四、烈士伍孚
その後、董卓は毎晩のように後宮へ押し入って宮女と姦淫に耽り、眠る際には天子の寝台を使うようになった。
二月のある日、董卓は軍勢を率いて城陽の方面へ赴いたが、そこで村の人々が祭を催している場に出くわした。董卓は手勢の者に命じて虐殺を行わせ、美女や財貨を掠め取って車に載せると、殺した者達の首を車の下へぶら下げ、意気揚々と引き揚げていった。周囲には「賊に大勝を収めた」と吹聴し、城門の下で首を焼くと、奪い取った婦女と財物は褒美として部下に分け与えてしまった。
一方、董卓の非道に義憤の炎を滾らせていた男がひとり。越騎校尉の※伍孚、字は徳瑜である。伍孚は以前から朝廷の制服の下に鎧を身に付け、その中に短刀を隠して董卓を殺す機会を窺っていた。
(※伍瓊と伍孚はともに字が徳瑜。同一人物とする説もある)
そんなある日、伍孚は閣の下に隠れて董卓の入朝を待ち、懐から刀を取り出してこれへ迫った。
しかし、殺気を敏感に察した董卓は両手で短刀を掴み取り──すぐに呂布が入って来て伍孚を押さえつけた。
「誰に反乱を唆された?」
冷淡に問う董卓に伍孚は声を張り上げて、
「貴様は私の主君でなく、私は貴様の臣下ではないのに、何故反乱などと! 貴様の悪行は空を覆い尽くし、人々はその誅滅を願っておる! 貴様を車裂きにして、天下万民に詫びを入れられぬ事が残念だ!!」
董卓は烈火の如くに怒り、伍孚を引き摺り出して反対に四肢を裂くよう部下に命じた。かくて刑が執行されたが、伍孚は絶命の瞬間まで董卓を罵る事をやめなかった。
後世の人が伍孚を讃えた詩にこうある。
漢末の忠臣は伍孚を説わん、
天にも登らん豪気世間に類無し。
朝堂に賊を殺さんと猶名在りて、
万古に堪える大丈夫と称えられん。




