第二節 不測と不可解、そして──。 ⑤
「お前たちも帰れ。アシュリーもだ。職場にいると休むに休めないだろう」
「ウチは職場でも寝れるタイプやけど。……あ。けど、ここにおったら同僚から仕事振られるかもやから、今日は素直に退散しとくか──。んじゃ、なんかあったら連絡しぃや」
「その連絡は、あたしたちにもね?」
すると、イヴェット。
「変な気ぃ遣ったら、ここにいる何人かがアンタにへばりつくぜ?」
呆れたような笑みでクレイグが言うと、アイオーンは「わかったわかった」と笑う。その瞬間、テオドルスが四肢を使ってアイオーンにしがみついた。
「オレもへばりつくからな!?」
「言う前からへばりつくな!」
「──……はあ……。帰るぞ……。迷惑になる」
そして、ラウレンティウスがテオドルスを引きはがし、部屋を出て行った。イヴェット、アシュリー、クレイグも順に出ていく。
「……アイオーン。もしも『器』が壊れたら、あなたの核は私の身体に取り込むわよ。あなたが死んでしまうのは嫌だもの」
最後に残ったユリアがそう伝えると、アイオーンは静かに目を伏せた。
「……その時は……そうだな。頼む」
かつてのアイオーンは、不老不死のせいで生きる意味を見出せずにいた。しかし、今は死ぬことを願わず、生きたいと思っている。「その時は頼む」という言葉からその気持ちを感じ取ったユリアは嬉しく思った。
そして、その夜。運命は動き出す。
『ヴァルブルクの魔力観測塔が異常を感知』
夕食後、ユリアが自室で休んでいるときに緊急の一報が入った。
「!?」
極秘部隊の隊員に支給される携帯端末が、聞いたことのないアラーム音を鳴らしながら不穏な文章を表示させている。画面を操作すると、赤い丸印が付いたとある地域の地図が表示された。右上には数値が書かれている。
(明らかに異常な数値……! 赤で囲われているところが、異常が発生した場所──!)
ユリアは急いで廊下に出た。すると、少し離れたところの部屋からテオドルスの姿が現れた。
「テオ──!」
「俺にも来た! すぐに制服に着替えて、ヴァルブルクへ行こう!」
極秘部隊の制服は頑丈で、激しく動いても破れない。文字通り戦闘服である。
テオドルスにも緊急の一報が届いているのであれば、ラウレンティウスたちにも届いているはずだ。きっとみんなもヴァルブルクに向かう準備をしている。
器に異常のあるアイオーンはどうだろうか──もしかしたら、足を引っ張ることを気にして来ないかもしれない。
屋敷の鍵を閉め、ユリアとテオドルスは夜道を駆けながらヴァルブルクへ向かった。車がなくとも魔術を使って移動すれば、車よりも早く着く。携帯端末の位置情報システムを活用しながら、ふたりはヴァルブルクへ急ぐ。
「──ユリア! テオドルス!」
ヴァルブルクに到着してからしばらくすると、ラウレンティウス、アシュリー、クレイグ、イヴェットが極秘部隊の制服を身にまとってやってきた。
「ダグラスさんが教えてくれた場所って、このあたりだよね……?」
イヴェットは携帯端末に表示させた地図を見ながら辺りを見渡す。ここはヴァルブルクの廃墟の街からほど近い平原だ。
しかし、何もない。天には星々と満月。地にはユリアたちと発光術──白く輝く球体──に照らされた草花くらいだった。魔力観測塔が異常を感知したというが、現在の魔力濃度は『異常』というものではない。いったい何に反応したというのか。
「──……?」
刹那、全員が妙な気配を感知した。知っているような、ないような──。誰かがやってきたというよりは、突然現れたかのような気配だった。しかし、それ以上近づいてこない。ユリアは身体強化術で目の性能を上げ、その方向を見た。
「……あれは──」
わずかに反りがある剣。いや刀だ。そして、それを持っているのは長い髪の──。
「アイオーン!?」
ユリアは驚きながら駆け寄った。仲間たちも安堵と訝しむ感情を混じらせた顔で駆け寄る。
「『器』の調子は大丈夫なの? 私たちよりも早くに着いていたなんて思わなかったわ」
「……」
「……アイオーン……?」
アイオーンは顔を俯きがちにしたまま、目線を地面に向けたまま動かそうとはしない。なにかに怒っているのだろうか。それでも、この反応はおかしい。どれだけ怒っていても、質問に答えてくれないことはなかった。
「……ようやく来たな」
まるで感情を失ったかのような無色の声。ユリアたちは目を見開く。
「なんだよ、ようやくって……。ある意味、今のアンタは病人だってのに、こんなとこに来ていいわけないだろ?」
「……これで、ようやく──」
クレイグが強い口調で聞くが、アイオーンはまるで聞こえていないかのようにひとりごちる。
「質問に答えてよ、アイオーン……!」
付き合いの長い仲間たちが呼び掛けてもおかしなまま。そんなアイオーンに恐ろしさを感じたイヴェットが、怯えたように声をかける。
「──『儀』を、執り行う」
「はっ、え……? 『ギ』って、なんやねんな……」
アシュリーが呟いたその時、アイオーンの目線が動いた。虚ろで、感情のない目。
「なんだ、その目は……。こんな非常事態に意味不明な言動というのもアイオーンらしくない」
さすがのテオドルスを腹に据えかねた様子で声を出した。それでも、やはりアイオーンの雰囲気はおかしなままだった。
「……本当にどうしたんだ……? 何があったんだ、アイオーン──」
ラウレンティウスが言葉を紡いだ刹那、アイオーンは鞘から光陰の刀身を抜き取った。
「は……!?」
そして、アイオーンは手を虚空に上げ──そこから黄金の杯が現れた。その瞬間、全員が驚愕する。
「ウソ、やろ……!? なんでアイオーンが聖杯持ってんねん!?」
狼狽しながらもアシュリーは問い詰める。
「研究所の保管庫から取ってきたんか!? 誰かが聖杯盗ったら警報装置が鳴るはずやけど……セオドアの一件で、研究所の人を操ったら監視カメラでも出し抜くことができるって証明されとる──。観測塔が感知した異常って、まさか聖杯の魔力なんか……!?」
しかし、アイオーンは答えない。
「答えろアイオーンッ!」
ラウレンティウスが怒鳴った。その瞬間だった。
「う──!?」
「う、ごけ、な……!?」
クレイグは苦しそうに唸り、イヴェットは声を出すことを制限されたように言葉を紡いだ。ラウレンティウス、アシュリーも身体が石になったかのように一歩も動けずにもがいている。
ユリアたちの周囲にある大気中の魔力が、彼女たちを拘束している。その術者は、アイオーン。アイオーンの目は変わらず空虚なまま。
「みつ、かげッ……!」
クレイグやイヴェットよりも力を持つユリアは、まだしっかりと声は出せた。それでも身体は動かしにくいようで、四肢は動かせない。テオドルスは、兄のように慕っていたヒトに裏切られたような大きな悲しみをアイオーンに向けながら呆けている。
「──人の姿になって、逃げて……! 光陰……!」
ユリアは懸命に光陰に呼びかける。魔力が満ちているこの場所でなら、光陰は人の姿になれるはずだ。
「……」
「光陰……? どう、したの……!? 光陰ッ……!!」
どれだけ呼び掛けても、答えてはくれない。
刹那、アイオーンが持つ光陰と聖杯が強く輝き、ユリアたちを囲うように円状の光が現れた。
「な、なに──これ……!?」
ユリアたちの周囲や足元に『歪み』が生じた。風景が溶けるように輪郭や色が歪んでいく。円状の光のなかには風が吹き荒れ、まるで嵐のように──四方に生まれた歪みのなかへ吸い込まれていくような動きをしている。
「──アイオーン……ッ! やめて! アイオーンッ! み、光陰……! お願い! やめてッ!」
重い身体を引きずるように、ユリアは足を一歩ずつ前へ踏み出した。一歩歩くだけで途轍もないほどの体力が消耗されていく。しかし、ユリアは諦めずにアイオーンへと近づこうとした。
「……ア、イ……オーン……!」
呆けていたテオドルスが、動くユリアに気が付いた。彼も重たい身体をゆっくりと動かし、足を進める。そして、テオドルスはアイオーンに縋るような目で手を伸ばす。兄のように慕っていたヒトからの『裏切り』に強いショックを受けていることから、テオドルスの目からは光が消え失せていた。
「──」
アイオーンは、虚ろな目でまっすぐにユリアとテオドルスを見ていた。だが、ただ見ているだけだった。声をかけることも、感情を見せることもない。そんなアイオーンの目に、ユリアは悲痛な顔になった。ラウレンティウス、アシュリー、クレイグ、イヴェットは、身体全身が押しつぶされるような重みと死を感じる事態。そして、十年という歳月を共に過ごした相手がそれを自分たちにしているという事実に耐えるだけで精一杯だった。
「なぜ、だ……!」
手を伸ばし続けていたテオドルスが、己の身を拘束する術に抵抗して声を絞り出す。
「っ……!」
ユリアは涙を流した。
どうしてなの? なにがあったの? こんなことをする理由は何なの? 操られているの? それとも──教えて、アイオーン。
「ア、イ──!」
やがて、円状の光が強くなり、歪みはユリアたちの姿を呑み込んでいき、嵐は消えていった──。




