第三節 異土と火種 ①
それから、どれだけの時間が経ったのだろう──。
「──ェット……。おい──イヴェット! しっかりしろって!」
青年の声に気が付いたイヴェットは、ゆっくりと目を開けた。彼女は横たわっており、目の前には草花が見えた。土や草のにおいがする。
「……うぅ……ん……」
イヴェットがぼんやりとした顔で上半身をあげて周囲を見渡しながら、クレイグとアシュリー、そしてラウレンティウスの姿を見る。
呼びかけていたクレイグは、彼女が無事だったことにひとまず安堵の息をつく。
「……? ここ……って……──ねえ、イグ兄……。なにが起こったの……? ここ……本当にヴァルブルク……?」
陽が高く昇っている。時刻は昼頃だろうか。周囲には平原が広がっており、その遠方には山脈が連なっている。
魔術の光に呑み込まれたときは夜だったため、周囲の風景がこのような場所だったかは覚えていない。それでも、旧ヴァルブルク領にもこのような場所はいくつかある。
だが──。
「ヴァルブルクなのかは、ぶっちゃけオレらもよくわかんねえ……。けど……」
決定的に、明らかに違うことがひとつあった。それは、この場にいた四人全員がすぐに理解したことだ。
「──魔力が濃すぎる……。ヴァルブルク以上だ……。もしかしたら……ヴァルブルクじゃねえ可能性がある……」
「ちょ、ちょっと待って……。ユリアちゃんとテオさんは、どこ……?」
じょじょに頭が覚醒してきた頃にイヴェットが立ち上がりながら辺りを見渡しながら問う。
「探したが、どこにもいなかった……」
すると、気重な声色でラウレンティウスが言葉を零した。
「え……?」
「ユリアとテオドルスくらいの魔術師やったら、ウチらの気配探って探しに来てくれるはずや。けど……いつまで経っても来うへんってことは……近くにはおれへんって判断してええやろな……」
冷静そうにアシュリーは推測するが、腕を組みながら地面を見ている。彼女も戸惑いと不安にかられているようだ。
「だが、あのふたりなら絶対に大丈夫だ。俺達以上に戦い慣れているし、近辺に俺達がいないと判るとふたりも行動範囲を広げて探してくれるだろう。無事なのにずっと心配させてしまうことは心苦しいが、行動範囲を広げて情報収集していけば、いつかは会える──」
不安で重い空気が場を支配するなか、ラウレンティウスは前向きな言葉を言った。それでも、彼もどこか落ち着きがない。不安から抜け出せないようだ。
「……あと、ようわからん新種っぽい魔物が出てきたわ。イヴェットが気ぃ失っとるあいだに見たことないのが来たんよ」
そして、アシュリーがそう付け加えると、イヴェットは「え!?」と驚いた。
「大丈夫やって。ウチらが追い返したから」
と、アシュリーは少し離れたところに生える草花に飛び散った鮮血を指差す。三人に目立った外傷はないため、紛れもなく魔物の血だ。
「旧ヴァルブルク領の調査報告でも見たことがない魔物だったんだが……そもそもヴァルブルクは王室の所有地であり、領地の奥に行けば行くほど魔力濃度が高くなる場所だ。俺達以外に足を踏み入れることなんかできない。だから、見たこともない魔物がいても当然ではあるんだが……」
ラウレンティウスがそう言うと、クレイグは否定の意で首を振る。
「だとしても、ほんとにヴァルブルクなのかって話だぜ……。この魔力濃度の高さは異常すぎだろ……。有り得ねぇレベルだぞ、コレ」
そして、クレイグの意見にアシュリーが同意する。
「ウチも同意見や。この濃度は、さすがに有り得へん……。まるで異世界──つーか……『古代』に飛んできたんちゃうかって思うレベルや……」
そんなアシュリーの言葉から、イヴェットはある疑問を口にする。
「もし、ホントに過去に飛んじゃってるんなら……アイオーンは、なんのためにあたしたちを過去に飛ばしたのかな……? というか、そんな魔術なんて──」
「ウチらをこんなとこに飛ばした理由は、さすがに判らん。なんかの攻撃するつもりが、なんかの影響でここに飛ばす転移術になったってパターンも否定できんけど……。光陰と聖杯が共鳴して、あの術が発動したような感じには見えたけど……」
しばしの沈黙が流れる。そのしばらくの後、クレイグがとある共通点らしきものを見つけた。
「……なあ。たしか、テオドルスを操ってた〈黒きもの〉は、過去に戻りたがってたよな──? でも、聖杯があっても『彼』がいないと意味がないとかなんとか言ってなかったか?」
「……そういえば、そんなことを言っていたな。テオドルスの身体を使って、セオドアという名前で暗躍していた理由も、過去に戻ることを目的としていたからだった──。それがどの時代なのかはさっぱり判らないが……」
「『彼』はこの時代にいるはずだとか……そんなことも言ってなかったっけ……」
ラウレンティウスとイヴェットもそのことを思い出すと、アシュリーは頭を捻った。
「やったら、アイオーンは……その『彼』ってヤツと結託して、ウチらをここに飛ばした……? いろいろと突っ込みどころありすぎる憶測やけど、まずアイオーンがそれに同意する理由って何なんやねんって話や」
「アイオーンがこんなことした理由は、ユリアでもテオドルスでもわかんねぇと思う。──とりあえず、今のオレが言いたいのは、『過去に飛ぶ力』を持ってるのは〈黒きもの〉が言っていた『彼』ってヤツで、アイオーンはそいつと関わった可能性があるんじゃねえかってことだ」
クレイグが説明すると、イヴェットが口を開いた。
「……あの時のアイオーン、明らかに様子がおかしかったよね……? 『儀』を始めるとか、よくわからないことも言ってたし……。あたしたちの呼びかけに、まったく応えてくれなかったし──」
「あの時のアイオーンの目は虚ろだったが……まさか、『彼』という奴か誰かに操られてたのか……? セオドア──〈黒きもの〉に傀儡術をかけられていたテオドルスのように……」
と、ラウレンティウス。
「誰かがアイオーンを操って、聖杯まで盗んで、盛大な転移術みたいなの発動して、ウチらをここに飛ばしたって? ……ますますよう判らん……」
そうしてアシュリーは肩を落とした。
「気になることや判らないことが多すぎて、さまざまなことを深く考えてしまうだろうが……今すべきなのは、これからどうするかを考えることだ」
不明なことが多すぎて頭を混乱させている三人に、ラウレンティウスがそう声をかける。
これからどうするべきか──。土地勘もなく彷徨いながら道を進むのか。水や食料の調達、寝床はどうするか。ユリアとテオドルスの行方もわからない。
「あ──せや……!」
その時、アシュリーが一筋の光を見つけたように声を上げる。
「ウチの魔眼の力で、ユリアかテオドルスの視点乗っ取ったら居場所わかるかも!」
「できるの!?」
イヴェットが期待を寄せる。
「正直、どこまで遠くにおってもできるモンなんか判らんけど──もし、なんか別の風景見れたら、近くにどっちかがおるってことやろうから。とりあえずやってみる」
そうしてアシュリーは神経を集中させた。やがて──。
「うげっ……!?」
悲鳴と不快感が混じった短い声をこぼした。
「な、なんだよ気持ち悪そうな声出して」
弟のクレイグが姉の奇妙な声に身構えて問いかける。その時のアシュリーの顔は
「なんでか、いきなりいろんな景色見えて──。そのなかで一瞬、見えただけやねんけど……物凄い顔しながら何か振りかぶっとった人間と……赤いのと、人みたいな形したモンが……地面に大量にある景色が見えた……」
「それって……」
物凄い顔しながら何かを振りかぶる人間は、武器で攻撃をしようとしている人物。地面には赤いのと、人のような形をしたもの──死がある戦場。それを直感したイヴェットは絶句し、ラウレンティウスとクレイグも緊張した様子で口を閉ざした。
「けど……最後に見えた風景は、何かに乗ってどっか走っとるモンやったけど……──え……!?」
刹那、遠くで爆発音が起こった。やがて、煙が立つ。
「……魔力が……乱れてる……。デカい戦いが、あっちで起きてるんだ──」
それは、魔力の感知力が高いクレイグのみが判ったことだった。その乱れは、戦いの激しさを感覚で教えてくれる。
「アシュ姉が戦場を見たんなら……あそこにユリアちゃんかテオさんかがいるの……?」
イヴェットが問いかけるが、アシュリーは「わからん……」と言いながら首を振る。
「けど、今までやったら、ウチが繋がり切らんかぎりは長く視れるはずやのに……さっきのは、いろんな視点から見れて──。戦場っぽい風景や最後の風景は、誰かが無理やり遮断したみたいに一瞬で見れんくなった……」
「誰かに介入されたというのか……?」
ラウレンティウスが問う。
「何もわからん……。こんなん初めてやし……」
アシュリーは混乱と恐怖と不安に陥っていた。本人は冷静さを保とうとしているようだが、声色が恐怖に支配されているかのように弱々しい。




