四、陳宮の暗躍
さて曹操。軍中に在りて諸将と話し合っていた折、徐州から戦書が届いたとの一報あり。曹操が開封して見てみれば、これぞ劉備の書状である。
書状の大略は以下のようなものであった。
「劉備は関外より貴君のご尊顔を拝見してより、それぞれ遠きに隔てられ、お目通りもかなわずにおりました。ご尊父の曹侯は、実に張闓の不仁により害に遭われたのであって、陶恭祖の罪悪にはございませぬ。目下、黄巾の残党が外部を擾乱させ、董卓の余勢が内部に蟠踞してございます。願わくば明公には朝廷の危急をまずご考慮いただき、私情による報讐を後となさいますように。徐州から兵を退かせ、国難を救われれば、則ち徐州は幸甚、天下もまた幸甚にございます」
曹操は書状を読み終えると、大罵した。
「劉備め、何様のつもりなのだ! わしにこんな書状で指図をするとは。しかも、行間からはわしを誹謗する意思が見て取れる」
曹操は使者を斬り捨てた上で全力の城攻めを敢行する──と下知しようとしたが、郭嘉が諌めて言った。
「遠くより救援に至った劉備が、先に礼を通じて後に戦をする腹づもりならば、主公は好言を以てこれにお答えなさいませ。劉備の油断につけ込む形で兵を進めて城を攻撃さば、破る事もかないましょう」
曹操は郭嘉の進言に従い、使者を留めて款待すると、返書を発した。
が、商議の折、突如として早馬がやって来て凶報を告げて来た。曹操が何事かと問えば、呂布が兗州を急襲し、兵を進めて濮陽に拠っているのだという。
呂布は長安で李傕・郭汜の乱に巻き込まれた後、武関を抜けて袁術の元へ身を寄せていたのであるが、袁術は呂布の反覆が定まらぬ事を怪しんでおり、拒絶し傍に近づけなかったのである。
袁術の元を去った後、呂布は袁紹に身を投じた。袁紹は呂布を受け入れ、彼とともに常山の張燕と戦ったのであるが、呂布はだんだんと得意になって袁紹配下の将士を侮るようになったために、やがて袁紹は呂布を消してしまおうと考えるようになった。
呂布はそこで同郷の張楊を頼った。この時、龐舒という男が長安の城中におり、私的に呂布の妻子を匿って、呂布の元へ送り届けていたが、李傕と郭汜はその事を知ると彼を斬り殺し、張楊に書状を与えて呂布を殺させようとした。
呂布はその事を察して今度は陳留太守の張邈の元へ落ち延び、その時ちょうど張邈の弟の張超が、陳宮を兄に引見させた所だったのである。
陳宮が張邈に説くよう、
「今、天下は分かたれ崩壊し、英雄豪傑が並び立っております。あなたは千里の群衆を擁しながらも反対に他者から掣肘を受けておりますが、なんと卑しい事ではございませんか。今、曹操は東征し、その本拠地である兗州は空虚、呂布は当世の勇士であり、彼と共に兗州を取ったならば、西伯(周の文王、姫昌)の事業を図る事がかないましょう」
張邈大いに喜び、直ちに呂布に兗州を襲わせ、濮陽の占拠に追従したのであった。
鄄城・東阿・范の三箇所のみが荀彧と程昱が立てた計によって死守され、それ以外の全ての拠点は破られてしまっていた。曹仁は何度も戦ったが、一度も勝利する事が出来ず、わざわざこうして危急を告げに現れたのである。
曹操は報せを聞くと、大いに驚き、こう述べた。
「兗州を失陥してしまえば、わしは帰る家を無くしてしまう。可及的速やかに善後策を考えねばなるまい」
郭嘉の見解は、
「主公はこの機に個人の情をかわされ、劉備に恩をお売りなさいまし。軍を撤収させ、兗州へと戻りましょうぞ」
曹操は頷き、即刻劉備へ返書を与え、兵を引き上げたのであった。




