知らなかったのか」
「分かっているさ。あそこは絶対に行っちゃいけなかったところなのさ」
「お前は全体に甘いんだよ。おれはいつも言っていたろう。お前はお人好しが過ぎるって。俺がついていればこんなことにはならなかったのになぁ」
「でもね。わたしはこんなになっちまったけどあそこは本当にすてきなところだったよ。たしかにうわさ通りだったのさ。あそこには魔法にかけられて石っころに変えられてしまった人々があわれな石ころの姿になって何千何万と広大な大空洞の地面を覆っていた。しかしそこの人々の魂は死に絶えてはいなかったのさ。魂は自分たちの滅びた国の歴史を語り、自分たちの英雄について語っていたんだよ。その静かな語り口はそれは素敵だったよ。もちろん自分たちを石に変えてしまった魔法使いに対する恨みの気持ちが大空洞には充ち満ちていた。わたしはあそこに満ちていた悪い空気にたぶんやられてしまったんだよ。言い伝え通りわたしは『あれ』という怪物に変えられてしまったんだよ……」
ダンナのクマの突然のうめき声がクマの話をさえぎった。
「そんな空気なんかでお前が変わってしまうなんて俺には分からないよ……」
ダンナのクマの目からは涙があふれ出た。