誘い。
細かい刺繍の入ったお気に入りのポシェットに、色とりどりの精霊石と極少数の神輝石を詰め込む。
もう1つある色違いのポシェットにお金を詰め込んでいる最中に、扉を遠慮がちに叩く音が聞こえた。
「シャルさま。カルアさまをお連れしました」
「ああ、来たのね。入っていいわよ」
扉が開いて、リリムが先に入ってきた。リリムが扉の傍に立つと、中からもう1人入って来る。
まるで太陽を想わせるような明るい金の髪に、最高級の紅玉をはめたような瞳。
金と紅の色彩を引き立たせるような白磁の肌と、繊細な顔立ちに無表情が加わって、いつ見てもお人形のように見える。
「お呼びですか、シャルさま」
カルアの低くも無く高くも無い、心地の良い声で意識が現実に引き戻される。そしてそのまま勢いでカルアに駆け寄った。
「カルアっ!ちょっと聞いてよっ!」
「……で、今度はどうしたんですか?」
「どうもこうもないわよ……お母様たち、勝手に私の許嫁との結婚話を進めてるの!信じられないわ、いくら結婚する気配が無いからって勝手に進める?!」
別に好きでもないし、それ以前に会ったことさえも無い人と結婚。
意地が何でも、拒否しないと本当に結婚させられると危機感を覚えた。思わず興奮気味にカルアに詰め寄った。
「僕に聞かれても困るんですが……。まあ、奥様も心配なんですよ。シャルさま、ほっとくと本当に結婚しなさそうですし。気づいたら結婚適齢期過ぎてたとか、相手側に良い人が見つかって破談とか、ありえそうじゃないですか」
「…………まあ、無くもなさそうだけど……むしろ狙ってるけど」
「はあ、やっぱり……。一応、公爵家令嬢だと言うことを忘れてませんか?」
カルアは凄く呆れたような溜息と共に、こちらを見つめ返してくる。
ふと、気づいた……一応って、結構失礼な言い方のような気がするけど、ここは気にしないことにした。
「別に忘れてないわよ。でもね、なんで一度も会った事も無い人と結婚しないといけないの?私に、選ぶ権利もないの?いつかは結婚しなきゃいけないのはわかってるの、でもそれって今なの?それに私……もっと色んなことを知りたいし……もっと精霊石の研究をしてみたい」
段々と声が小さくなっていく。一番最後の一言は、ほとんど呟くようになってしまったけど、しっかりとカルアは聞き取ったらしい。
「…………シャルさま。一番最後のそっちが、本音でしょう」
さすがに私の護衛役としての付き合いが長いせいか、カシルは私の事になると察しが良かったりする。
私自身も、カルアには結構気をゆるしてしまいがちで、色々と口をすべって出てくる。
「うん、まあ。ってことで、一緒に家出しない?」
私の誘いにカルアは、滅多に見せない優美さを湛えた笑顔で……答えてくれた。
「ご遠慮します。それに、家出も反対ですよ」
「カルアもなの?カルアも私に、さっさと結婚しろって言うの?」
さすがにカルアにも結婚しろって言われたら、私は立ち直れないかもしれない。
いつもそっけなく冷たい態度に見えがちなカルアだけど、本当は私のために言っているというのを知っている。
それでも、カルアだけは私の気持ちをくんでくれるはずだと信じている。
「シャルさまは、家の安泰とかご両親の事を考えたことがありますか?」
カルアは軽くため息をつくと、真っ直ぐにこちらを見つめながら、真剣な顔で聞いてくる。
「いつかは結婚すればいいんでしょう?私はそれよりも、カルア自身の意見を聞いているの。カルアも、私が早く結婚すればいいと思っているの?」
「そ、それは……」
言いよどんだカルアを見て気づいた。たぶん、カルアは今まで自分の気持ちを言ってない。
いつだって私の事を優先していて、どうしたら私が幸せになれるか考えているというのを知っているから。
「ねえ、カルア。私たちが出会ったのは10歳の時よね……あれから7年間ずっと一緒だった」
あの日のことはよく覚えてる。降りしきる雨の中、治安が悪いとされていたリウッセン通りを近道にと通ったときに見つけた男の子。
道の片隅に、転がるように倒れていた。汚れきった身なりに、馬車の従者は関わらない方がいいと言っていたけど、気にせずに近づいた。
だってその子は、まだ生きていたから……微かに身じろぐように動いたから、この子は生きている確信した。
近づいて抱き起こして見ると、弱弱しく目を開いた。
開いた瞼から見えたその瞳が、まるで宝石のような、美しい紅玉を思わせるような紅い瞳だった。
従者に頼んで馬車に無理やり乗せて、家に帰って、両親を必死に説得して、せめて回復するまでと頼んで、やっとの思いで屋敷に置いてもらえるようになった。
それから身なりを整わせると、まるで人形のように美しい男の子だった。
ただ、いままでの生活がどんなのだったかは知らないけど、凄く衰弱していて、記憶まで無くしていた。
彼が完全に回復するまで、私は必死に看病をした。記憶がないので、どこの誰かもわからない、かろうじてカルシニアという名前だけはわかったけど、それ以外なにもわからない。
行く先の無い彼は、結局はこの屋敷に仕えることになった。
そうして父が剣の扱いを教えると、そこで才能を発揮したらしく、私の父が驚くくらいに成長し、三年後に王都の武術大会で最年少で優勝した。
そこから私の護衛役という形になって、今でも私の一番近い存在として、居続けていてくれる。
「そう、ですね……もうそんなに、経つんですね」
ふとカルアを見てみると、カルアも思い出しているのか解らないけど、少し遠い目をしている。
「私は、カルアが止めても家を本当に出るわ。でもね、きっとカルアの事を思い出すと思うの。……だから、カルアも一緒にって思ったの」
あの雨の日に私が見つけた、命。そして一緒に育った、まるで弟のようで兄のようで友のような存在。
とても大切な存在だから、この屋敷に置いては行けなかった。
「僕は……家を飛び出すというのが、本当に正しい選択なのかはわかりません。ですが、シャルさまが……シャルさまにとって、後悔のない選択なら、僕はそれでいいと思います」
最後の言葉を、微かにだけど、穏かに微笑んで言い放った。それはカルアの本心で、了承の意味だと気づいて、心の底から嬉しくなった。
だから「カルアっ大好きっ」と言いつつ思いっきり抱きついた。それももう飛び込むような勢いで。
カルアは少しふら付いたけど、日ごろからの鍛錬の賜物か、少しぐらつく程度でしっかりと支えてくれた。