第五節 『名もなき』兄弟 ②
「……んも〜! すぐ行動するんだからあの兄弟は〜ッ……! アタシも行くからちょっと待ちなさーい!」
ゼリオスカは、そんなふたりを親のように怒り、ユリアに顔を向ける。
「──ごめんなさいね、ユリア・ジークリンデ。あのふたり、いつもああなのよ……。ずっと兄弟ふたりだけで過ごしてるから、他人に合わせようって意識が薄すぎて……」
「はは……。それなら、仕方ないですね……」
「気を遣わせて悪いわねぇ……。って、そろそろ行かないと置いてかれるわね──」
そして、ゼリオスカは家の奥に向かって叫んだ。
「というわけで、モクー! ごめーん! お留守番お願いするわ〜!」
「うきゅ〜」
家のどこかから、「わかった〜」と言っているかのような軽いノリの鳴き声が聞こえた。
(めちゃくちゃ慣れたように返事するわね、モク……)
思わずじわじわと笑いが込み上げながら、ユリアはゼリオスカと共に傭兵兄弟の後を追った。
◇◇◇
あの大胆な出で立ちの少女と戦った戦場跡へとやってくると、大気中の魔力からはまだ重苦しい気配を感じていた。魔力の乱れもある。
だが、倒したはずの少女は見当たらなかった。
「あの子の姿がない……」
「魔物が攫っていったか、それとも生きているのか──」
そう言いながら、青年はとある場所へと足を進めた。そこは、もっとも地面に凹みができている場所──戦闘狂の少女を倒したところだった。青年はそこでしゃがみ込み、結論を出した。
「……生きている可能性が高いな。真新しい足跡だ。手をついたような跡もある。立ち上がった際に出来た跡だろうな」
ユリアはそれらの跡を確認するために、青年へと近づく。
「……本当ね」
「ここでは、魔物が暴れていたということだが……そのわりには、魔力にはやけに負の感情がこもっているな……」
すると、その状況を不審に思う青年の言葉にゼリオスカが答えた。
「よね〜……やっぱりこれ、負の感情よねぇ──。でも、これほどのものなら、人間や星霊が大勢で戦わないとならないんじゃない……?」
「負の感情が凝り固まったものを、魔物に埋め込んだのかもしれません。少し前に、違う街でそれが使われた事件があったようなので」
そして少年が言う。どうやら、この世界ではこのようなことがたびたび起こるらしい。なんとも物騒な情勢だ。
家族は無事なのだろうか。そもそも、この世界にやってきているのか──。
「その可能性はあるな……」
そう言葉を呟きながら、青年はしゃがみ込んだまま地面に付着している血痕を凝視する。
「兄さん。この血って──」
彼の弟もやってきて、血を確認した。
「ああ……。やはり、これは……」
そして、兄弟はユリアをちらりと見る。
「……な、なに……?」
ふたりの目が、何かを疑うかのようなものに見えたユリアは身構えた。
「──お兄さんと弟くん、なにか判ったの? その血のこと」
その時、ゼリオスカがユリアの隣にやってきて問いかける。すると、兄弟はユリアから視線を外した。
「いや……。だが、この地で起こった戦いについては、この魔力の気配のおかげでだいたいの目星はついた。それに、ここで襲われたのは、ある神を盲目的に信仰する巡礼中の者たちだ。そのことからも、さらに犯人を絞れる」
「でも……犯行の目的が判っても、犯人を特定するのは難しいよね」
「……それでも、もう少し調べてみるか」
と、青年は立ち上がり、弟とともにその場から離れていった。
「──ユリア・ジークリンデ、大丈夫?」
兄弟がある程度離れた時、ゼリオスカが小さな声でユリアに声をかけた。
「な、何がですか?」
「アナタ、さっきからあのお兄さんを警戒してるというか……緊張してるみたいに見えるわ。アタシに対しては丁寧な言葉遣いだけど、アナタより年上っぽく見えるあのお兄さんには戸惑ってるような感じだし。だから一応、アタシもついてきたんだけど」
ゼリオスカがついてきた理由を知ったユリアは、なんとも言えない笑みを浮かべた。
あの青年が、アイオーンの顔に似ているせいだ。だから丁寧な言葉で話すと変な気持ちになるため、敬語では話せない。
「そう、でしょうか……?」
「素直に言っていいわよ──ふたりと付き合いの長いアタシだって、お兄さんの雰囲気はちょっと怖いって思うもの。背も高いし。弟くんは幼いけど、あの年頃の人間にしては落ち着きすぎだし。なんか心の距離感掴めないし」
「……そうですね」
街に滞在することなく兄弟で二人旅をしていることから、あまり人付き合いがないのだろうか。それとも、性格的な理由から意図して避けているのだろうか。
(仲良くなれたら心強い、と思っていたけれど……)
難しいかもしれない。性格面からもそうだが、兄のほうがアイオーンに似ている。その兄と似ている弟もそうだが、彼はまだ幼いことと、毛先が頬までしかない髪型だからそこまで重なることはない。しかし、兄のほうは似ている。たとえ、毛先の癖の有無、目の色、そして魔力の気配が違っていたとしても──うっかり呼んでしまいそうになる。
「……ゼリオスカさんは、先ほどからあの人のこと『お兄さん』とか『弟くん』と呼んでいますけど、あの人たちの名前は何なのですか?」
「あ〜……それがねぇ……。──無い、のよ」
「な、ない……? 本当に無いんですか?」
説明が難しいのか、ゼリオスカは悩ましげな顔で視線をそらしてから口を開く。
「う〜ん……ふたりにとったら、なんていうのかしらねぇ……。アタシも名前は付けといたほうがいいって言ったんだけどね。でも、ふたりは『名前なんて要らない』って言うのよ」
「え──」
理由を教えられても、ユリアの頭の中に疑問符は消えなかった。
「詳しい事情は知らないわ。ともかく、そういう性格なのよ。あの兄弟はね。だから、あの兄弟を知っている人間や星霊は、『兄』と『弟』と呼んでるってわけなのよ」
「……そうですか……」
人間や星霊との繋がりどころか、自分自身のアイデンティティすらも断とうとしていないかしら、この人たち。
──この時、ユリアの脳裏にある事が横切る。
昔の私は、〈預言の子〉として、神の化身として、この身から己の心を断とうとしていた。私はみんなのための武器であり、人間ではないのだと。
でも、できなかった。
何の理由があって、彼らが『普通』から遠ざかっているのかは判らない。それでも、あの態度は、果たして『本物』なのだろうか。
(私は、彼らの心に踏み込むことはできない……。そもそも、私はこの世界の住民でもない。私の目的は、どこかにいるはずの家族を探すこと──)
それでも、心がざわつく。なぜか放ってはおけない。心のどこかに存在する『もう一人の自分』が、本当に放っておいていいのかと問いかけ続けてくる。
しばらくした後、兄弟が戻ってきた。
「なにか判った?」
ゼリオスカが聞くと、青年は軽く首を振る。
「いや……。特に何もなかった」
「なので、これで調査は切り上げます。帰りましょう」
青年の弟が言った後、ユリアはその兄弟を見つめ、口を開いた。
「……お兄さん。弟さん」
「なんだ」
「はい。なにか」
「あなたたちの名前のことなのだけど──」
「好きに呼べばいい」
興味なさげに青年は即答する。
しかし、こんなにも早く許可が下りるとは。ありがたい。
「……ならば、勝手に名前つけてさせていただくわ」
人間なのに、自身の名前が無くとも気にしない。他人とは必要最低限の関わりのみ。『普通』でなくとも、本人たちはそれに苦しんでいる素振りはない。本心からの振る舞いなのだろう。
それでも、ユリアは彼らを放ってはおけなかった。
「お兄さんは『セウェルス』。弟さんは『ルキウス』。──こう呼ぶわね」
「……なに? その名前」
ゼリオスカが問う。ユリアが生まれた時代のヒルデブラント王国ではよく聞く名前だが、やはりこのあたりでは珍しい名前らしい。
「意味は、特にありません。ただ、やっぱり名前があったほうが呼びやすいので、頭に浮かんだ名前をつけさせてもらいました」
「別に俺は構わない。──帰るぞ」
「おれも、そう呼んでもらって構いません」
兄弟はそう返事をすると、踵を返して歩いていった。
聞き慣れない名前は嫌かと思ったが、何も言われなかった。そこまで興味なしだったとは。




