42話 八輪
(もう直ぐ休憩が終わる)
一体、何度目だろうか。
休憩のたびに何か用事をつけては、大階段の前で待っているのは。
リザディアの空が茜色に染まる頃、受付嬢は東の方角を一点に見つめていた。
二日前の早馬の話によれば、もう帰還してもいい頃だ。
小鬼の軍勢、小鬼ノ王、凄惨な村の状況。
赤髪の副団長は何故か嬉々として語っていたが、意味が分からなかった。
受付嬢は首筋が冷えるのを感じ、送り出してしまった事を後悔した。
それでも、生きているという一報を知らせただけ、あの語り口にも意味はあったか。
(……もう時間。次は、退勤の後ね)
人波の中、あの八人の姿は見当たらない。
極僅か、眉根に皺が寄る。
一旦戻ろうと、大階段に足をかけた。
「帰りましたよー!」
響いて来た鈴のような声音に、本能的に振り向いた。
眼鏡の奥の藍色の瞳が、大きく手を振る姿を捉える。
気付けば、走り出していた。
「只今戻りました。依頼は無事、完了です」
漆黒の一房を揺らし、ルナが誇らし気に笑みを浮かべた。
「はい……お待ち、しておりました」
受付嬢は切れた息を整え、全員を見渡す。
少し汚れて、少し疲れている。
それでも、皆充足した表情で――生きている。
途端に、喉の奥が熱くなった。
「うっ……良かっ、た……本当に……!」
普段は眉一つ動かさない、彫刻のように整った顔。
それが今、俯いたまま雫が溢れ出る。
胸の前で握り締める両手を、ルナが優しく解いた。
受付嬢が顔を上げると、何故か翠の双眸と目が合った。
「依頼は完遂した。お前も果たせ」
「ヴィオさん……」
ルナから大きな溜息が漏れ出るが、ヴィオは変わらない。
いつも通りの光景に、受付嬢の熱も収まっていく。
「……承知しております。約束のものは、こちらに」
ポケットから二枚の青い冒険者章を取り出し、裏面を提示した。
そこに刻まれた二人の名前を見て、ルナの口角が緩んでいく。
「やりました……ヴィオさん! やりましたよ!」
「あぁ」
ヴィオは直ぐに首にかけ、ルナは空に掲げて瞳を輝かせる。
本当に、いつも通りだ。
その後ろで歓声が巻き起こり、六人が自分の事のように喜んでいる。
あの魔法使いでさえも。
受付嬢はじっとその光景を見つめ、小さく息を吐いた。
「ヴィ〜オ〜、嬉しいかぁ?」
「別に」
「ルナー! これで転移陣使えるじゃーん」
「やっとです。これはもう多分毎日使いますね」
早馬の報告は、はっきり言って地獄だった。
青タグ六人なら、確実に死んでいただろう。
ヴィオだけでも、ルナだけでも護りきれなかった筈だ。
二人一緒で、六人がいたから――奇跡を起こせた。
受付嬢の胸が少しだけ、熱くなる。
(……いけない。もう業務時間だった)
誰にも聞かれないように、小さく呼吸を整えて。
いつもの厳格な表情に戻った受付嬢から、いつもの声音が落とされた。
「皆様、お疲れ様でした。東の村への護衛依頼完了、受理致します」
▽▼▽
大通り・宵猫の匙亭――
東地区でも一、二を誇る人気の酒場。
連日冒険者が押し寄せ、戦果を語り酒を流し込む。
揃いの制服を着た給仕が駆け回り、大皿やジョッキが重ねられていく。
そんな店内の一角。
壁際の大きな卓を囲んで、ヴィオとルナが席に着いていた。
六人が絶対にやるといった祝勝会。
乗り気なルナと、どちらでもよかったヴィオ。
先に到着し、席を確保したが。
「それで」
翠の双眸が左隣に向けられた。
駆け付け一杯を飲みながら、眉一つ動かさずヴィオを見返す。
「何か」
藍色の瞳は平坦のまま。
普段引っ詰めている栗色の髪を下ろし、眼鏡を外した出立ち。
制服から清楚なワンピースに着替えた、受付嬢がいた。
「冒険者と飲むのも仕事か?」
「勿論、業務外です。普段は有り得ませんが、今回はルナ様にお誘い頂きましたので」
ヴィオの視線が、今度は右隣に移る。
「だって、今回の依頼を推薦してくれたんですよ? そのお礼です」
「恐縮です」
また一口酒を含んだ受付嬢は、唇に泡を付けた。
ルナが笑顔で教えてやると、手早く拭き取る。
そんな姿を眺めつつ、ヴィオは周囲の視線の意味を理解した。
(……成る程)
店に入ってから今まで、とにかく見られていた。
仕事で頻繁に来るなら、こうはならないだろう。
本人も言っていた通り、有り得ないから珍しい。
羨望か、やっかみか。
逆恨みまでいかなければいいが。
そんな事を考えながら、小さく溜息が漏れた。
「……迷惑、でしたか?」
いつもの受付嬢の顔に変わりないが、少しだけ声量が落ちた。
「いや」「そんな事ないですよ」
ヴィオは淡々、ルナは微笑み。
本当に、いつもと変わらない。
受付嬢の口角が、少し上がった。
「お前、酒は強いのか?」
「……それなりには」
瞬きの警戒が、受付嬢の胸に沸いた。
やはり、この人も同じなのか。
口角が戻ると同時に、ヴィオの視線がルナに向いた。
「ルナ、飲み過ぎるとどうなる」
「人にもよりますが、潰れますね」
ここで、視線が戻って来た。
何やらヴィオは頷いているが、意味が分からない。
受付嬢が僅かに首を傾げると、ヴィオが言葉を続けた。
「飲み過ぎるな。介抱は面倒だ」
「……承知しました」
「ルナ、お前もだぞ」
「えっ……はーい」
腕を組んで唸っていたルナは、釘を刺されて頬を膨らませる。
そんな姿を見ていると、自然と――再び口角が上がった。
本当に、いつも通りだ。
話す時も常に目を見て、視線が下に落ちてこない。
そんな事に、今更気付いた。
「おー! 待たせたー!」
その時、魔法使い達がやって来た。
六人が卓に付くが、視線がヴィオの隣に集まる。
「えっ、受付嬢さん?」
「すみませーん! エール九杯くださーい!」
魔法使いが目を丸くした横で、ルナが注文を頼む。
「お邪魔しています」
空になったジョッキを置き、受付嬢がいつもの綺麗なお辞儀を見せた。
「一向に構わないが……先に飲んだのか?」
女剣士の鋭い声音が、受付嬢を襲った。
暫しの無言、そして再びのお辞儀。
「つい」
「まぁまぁ。ほら、僕達の分も来たよ」
剣士が宥めながら、各自ジョッキを持った事を確認する。
「いいかな? では、うん……色々言いたい事はあるけど、僕達は勝った! 無事にやり遂げた! 全員の帰還に! 乾杯っ!」
「「「かんぱーい!!」」」
大皿も続々と運ばれ、宴が進む。
よく飲み、頬張り、語らい合う。
「ぷはぁ! そう言えば、何してたんですか?」
ほどほどに宴が進んだところで、ルナが六人の顔を見渡した。
目配せをした一行は、自身のタグを卓に置く。
「聞くのがおせぇよ。見ろ」
魔法使い――グスト・バーレン。
「僕達、皆同じ事を考えていたんだ」
「皆、生きてる」
剣士と重戦士――セイハとゴウハ・ローウェル兄弟。
「必然、と言えるな」
女剣士――シオン・ウェンダー。
「楽しみだよね〜! これからがさ〜」
格闘家――リン・パーハイ。
「頑張る、ずっと。皆の、為に」
僧侶――メル・ワイティ。
それぞれの名前の横に、同じ文字が刻まれていた。
それを見たルナが、首を傾げる。
「八輪……とは?」
「俺達のクランの名前だ。その申請に時間がかかっちまったんだ」
「おぉ、皆さんクランを作ったんですね。おめでとうございます」
ルナが拍手をすると、グストが首を振った。
「言ったろ? 俺達のクランだ」
「え?」
「ヴィオさんとルナにも、是非加わって欲しい」
セイハがそう言うと、グスト達が頷く。
ヴィオがルナを確認すると、僅かに眉根を寄せながら、静かに頷いた。
「断る」
「何でだよっ!?」
(……断るんですね)
グストが声を上げた横で、受付嬢がエールを少し吹き出した。
シオン達も疑問と勧誘を口にするが、ヴィオは淡々と告げる。
「俺もルナも、お前達のお守りではない。目的が別にある」
「それ、は……そう、だけどよ」
やるせない思いが、グストの顔を伏せさせた。
だが、翠の双眸が少し上を向いた後、一行を見渡す。
「いや……訂正する。お守りは必要ない――お前達なら」
ヴィオは事実を告げる。
そこには忖度も、感情もない。
だからこそ、六人の心に沁みていく。
「何かあれば言え。出来る限り助力する」
ルナも笑顔で頷く。
グスト達は互いを見合わせ、顔を綻ばせた。
「ま、ヴィオならそう言うって……思ってたけどよ」
そう言いながら、二枚のカードを卓に置いた。
ルナが手に取ると、八輪の文字と蒼い八枚の花弁が描かれていた。
「これは何ですか?」
「相互支援札だ。もし、何かの際にルナ達が窮地に立たされたと分かったら」
「僕達が、どこにいても駆け付ける」
セイハとシオンが、卓の上に拳を出した。
「絶対、死なせない」
「今回みたいなやつだよねー。動けないとか、帰れないとかさっ」
ゴウハとリンも、同じく拳を出した。
「絶対、見捨てない」
「そういう事だぁ! ありがたく思えよぉ!」
メルもグストも同じだ。
金と銀の双眸を細め、ルナも拳を合わせた。
「ふふっ、頼りにしてますね」
七人の瞳が、ヴィオに集まった。
「……期待している」
最後に分厚い拳が――八枚の花弁が重なった。
「よぉーっしゃ! 今日は飲むぞー!」
「「「おぉーー!」」」
グストがジョッキを掲げ、音頭を取った。
受付嬢も小さく掲げ、二杯目を口に含む。
ヴィオは一つ息を吐いたが、何も言わなかった。
その日は閉店まで、九人の賑やかな声が途絶える事はなかった。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
早い段階からブックマークしてくださり、更新を追ってくださった方がいたことは、とても励みになっていました。
本作は一部完結を区切りに、一度下げる予定です。
全ての構成を改めたうえで、より良い形に整えて再投稿したいと考えています。
ここまで付き合ってくださったこと、心より感謝いたします。




