一、四方八方大炎火
〜この回から登場する人物〜
・許褚(仲康) ?〜?
曹操配下の将。身の丈八尺、胴回り十囲の大男。典韋と互角に戦えるほどの豪傑。
曹操が慌ただしく逃げていたまさしくそこへ、真南から軍馬の一隊が至った。すなわち、救援に駆け付けた夏侯惇の軍勢である。
夏侯惇は呂布の勢いを挫いて大いに戦い、黄昏の時分まで至る頃、大雨が俄かに降り注いで、両軍ともに撤退を余儀なくされたのであった。
曹操は砦へ戻ると典韋に重い褒賞を与え、領軍都尉の位を加えた。
一方で呂布も帰陣し、陳宮と謀議を重ねていた。かくて陳宮の言うよう、
「濮陽の城中に田氏という富豪がおりまして、家僮は千を超え、一郡きっての名家であります。かの人に密かに使者を遣わして、曹操の陣営に『温侯の呂布は残暴不仁にて、民衆大いに怨嗟す。今、黎陽に兵を移さんとして高順を城内に留めておる故、連夜に兵を進められたならば、我が内応す』との書簡を届けさせましょう。曹操がもし来たならば、城内に誘い入れ、四方から火を放ち、外には兵を伏せておきます。曹操に天地を経緯する才能があろうとも、かような事態に陥ってしまえば、どうして脱出がかないましょう」
呂布は陳宮の計略に従い、田氏へ曹操を誘き寄せるための密書を遣わした。
呈上された書状にいわく、
「呂布はすでに黎陽へと向かい、城中は空虚であります。願わくば速やかなる出撃を。さすれば私が内応いたします。暗号として、城の上に『義』と大書した白旗を掲げておきます」
曹操は書状を読んで大いに喜び、
「天がわしに濮陽を与えたか!」
と豪語した。使者には重い賞賜が加えられ、一同出陣の準備を整える折、劉曄が述べた。
「呂布は無謀と申せど、陳宮には策多く、油断ならぬ相手です。恐らくはその書状にも何か作為があるものかと見受けられます故、備えを設けるに越した事はございませぬかと……。明公おん自ら出撃なさるならば、部隊を三つに分け、うち二隊は変事に備えて城の外へ伏せておき、一隊を入城させるがよろしいかと存じます」
「ふむ、用心に越した事はないのう」
曹操は劉曄の提案に従い、隊を三つに分けて濮陽の城下へと至った。
先行して観望した所、城の上に並んだ旗指物の中──西門の一角に「義」と書かれた白旗の存在が認められたので、曹操は内心安堵していた。
その日、午の時の頃に城門が開かれ、二人の武将が兵を引き連れて戦いを挑んできた。前方は侯成、後方は高順である。
曹操は即座に典韋を出馬させ、侯成を相手取らせた。侯成は典韋の怪力に抵抗し得ず、馬首を巡らせて城中へ逃げ帰る。典韋が追撃して橋の辺まで至ると、高順も撃ち破られてともに城へと舞い戻った。
そんな折、乱戦に乗じて曹操の陣営に紛れ込んできた軍人がおり、自身を「田氏の使い」と称したその男は、曹操に密書を送呈してきた。
その内容は、要約すると以下の通りである。
「今夜の初更、城の上から銅鑼を鳴らして合図を出しますゆえ、すぐに兵を進められたし。それがしが門を開きます」
曹操は夏侯惇に左軍、曹洪に右軍の指揮を委ねると、自身は夏侯淵・李典・楽進・典韋の四将とともに兵を率いて入城しようとしたが、そこで李典が諫言した。
「我が君、いったん城外にお控えくださいませ。身共が先に城へ立ち入り、様子を見てまいります」
曹操は、
「わしが進まねば、誰が前へ進もうというのじゃ!」
と一喝し、かくて先頭に立って城内へと突入した。
時まさに月ののぼらぬ初更の頃、濮陽城の西門から法螺貝を吹く音が響き、喊声がやにわに巻き起こった。門上の松明は爛々として城門が開け放たれ、吊り橋が落とされる。
曹操先陣を切りて馬に鞭入れ、一気に州府まで至ったが、路上には人っ子一人いない──曹操は敵の術中に陥ったと悟り、急ぎ馬を反転させて叫んだ。
「謀られたっ!! 退けっ! 退けーいっ!!」
が、もう遅い! 州府中に砲撃一声鳴り響かば、四方から烈しい火の手があがり、天を貫かんほどに立ち昇った。金鼓の激唱とともに江翻り、海も渇かんほどの喊声沸き起こって、東からは張遼、西からは臧覇の軍勢がどっと押し寄せて来た。
曹操が北門へ走れば、道端から郝萌、曹性が転び出で、一陣また掩殺さる。曹操が南門へ逃げれば、こちらには高順と侯成が待ち受けていた。
そうはさせじと典韋、目を怒らせ、歯を食いしばりながら血路を開き、高順と侯成は城外へと蹴散らされた。
典韋が吊り橋まで切り抜けた所で振り返ってみれば、曹操の姿が見えない。身を翻して再び城内へ切り込むと、門下にて李典と出くわした。
「我が君はいずこにおわす」
と典韋が訊ねれば、李典、
「それが……私も捜しておるのだが、見つからぬのだ」
典韋、
「貴殿は城外の二隊へ援軍の要請を。俺は城内で我が君の捜索を続ける」
李典が了承してその場を後にすると、典韋は城内に切り込みをかけた。が、やはり曹操が見つからない。再び城の壕の端まで至ると、今度は楽進に行き当たった。
楽進、
「典韋よ、我が君は何処におられるのだ」
典韋、
「俺も二度往復したが、見つからぬ」
「ならば、ともに切り行って我が君をお救いいたそう」
典韋と楽進が門の側まで到達すると、城の上から火箭が降り注ぎ、楽進の馬はそれ以上進む事を肯じぬ。典韋は煙と火の中を突き進み、切り込んでは抜けてを繰り返し、到る所で主君の消息を尋ねた。
一方の曹操、典韋の切り込む姿を目の当たりにしてはいたものの、四方を呂布の兵に囲まれ、南門から脱出する事かなわずにいた。
再度北門へ反転する折、曹操は炎に照らされた将が画戟を片手に馬を躍らせる姿を認めた──そう、曹操がばったり出くわしてしまった男は他でもない、呂布である。
(まずい……! 呂布に勘付かれたらおしまいだ)
曹操は手で顔を掩い、馬に鞭を入れて過ぎ去ろうとしたが、呂布が追い縋り、画戟で曹操の兜をこつん、と叩いてきた。
(こ、これまでか……)
「おい、曹操は見つかったのか?」
呂布は、目の前の男が曹操だと気付いてはいなかった。曹操は胸を撫で下ろしながら反対側を指差し、
「あちらの栗毛馬に乗っておる者がそうです」
と述べた。
呂布は聞くなり曹操を放り出し、件の騎馬を追った。
曹操は馬首を巡らせて東門を目指し、そこで典韋とようやく再会した。典韋は曹操を護衛しながら血路を開き、城門の辺りまで至ったが、火の勢いが甚だ烈しく、城下へと投げ入れられた柴草へ引火して辺り一面炎の海という有様であった。
典韋は戟を用いて道を開き、馬を飛ばして火煙の中を先行した。曹操は後方から追随したのであるが、まさに門へと到達せんとした折、城門の上から一條の梁が焼け落ちて曹操の乗馬の臀部に当たり、曹操は馬もろとも転倒してしまった。
曹操は手ずから火の着いた梁を払って地へ落としたが、手臂から髭、毛髪に至るまで盡くに火傷を負ってしまう。
「おお我が君、しっかりなさいませ」
典韋が馬首を返して曹操を助け起こしているそこへ、夏侯淵が頃よくやって来たため、二将は共に曹操を抱え上げ、燃え盛る炎の中から脱出した。曹操は夏侯淵の馬に乗り、典韋は血路を切り開く。火に彩られた乱戦は明け方まで続き、曹操はようやく陣営に帰還する事がかなった。




