第十二節 依って件の如し ④
「……クナドさん。今からでも……あたしは、その技能を使いこなせると思いますか……?」
──それは、お前の『想い』と『行動』次第。『今の己』を否定したいならば、願え。祈れ。そして信じるがいい。
「……そういえば、偉人の誰かが言ってました。『すべては空想からはじまる』って。現代にある便利な物や、誰かの命を救える薬も、誰かが『こうあって欲しい』と願って、それができるって諦めずに信じて努力したからこそ、それがここにある──。だから……あたしはまず、自分の未来を信じてみます」
そして、イヴェットは清廉とした声色からうって変わり、
「……なんで、簡単なことなのに始められなかったんだろう……。めちゃくちゃ腹立つ──」
と、苛立ちを込めた低い声で本音を打ち明けた。彼女の激情を初めて見たラウレンティウス、アシュリー、クレイグは目を見開く。
「……フフ。やはりイヴェットの心にも『猛る獣』がいたんだな」
と、テオドルスは愛おしそうにイヴェットを見つめる。
「その『獣』は殺さないほうがいい。今の君が抱く『貪欲な望み』を叶えてくれるだろうからな」
「はい──。……なんていうか……テオさんが『獣』であり続ける理由が、今ならなんだか解る気がします」
このとき、イヴェットはこう思った。テオドルスは、『衝動』や『欲』を深く持っていてもそれを恥じることはなく、押し殺すこともない。彼は、それを『生きる力』に変えている。だから『獣』であり続けており、自身に先ほどの言葉をかけてくれたのだろうと。
「オレの場合は『別の側面』の度が過ぎて、手放しでは褒められないところも含まれているけどな」
そう言いながらテオドルスが笑うと、続いてクナドはアイオーンに語り掛けた。
──そして、そこの銀の髪を持つお前は、光陰や吾のように作られたものではなく、生きていると判断できる。身体は作り物のようだが、内側にあるのは核。お前は星霊だと判断する。
「ああ、そうだ。──ところでクナド。俺は千年以上前にこの山を登ったことがある。だが、その時にお前は姿を現さなかったな。この山に、お前のようなものがいたとは知らなかった」
──今回は、防壁を破られたという『非常事態』が起こったからこそ顕現した。非常事態が起こったとあれば、さすがの吾も記録する。だが、その記録がない。お前も吾の姿を見ていないということは、お前は何も破壊していなかったからだ。
「……たしかにあの時は、誰もいなかったからすぐにここを去ったな──」
アイオーンはぽつりと言い、息をつく。
「……俺も、クナドや光陰と同様に過去の記憶がない。どこで生まれ、記憶を失うまで何をしていたのかもまったく思い出せない……。仲間がたくさんいたことだけは、先日に思い出せたが──」
その後、「いや……」と呟きながらアイオーンは否定するように軽く首を振る。
「ここに来るまでに、〈黒きもの〉の気配を持った怪異がいた。あれは〈黒きもの〉と混ざったのか? 〈黒きもの〉は、この地上で行動しようとしているのか……」
──それらの可能性は否定できない。吾にも、今日から三十ほどの日を遡ったときから〈黒きもの〉の気配を感じるようになった。
「つまり、ひと月くらい前から〈黒きもの〉の気配を感じたのか。俺たちは、〈黒きもの〉を討つために繋がる手掛かりを探るためにここへ来た。──なにか知らないか」
──この社を護る役目の吾に、〈黒きもの〉を討つ方法は持ちえない。しかし、そこへ至るまでの道に迷うお前たちを導く存在が、今どこかにいる。
「それはなんだ?」
──つい先日、この山に予言をする獣が現れたことを感知した。詳細は不明だが、その気配についての記録が吾に残されている。それがお前たちに道標を示すかもしれない。少しでも情報を得たいというのなら、探してみるがいい。
「予言をする獣……?」
アイオーンは眉を顰める。
「……それって……まさか、件のことか……?」
と、ラウレンティウスはある名前を呟いた。
「クナドから、件のことが出てくるなんて──」
ユリアは、仲間たちにも話したフドウの話を思い出す。光陰を自身のところへ送るよう伝えたという──しかし、そのときの予言の内容を聞いたユリアは、まるで確定していた未来を伝えにきたようなものだという印象を受けた。
「なにやら奇妙なことだな。奇怪な獣についての記録をわざわざ持っているとは……。それに、クナドがその存在を認知していて、それの気配を感知しているということは──」
テオドルスはさまざまな思考を張り巡らすかのようにクナドを見る。〈黒きもの〉に関わる存在。あるいはクナドや光陰、アイオーンに近い存在か。
──その獣は、吾の『縁あるもの』の可能性がある。それ以外のことは不明だが、たしかにそれは現れた。そして、吾の察知能力以外にも、それが現れる可能性を示すことができる。〈黒きもの〉がふたたび現れており、遅かれ早かれこの大地に生きるものたちへ影響を及ぼすだろう。その規模は推測できないが、世を揺るがすことになる。これがその『可能性』だ。
「ああ……。だからオレらも、件が現れる可能性はあると思ってるさ。──けど、どこを探せばいいんだか……。ただでさえ四季が何回も不順に移り変わる山だぜ……?」
クレイグは、げんなりとした顔で肩を落とす。「いや、ホンマそれ」とアシュリーも訴える。
「なあ、クナド~。どーにかして件の場所、割り出すことできひんの? 件の気配は読み取れるんやろ?」
──吾には、それ以上の機能は備わっていない。
「えぇ~……」
心底面倒くさそうにアシュリーは声をもらす。
「……暗くなるまで探してみましょうか。クナドにも限界があるようだし、私たちにもできることといえばそれくらいだから──」
ユリアがそう言うと、仲間たちは仕方なしに受け入れ──テオドルスだけは「どこにいるのかわからないものを探すのは、案外楽しいものだぞ。宝探しみたいだと思わないか?」と言って笑みを浮かべ、アイオーンから「そう思えるのはお前だけだ」と返される──踵を返して歩いていった。
ユリアも仲間たちのところへ向かおうとしたが、あることが頭をよぎり、足を止める。それに気づいた光陰も足を止めた。
「……あなたは、ずっとここにいるの?」
それとクナドへと投げかけた。
──それが吾の使命だ。
「ここ以外のところに行ってみたいという気持ちはないの?」
──吾には、使命以外を望む心はない。人間ではないからだ。
「我らも同様だ、我が主よ。我らは人間ではない。数多の『想い』や『願い』を持つという事実と、こうして意思を交わせるがため、我が主は我らを同じ人間のように見えてしまっているのだろう。我らや此方に、そのような気遣いは無用だ」
と、光陰が補足する。たしかに光陰の声には人間らしい感情ある口調ではなく、クナドにいたって魔力を介した意思の伝達だ。クナドから送られてくる意思の感じ方も、かなり機械的かつ事務的であり、まるでプログラミングされた音声のようだと感じる。
「……そう……。それなら、もう気にしないようにするわ」
ユリアは思う。過去の自分は、光陰やクナドのような感覚を持ちたかった。完璧な『兵器』になりたかった。だけど、できなかった。自分があまりにも普通の人間だったからだ。あの頃の苦しみをまだ思い出せるせいか、ユリアは少しだけそう言いきれるクナドと光陰が羨ましく思った。
そうしてクナドの姿は消え、光陰もユリアの腰に帯びる刀の姿に戻った。
──その瞬間に、少し離れたところで異変が起こっていたと知った。
「ちょっ──はあ!?」
「!!」
アシュリーが驚愕した声が聞こえ、ユリアは仲間たちがいるところまで駆けた。そして、ユリアは驚くべきものを目にする。
「……く、だん……!?」
そこには、牛の体に人間の女のような顔──眉は丸く、目が細い。口元は怪しく微笑んでいる。ヒノワの伝統的な歌舞劇で着用される、少し不気味な雰囲気を放つ微笑んだ女の顔の仮面に似ている──がついた、異様な雰囲気を漂わせている獣がいた。それは、ゆっくりと薄い唇を開く。
『──時が満ちたヴァルブルクにて、未知なる交響楽団の最終楽章が始まる。しかし、演奏者たちの楽譜はすでに白紙。顔のない指揮者は演奏者となり、ひとりの演奏者の指揮者となるだろう』
「は? ヴァルブルク……? しかも、なんの予言やねん……」
交響楽団、最終楽章、楽譜、指揮者に演奏者。なぜ音楽用語を使った言い回しなのか。アシュリーが疑問を零すが、件は気にすることなく予言の言葉を伝え続ける。
『数多の星が強く輝き、やがて消滅していくとき、演奏者もまた星のひとつとなる。そのときに照らされるものは、いくつかの道──そのとき、あなたたちは何を選ぶ?』
「な……っ──」
予言ではなく、疑問を投げかけてきた。件はそれ以上の言葉は伝えず、やがて体が透けていく。
「ま、待って!」
ユリアの制止もむなしく、件は姿を消した。
あまりにも抽象的な予言に、憶測すらできない。はっきりとわかったことは、『ヴァルブルクで誰も知らないことが起きる』ということ。件が示した予言は、何を指しているのか──。
第二章、終了です! そして、次回から最終章に入ります。
最終章では、〈黒きもの〉の正体、アイオーンと光陰の謎。そして、テオドルスとユリアの微妙な関係性などの『答え』を書いていきます。
第二章の明るい雰囲気とは一転して、シリアスな場面がちょこちょこ出てくることになりますが、それでも読んでいただけると幸いです。
もしもよろしければ、感想や評価をしていただけると大変うれしく思います。




