第十八節 戦う理由 ④
「それなのに……お嬢さんは、『この世界はこのままでいい』と思っているの?」
それを聞いた女性は、心の底から怪訝な顔をする。
「『このままでいい』とは思わないわ。けれど、誰かの自己満足で作られた箱庭のような世界で生きる趣味はないの」
「個人的なこだわりがあるから、世界の安寧を願わないというの? 誰もが平等な環境で生きていける世界は間違っていると?」
「世界が安寧であることは願いたいわ。けれど、あなたたちの理想が叶ってしまったら、私たちが愛する世界が滅ぶの。だから、あなたたちとは相容れないのよ」
その言葉の意味は、ユリアたちの正体を知っていないと何もわからない言葉だったが、女性と星霊はその意味を聞こうとはしなかった。
「……相容れなくても、あなたも解るでしょう? 生まれたところなんて、誰にも選べないわ~……。余裕のない環境で生まれてしまったら、自分で未来を選択してみたくても出来ないものなのよ。その差も、争いを生む火種となるわ」
「ええ。……よく知っているわ」
わかっている。私の言葉は、恵まれた者だからこそ言える言葉。余裕のない環境で生まれても、自身が持つ倒れても立ち上がれる力や、己を支えてくれる仲間などに恵まれていればまだいいが、なにも得られずに憎しみだけが募っていく者もいる。
それなのに、自身のエゴで戦う。だから、私は優しい人間じゃない。天国に行けるような人間でもない。それが私だ。
「誰もが負の感情を抱かずに、なおかつ何もかも平等であれば、争いなんて起きないようになるわ。もちろん。私達〈きょうだい〉全員も、心を生まれ変わるつもりよ。でないと平等じゃないもの~」
誰もが平等で、争いが起きない世界。誰も苦しまず、笑顔で満ちているであろう輝かしい世界。
「……わからなくはないわ。私だって、もう戦争なんてしたくはない……。それでも──それでもよ……」
ユリアは目を閉じ、悲しげに首を振る。お互いに戦争を無くしたいと思っている。それなのに、あまりにも──。
「外見がそのままであったとしても、そんなことをしたら……それはもう別人なのよ……。私が愛している人たちではなくなってしまう──あなたたちがしようとしていることは、生きる者の魂を人形に作り変えようとしているのと同じだわ」
彼女たちがやろうとしていることは、強制的な心の死。こうでもしないと争いがなくならないということは理解できる。だからといって、こんなことが許されていいのか。
──許せない。受け入れられない。それが、ユリアの正直な気持ちがだった。
「オレはこんな人間だから、あまり他人を否定できる立場ではないんだが──個人的に、君たちがしようとしていることは受け入れられない。強制的に『今とは違う自分になれ』と言うのなら、オレはどんな手口を使ってでも君たちを殺す。とはいえ、行動に出ればユリアに怒られるから今はまだしないが」
当然、テオドルスも同じだった。そうなってしまえば、彼のなかにいる獣は死ぬ。ゆえに獣は牙を見せた。
「アタチたち〈きょうだい〉が生まれた理由は、この地上に生きる者たちがこの世の行く末を案じていたから。争いが増え、悲しみばかりに満たされるこの世をどうすればいいのか──だからこそ、アタチたち〈きょうだい〉はこの世を見定め、すべきことを実行するために生まれた」
「そして、私たちは『生きる者たちの心に、負の感情が生まれないようにするべき』だと感じたのよ~。こうすれば、もう争いは生まれないだろうから」
女性たちが語ると、テオドルスは否定するように首を振った。
「〈きょうだい〉という存在が、神の末端かつ星の末端であり、この世に生きる者たちの願いから生まれた存在であったとしても──そんなことを望んでいない者たちの意思を無視するのは、争いで無差別に虐殺する罪人とどう違うんだ? 身体が生きていれば、それ以外なにをされても文句は出ないとでも? 『獣』と蔑むわりには、君たちもオレたちとそこまで変わりないと思うが」
「この世は不完全。何かを得るためには、何かを切り捨てないといけない。相反する意見を持つ者は、必ずいる。恨まれる覚悟があるからこそ、アタチたちはこの道を選んだ」
「ほう。『この世は不完全だから』か──『正義』並みに便利な言葉だな。今後、使わせてもらおう。そして、改革派は保守派に睨まれる義務があるということには同意だ」
「あらあら、お兄さん。人間のことを知ったように語るのね?」
女性はテオドルスに対して嘲るように穏やかな口調で言うと、彼は笑った。
「はは。獣だから知らないと思ったのか? ──知っているさ。これでも、オレは王だった時代があるからな」
「まあ……。その治世に生きていた人間と星霊たちが不憫でならないわね……」
「彼の治世で騒動が起こったという話は、私の耳に入ってはこなかったけれどね」
ユリアはさりげなく当時を語る。獣性は強いが、政治のことになると妙にバランスのとれた手腕を発揮していた。政治は、ユリアやアイオーン、彼の家族にも影響する仕事だからだろうか。手紙では戦場が恋しいと愚痴を吐いてはいたが。
〈黒きもの〉との激戦が繰り広げられていた当時では、功績をあげた者たちは地位など関係なく称えられる時代だった。功績をあげ続けて貴族となった家もある。ラウレンティウスの生家であるローヴァイン家もそれだ。だからテオドルスも、恐れられていた一面はあったが称えられた。戦いを求めて、それを愉しむ戦闘狂であっても、称賛の言葉が勝った。あのまま何事もなく治世が続いていれば、たとえ代理の国王であったとしても、テオドルスは間違いなく勇敢な王として後世に名を残していただろう。多少、問題児だったということも残るだろうが。
「……政治の話はともかくとして、そちらと私たちの意見はずっと平行線のまま。これ以上、話し合いは無駄なんでしょうね~……」
「そうだな。これ以上は時間の無駄だろう。そちらも揺るぎない信念を持っていると解った」
テオドルスはきっぱりと認める。
「私たちは、もう相容れない〈きょうだい〉と戦うこと覚悟してここにいるわ。──おふたりも、そうなのでしょう──?」
すると、女性は持っていた欠片に施されていた封印術を解いた。その瞬間、欠片にこびりついていた呪いがあふれ出る。そして──。
「あ……!?」
女性は、欠片を口に入れ、飲み込んだ。呪いごと。
「私のやるべきことは──あなたたち二体の『獣』を倒すこと。あなたたちは、敵側の〈きょうだい〉のなかでも厄介そうな気配がするもの~……。敵であるなら、生かしてはおけないわ」
やがて、女性の皮膚が黒くなり、溶けるように地面に落ちる。人間としての身体は少しずつ崩壊していく。
「──アタチも手伝う。これが自分の生きる意味だと思うから」
星霊は尖った手を伸ばし、若い女性も崩れ落ちていく手を伸ばした。呪いに触れた星霊の手も、呪いによって黒くなり、全身に侵食されていった。やがて、ふたりとも元の形を失って泥となる。人間と星霊だった泥は一つの塊となり、ユリアとテオドルスにとっては見たことがある異形へと化す。
「……自らの命を犠牲にしてまで、仲間たちの目的を達成させようとするとは……それが、君たちなりの世界への愛ということか」
信念を持って、女性と羽を持つ星霊は〈黒きもの〉になった。生まれた時代で嫌というほど目にした〈黒きもの〉が目の前にいる。
「君たちの信念は本物だった。先ほどまでの非礼を詫びよう。そのような決心ができる君たちは眩しい存在だ──だからこそ、人間や星霊の姿でなくとも戦うことができて光栄だ。……さあ、死地を楽しもうか!」
テオドルスは姿勢を正して詫びる動作をすると、笑顔で腰に帯びている鞘から剣を抜いた。ユリアも臨戦態勢に入る。
「たとえ獣だと言われようとも、そちらに強い信念があろうとも、私にも譲れないものがある。あなたたちが望む世界は、私が苦しくとも生きてきた人生を否定されたようなもの──だから私は、あなたたちの望みを斬り捨てる」
◇◇◇
戦闘が終わった。
みずみずしく生えていたはずの木々や草花は折れ、そして枯れている。緑に生い茂っていた地面は黒く染まっている。植物の枯死と地面の黒ずみは戦闘の衝撃によるものではなく、呪いに触れたからだ。命を狩り取られている。
ユリアとテオドルスは、その死んだ地に立っていた。ふたりは〈黒きもの〉と戦いなれていることから軽傷で済んでいる。アイオーンの血をもらったことで自然治癒力が向上しており、ふたりの傷はすでに塞がっている。残されているのは、服がところどころ破けて血が付着した跡だけだ。




