第二節 不測と不可解、そして──。 ②
「また『うっかり』かよ……。つか、その前に言ってた『良い男』ってなんだよ」
「もっと格好良い男になりたいという意味さ。そのためにも、まずはジャンル問わず幅広く見聞を広めて、もっと心を豊かにしようかと思ってな──そういうことに適した場所はあるか?」
「……」
三人は思う。
ここで何かを言ったらテオドルスに振り回される。ならば口を閉ざすのが得策ではないか、と。
「なければ、今から男四人で──あ、違った! 男三人と無性別ひとりで遊ばないか!?」
しかし、テオドルスという狂った大型犬のような男からは誰も逃げられなかった。彼の三つ編みが犬のしっぽのごとくぶんぶんと動いている。これは彼の髪が感情に呼応して動くという特殊性ゆえだが、そのせいで余計に彼が犬に見えてしまう。
「……堂々と街中で無性別とか言うんじゃない……」
アイオーンは疲労を感じさせる顔を片手で覆った。このときは、幸いにもほかに通行人はいなかった。
「見聞広げたいんじゃないのか、あんたは……」
「マジそれ」
ラウレンティウスが呆れながら指摘すると、クレイグもその指摘に同意する。
「待て待て。オレは、現代よりも古い時代からやってきたんだぜ? つまり、オレにとっては、『現代人の若者として遊ぶ』ということも立派な見聞を広めることに入る」
「だから、古い時代からやってきたとか堂々と言うな……!」
アイオーンが小声で力強く注意するも、テオドルスにはどこ吹く風だった。
「──なにより、君たちとだけで遊ぶ機会なんてめったに作れないだろう? 〈黒きもの〉のことが解決できたとしても、その後にやらないといけないことがたくさんあるだろうからな」
と、テオドルスはテンションを高めて説得する。現代では千年前に消滅したとされている〈黒きもの〉の名を街中で堂々と発言するあたり、やはり自由すぎる。一応、誰もいないからこそ言っても大丈夫ではあるのだが、それでも少しは気にするのが普通の反応ではないか。
「……っていっても、オレとラウレンティウスは買い物帰りだし。親から頼まれてんだよ」
これからの時間に予定なんて何もない。だが、テオドルスの誘いになんとなく嫌な予感がしたクレイグは咄嗟に拒否の言葉を述べる。
「俺も王宮に泊まりにいくんだが」
アイオーンも拒否する。が。
「なら、荷物を置いてから遊びにいこう」
「荷物を置いてからなら大丈夫だという問題じゃないからな?」
と、アイオーンは真顔で言い返す。すると、テオドルスの顔がむくれ面になった。
「ちょっとくらいならいいだろう? 少しくらい。なあ、アイオーン!」
そして、テオドルスは駄々をこねる少年のようにアイオーンの腕を掴ってぶんぶんを振りはじめる。アイオーンは鬱陶しそうに歯をギリギリを噛みしめ、やがて諦めた顔でため息をついた。
「……クレイグにラウレンティウス……。悪いが、付き合ってやってくれ……。こいつは断ってもしつこいんだ……」
「アンタはテオドルスに弱すぎんだよッ!」
すぐに諦めて甘い対応を選択したアイオーンにクレイグが怒ると、
「べ、別に、弱く、ない!」
絶妙に歯切れが悪くなり、アイオーンの言葉は説得力に欠けるセリフとなった。
「もっと頑張って拒絶しろ。判断が早い。情けない。兄ヅラするな。ブラコンになるな」
ラウレンティウスもズケズケと追撃する。
「決断が早いのは別に悪くないだろ」
それでもアイオーンは『判断が早い』ことしか言い返せなかった。
「──というか、なんでアイオーンはそんな大荷物なんだ?」
「遊びに誘っておきながら今さらそれ聞くのかよッ!?」
テオドルスの言葉にクレイグがツッコむ。よくある光景が、誰もいない道でしばらく繰り広げられた。
◇◇◇
空が茜色に染まる頃。ローヴァイン家の屋敷の厨房室にて、ユリアは夕飯を作っていた。メニューは魚介類のリゾット。何を作ろうかと悩んだらもうリゾットでいいかと思うほどに、ユリアはリゾットが好きだ。
アイオーンは、昼間に戻ってくるとフェリクスの要望で王宮に泊まることになったことを彼女に伝え、ふたたび出ていった。アシュリーとイヴェットも実家に戻っており、ラウレンティウスとクレイグもこちらには来ないとのこと。つまり、今夜はテオドルスとふたりだけだ。
(……また、なにか……しようとはしてこないわよね……?)
リゾットを作りながら、ユリアは昼間に起きた事件を思い出す。
耳を舐められ、そのうえ『君を食べたい』とも言われた──。彼からの愛は戸惑いを感じることはあっても、嫌だと思うものではない。今回もそうだったが、今までにないほどに大胆な行動だった。そのせいか、不思議なほどに緊張してしまっている。
「──ただいま」
テオドルスの声が聞こえ、ユリアは身を強張らせた。
恐怖ではなく、緊張で。
あの事件の話は、追及しないでおこう。思い出したら、きっと顔がおかしくなる。冷静ではいられなくなる。
「お、おかえりなさい……。もうすぐできるから、少し待っていて──」
焦るように早口で、そして目線を合わせることなく返事をした。
そのことに「昼のこと、まだ効いてたのか……」とテオドルスは苦笑いし、こう答える。
「……もう何もしない。だから、普通に接してくれないか?」
「え!? 普通よ!?」
「さすがに緊張を隠そうと焦っていることくらい判るぞ?」
「う──」
ユリアの動きが止まると、ほんのりと頬が赤みを帯びていった。その反応を見たテオドルスは一瞬だけ愛おしそうな目をし、目を伏せる。
「でも、君がそんな反応をしてしまうのはオレのせいだ。……まだそういった関係でもないのに、大胆なことをして悪かった」
と、テオドルスは真摯に謝った。
ユリアはしばらく何かを考えるように口を噤み、それからテオドルスに顔を向けた。
「……『そういった仲』になったら……私にも『ああいうことをされたい』という欲が、出てくるのかもしれない……。けれど、今は違うから──」
「いや、今回のはオレのせいだ。先走りすぎた──というよりは、我慢できなかった……。もしも、またそういう欲望が渦巻いたら、頑張って我慢する。……本当にごめん」
「……で、でも……──嫌だとは、思っていないから……」
そのセリフにテオドルスは訝しんだ。兄妹のような間柄とはいえ、その関係の一線を越えた言動をしてしまった。しかし、彼女はそれでも庇ったようなことを言う。ユリアなら、本当に嫌だった場合は嫌だとはっきり言う人間だ。ならば、その言葉の真意はなんだ。
「それは……満更でもなかったという意味か?」
「大胆なことをされたけど、あなたのことは嫌っていませんという意味で言ったの。……はい。ということで、この話はこれでおしまい。ご飯を食べましょう!」
と、はっきりとしない言葉を口にしたユリアは、有無を言わさぬ笑顔を浮かべて料理を盛り付けられた皿を彼に差し出した。
「……──ああ。ありがとうな」
テオドルスは腑に落ちない表情をしているが、ユリアはそれ以上答える意志はなさそうだ。テオドルスもそう判断し、食事を受け取ると隣接する食事室へ向かった。その少しあとにユリアも食事室にやってきて、テオドルスにスプーンを渡し、向き合って座った。
「──うん。うまいよ」
「口に合ったようで良かったわ」
その他にも当たり障りのない会話を何度か交わし、少しずついつもの雰囲気を取り戻していく。
「……この屋敷、やっぱり二人だけだと広いな。ラインフェルデンの実家はもっと広かったけど、使用人も多かったからここまで広いとは感じなかった」
「アイオーンも言っていたわ。すぐに貸してもらえる物件がこのローヴァイン家の別邸で、『庭や使わない部屋の掃除は業者に頼んであげるから』とラルスのご両親が言ってくださったから、お言葉に甘えて借りたのだけど……さすがに、ふたりだけだと広すぎたって。──テレビでも見ましょうか」
ユリアはテレビを点けた。すると、バラエティー番組はちょうど観光地特集のコーナーに移った。ヒルデブラント王国の隣国にある、海に囲まれた小さな島にある神殿を紹介している。
いつの間にか、テオドルスはテレビに集中していた。口のなかに食事を運んだばかりのはずだが、テレビに集中しているせいで咀嚼せずにレポーターの話を聞き、テレビに映る美しい風景を見ている。
「……テオは、こういった時間は好きじゃない? 退屈だと思う?」
「んぇ?」
集中しすぎてユリアの声が聞こえていなかったのか、テオドルスは間抜けた返事をした。そんな彼にユリアは思わず笑みをこぼす。




