第十一節 霊峰・常世山にて ⑤
慈悲なき目が向け、冷徹な言葉が放たれた瞬間、敵の周辺に強力な重力が働いたかのように地面ごと押し潰された。さらにその四方からは、燃え盛る尖った槍が何十本と現れ、光の速さで降り注いぎ、杭のように敵を打ち付ける。そして、テオドルスは剣を天に掲げると、まばゆい光が剣身に集束した。テオドルスは迷うことなくそれを振り下ろし、すべてを一刀両断する閃光を放つ。閃光の一線は、地面ごと抉りとるように吹き飛ばした。暴風や閃光の輝きが収まると、敵がいたところには地面が吹き飛ばされた跡だけが残っていた。
「……」
やがて、霧が晴れていく。霧を発生させていたのはあの敵だったからだろう。
「──よかった! 合流できた……! ねえ、さっきの光──は……」
霧が晴れていくなかで、ユリアとアイオーンが少し離れた場所から走ってきた。しかしユリアは、テオドルス側の雰囲気がかなりギクシャクとしていることに気が付き、言葉を止める。
「……珍しくひどい顔だな、テオドルス」
友の顔を見たアイオーンが声をかけると、テオドルスは力なく微笑む。
「……なに、気にするな。合流できて何よりだ」
すると、ラウレンティウスがテオドルスに目を向けた。
「……テオドルス……──とりあえず、助かった。礼を言う」
「……? れい……?」
テオドルスは呆け、ラウレンティウスの言葉の意味が本気でわかっていないようにオウム返しに言葉を紡ぐ。
「ありがとうって意味やで」
アシュリーが説明すると、「いや、それは解る」と我に返ったか彼は素早く答えた。
「意味は解ってるさ。……わかっているんだが──」
「ラウレンティウスのこと、助けてくれたんは事実やろ」
なぜ素直に受け取ろうとしないのか。アシュリーが呆れた口調で言うと、テオドルスは静かに息をついた。
「……正直に言うとな──もしも、君たちが『オレのきょうだいの子孫』でなかったら……オレの反射神経がさっきのように鋭くならず、攻撃を防ぐことが間に合わなかったかもしれない。もしも守りに入らず、敵を斬ることに優先していたら、君達は怪我を負っていた可能性が高かっただろう」
彼の台詞を聞いたユリアとアイオーンは、テオドルスたちに何があったのかを大方察しった。ふたりは言葉を挟むことなく、五人の会話を見守る。
「アンタ……自分は『悪人』やって認識してほしいんか?」
「これでも、善人ではないという自覚はあるさ。一応、昔からな……」
そして、テオドルスはゆっくりと息をつき、目を伏せた。
「──そもそも、さっきの戦いはオレが一人で戦うよりも、ラウレンティウスやクレイグと一緒に戦っていればもっと早く終わらせることができたはずだ。……『怪異と戦うのは、どのようなものなのか』という欲に負けていなければ、わざと力を抜くこともなく、君たちがあのような危険な目に遭うこともなかったかもしれない」
ラウレンティウスたちは黙り込む。彼らの目に責める感情はないが、なにかを悩んでいるようだ。
「……とはいえ……オレは、ラウレンティウスの言葉を『無駄なもの』にしたくはない。我が弟から貰ったものだ。だから、受け取っておく」
彼は一度『死んだ』ことはあれども、親しい人の死とそれによる喪失感を経験していなかった。自分が死ぬことと、大切な誰かが死ぬことは別物だということをあまり解っていなかったのだ。
しかし、『かごめ』による精神攻撃で、心から大切だと想う存在を目の前で失うという疑似体験をした。そして彼は、その『喪失』が自分に及ぼすダメージの深さを初めて理解できた。
彼はかつて、ラウレンティウスとの語らいの中で『自分は大抵のことは出来る』と言った。それゆえ、少なからず自分は人並み以上に強い存在だとも思っていた──しかし、そうではなかった。そう理解したからこそ、自己肯定感が低いと感じられる言葉を連ねていたのだ。
すると、ようやく礼を受け取ったテオドルスに、ラウレンティウスは小さくため息をついた。
「……意外と細かいことは気にするんだな。常識は守らないくせに」
その瞬間、テオドルスは「は?」と声をもらす。
「細かい、って──おい、ラウレンティウス。怒るときは怒れ。オレに遠慮なんかするな」
「別にしてない」
その返答にテオドルスは「こら、嘘をつくな」と叱り、やがて深く呆れた。
「──まったく……オレのなかでは、ラウレンティウスは秩序を重んじるしっかり者だと思っていたんだが……。──仲間とはいえ、やらかしたことを簡単に許すな。できれば……あまり信じるな。お人好しすぎると、いつかその性質を悪者に利用されるかもしれないぞ」
今まで誰かにとやかく言うことなどなかったはずのテオドルスが念押ししている。先ほどの戦いは、彼の精神の根底を揺るがすものだったようだ。すると、イヴェットが首を傾げながら不思議そうに言い返す。
「……でも、テオさんも似たようなものだと思いますよ……? あたしたちがテオさんのお姉さん──ベレンガリアさんの子孫だってわかってから、あたしたちへの接し方がさらに甘くなりましたよね?」
「それは……──なにも言い返せないな……」
お人好しということではないが、チョロい部分がある。そのことを指摘されたテオドルスは素直に認めた。
「お前のことを簡単に信じるなというのなら、『ユリアとアイオーンが信じているテオドルス』を信じておく。それでいいだろう」
彼自身を信じるのではなく、ユリアとアイオーンが信じているから信じる──ラウレンティウスがそう言うと、テオドルスは返答に困った顔をした。
「──なんだか……あまり腑に落ちないんだが……」
「やっぱ、なんか変なとこで細かいなアンタ」
と、静かに会話を聞いていたクレイグがツッコむ。そのことにテオドルスは少しだけ唇を尖らせた。
「……では、オレもはっきりと言わせてもらおう。……君たちは、どこか『狂っている』な──狂戦士と呼ばれていたオレがそう言うのもなんだが、それでも君たちは元から『普通』ではない気がする」
「具体的にどこがだよ」
クレイグが問う。
「現代のヒルデブラント王国は『死と隣合わせの戦争が起きている国』ではない。死は遠いものであり、それゆえ恐ろしいもの──今では、多くの人間がそういう感情を持っているのが『普通』だろう? しかし、つい一月前、君たちを取り巻く環境は『普通』ではなくなった。だというのに、そのことに嘆くことなく受け入れ、そのうえ、かつて世界を闇に落とした〈黒きもの〉に立ち向かおうとしている……。これを狂っていると言わずになんと言うんだ──……『死地』を知った人間が、また『普通』の日常に戻れるとでも思っているのか?」
「さあな──。つか、意外とそんな繊細なこと考えてたんだな」
返ってきたのは軽い返事のみだったことに、テオドルスは肩透かしを食らったように目を丸くした。
「いや、『さあな』って。『繊細』って──クレイグ。君な……」
「むしろ『狂ってる』ほうがウチはええと思うけどな──。過去に世界を襲った〈黒きもの〉に挑むんやったら、いろいろ狂っとらんとやってられんとこあるしさ」
アシュリーが所感を言うと、テオドルスは黙った。
「そもそも、オレらが世の中にとって『普通』じゃねえのは、わりと今に始まったことじゃねえと思う。千年前に生まれたユリアと不老不死のアイオーンが日常にいる時点で『普通』じゃねえだろ?」
そして、クレイグの言葉にイヴェットが続く。
「それに、ユリアちゃんとアイオーンとの稽古になんとかついていこうとしてた時点で、さらに『普通』から離れていってたよね?」
「そのおかげで、魔道庁内で開催される武術トーナメントでは、入庁数年目と一年目の若造なラウレンティウスとオレが準優勝と優勝をぶん取ったしな。入りたての従兄弟同士の若者が総なめなんて前代未聞だったらしくてよ。ちょっと話題にもなったんだぜ」
と、クレイグは少しだけ勝ち誇ったような表情を浮かべた。そのトーナメントに参加をして結果を出せたおかげで、彼を『元〈持たざる者〉』と差別する声が弱まったからだ。
ラウレンティウスとアシュリーは、『普通ではない』というふたりの言葉を否定しない。そして、アイオーンがテオドルスに言う。
「ここにいる現代人は全員、俺とユリアのせいでどこか『狂ってしまった』ようだ。もしかしたら、出会った当初からこいつらは『異常』だったのかもしれんが──普通じゃないからこそ、獣みたいなお前を見ても、特に怖がることなく一緒にいられるんだろうな」
「つーか、別に『普通』だろうが『異常』だろうがどっちでもいいしな」
「なにを言われても、元からそういうのが俺達だからな」
「うん。何か言われても、勝手に言っててくださいってかんじ。あたしたちの感覚が受け入れられないんだったら、目に映す必要はないし、無関心でいてくださいって思う」
「せやせや。なんか言われても、勝手に言わしといたらええやろ。ウチらは、文句言ってくる人間のために存在してるんとちゃうしな。べつに世間に迷惑かけたいわけでもないし。むしろ世界救うために動いとるし?」
そして、クレイグ、ラウレンティウス、イヴェット、アシュリーは、順に思い思いの気持ちを連ねる。意外なほどに冷淡とも感じるほどに淡泊で、周囲と波長を合わせているようで実はさほど合わせていない姉の子孫たちに、テオドルスはポカンとしていた。
「──そういう『自由』なところは、テオに似ているわね」
そんな四人に、ユリアはその感想を口にした。
「……現代人でありながら、オレと似ているだって……? ──……ふふっ……」
テオドルスは心の底から歓喜した。
およそ千年前の時代では、テオドルスは『己が持つ狂気に近しいものを持つ者』や『ユリアとアイオーン以外の理解者』は得られなかった。
彼は、死を恐れない。悲しみに囚われない。神に祈りを捧げる者でありながら、神を殺すことを恐れない者でもある。
テオドルスは、そんな己の性質を隠しながら生きてきた。他人は、自分とは『違う』。両親すらも恐れたことがある『獣』を潜ませているからだ。
なので、『周囲が知っているテオドルス』という青年は、明朗快活で風のような自由人でありながらも、不思議な魅力とカリスマを持っている。そして、〈預言の子〉の側近になるどころか、ヴァルブルク王国の国王代理にまで上り詰めた非常に有能な人物ということ。もちろん、こういった仮面をかぶっているわけではない。これも彼の側面のひとつだ。
しかし、そのせいでユリアとアイオーン以外は、彼の深層心理を知ろうとする者や隣に立とうとする者はいなかった。己の側面を隠しながら生きていたことは、〈預言の子〉であり神の化身としてみなされていたユリアと同じようなことだった。
それでも、彼はそのことを悲観しなかった。ただ前を見て、その先へ行こうと走り続けていた。まるで貪欲に獲物を探す獣のように。だからこそ彼は、ユリアやアイオーンにとっては光のような存在なのだ。
そして、獣はようやく『己と近しい者であり、真の理解者たち』を得た。
「ならば──もう、とやかく言わない。この世が終わるまで……真の意味で、オレは君たちのことを『弟妹』と呼び続けるとしよう」
彼の血の繋がった両親やきょうだいたちは、もういない。しかし、新たに弟妹たちを得た。そして、この時をもって、『獣』と『人間』の狭間にある男は、この弟妹たちを『己の心臓』の一部と認めた。それは、四人のうちの誰かが傷つけば、テオドルスは地の果てまで復讐することであり、もしも失うことになってしまえば──『彼は人として死ぬ』ことになるだろう。