二、若武者趙雲
公孫瓚の来攻を知ると袁紹もまた兵を統領して出撃した。両軍は磐河の上で相見える格好となり、袁紹軍が磐河橋の東側、公孫瓚軍は西側に陣を構えた。
公孫瓚は立ち所に橋上へ参ずると、大声で呼ばわった。
「義に背く輩め! 何故私を売り、あまつさえ弟の命まで奪いおった!」
袁紹もまた馬に策を入れて橋の辺まで至ると、公孫瓚を指差して、
「韓馥には才無く、自ら願い出て私に冀州を譲ったのだ! 貴様には何の関係もない!」
「ぬかせ! 先日は忠義によって貴様を連合軍の盟主に推戴したが、本性は虎狼や狗の類であったとはな! 何の面目ありて世間に立てるというのだ!?」
公孫瓚が逆寄せると、袁紹の憤怒の檄が飛んだ。
「誰か、公孫瓚めを引っ捕らえよーーっ!!」
言うが早いか、文醜が馬に鞭入れ槍を扱いて突っ込んで来ると、公孫瓚は橋の辺で鉾先を交えた。十合打ち合うも公孫瓚は抵抗し切れずに反転、第一陣は見る見るうちに崩されていった。公孫瓚は中陣へ逃れたが、文醜は馬を飛ばして突貫、公孫瓚軍の兵士を薙ぎ倒していく。
そこで公孫瓚配下の健将四名が一斉に迎撃に出たが、うち一名が文醜にたったの一撃で斃されて馬から吹き飛ぶと、残る三名は怖気付いて逃げ出してしまった。
文醜は自陣から突出してしまった公孫瓚の背後を追走、公孫瓚は山谷へと逃れようとしたが、
「公孫瓚! 潔く下馬して投降せよ!」
との厲声がすぐ後ろから離れない。
公孫瓚は弓箭を全て落とし、兜も脱げ、髪を振り乱して遮二無二駆けたが、そのうちに乗馬が山の坡に前脚を取られて転倒してしまい、どさりと山肌に投げ出されてしまった。
文醜がすぐさま馬首を巡らせて、公孫瓚に止めの一突きを見舞わんとしたその時、左方の草叢から出し抜けにひとりの青年が現れた。馬を飛ばして槍を携え、直接文醜に向かっていく。
公孫瓚が傷付いた体で這い上がって青年を見ると、その身長は八尺(193センチ)、濃い眉毛に大きな瞳、闊い面に二重顎、威風堂々たる姿である。
公孫瓚を討つ絶好の機を潰された文醜は、怒りの形相で青年に襲い掛かった。交戦、火花の散るかの如き打ち合い。しかし、五十から六十合鉾先を交えてもまるで決着が着かない。一介の青年が渤海一の武勇と謳われた文醜と五分を張り合っている光景に、公孫瓚はただただ目を丸くしていた。
やがて公孫瓚麾下の援軍が至ると、文醜は形勢不利と見て退却していったが、青年はこれを敢えて追わず。
文醜が去った後、公孫瓚は慌てて体勢を戻すと、彼の者に姓名を問うた。
青年は恭しく身を屈めて、
「私は常山郡真定県の者で、姓は趙、名を雲、字を子龍と申します。もとは袁紹の幕下におりましたが、彼には忠義なく、民衆を救おうという意思がありませぬ。故にその下を離れて公孫将軍の麾下へ身を投じようとした折、期せずしてこの場に出くわしたものにございます」
公孫瓚は大いに喜び、かくて趙雲を連れて本陣へ戻ると、軍団の兵装を改めて整えた。




