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第十一節 霊峰・常世山にて ④

「……『かごめ』は、目をつけた者に見たくないものを見せてくる怪異だぞ」


 ふたりは出逢ってからまだ日が浅いが、互いの心の内をさらけ出した。なので、テオドルスの心の中にある柔いところをラウレンティウスは知っている。勘づいている部分もある。そのためラウレンティウスは案ずる──当の本人が、それをあまり自覚していないがゆえに。


「ああ、少し前にそういう存在だと教えてくれたな。精神を揺さぶり、その反応を楽しむという悪趣味な怪異なのだと。そのうえ、獲物に逃げられたらしつこく追ってくるときた──だが、大丈夫だ。もう二度とストーカーされないように、オレが徹底的に懲らしめてやるからな。心配するな」


 テオドルスはいつも通りに微笑んでいるが、目の奥に『悦び』が見える。なんであれ、怪異と戦えるからだろう。ラウレンティウスたちは、そんな彼の様子に一沫の不安を感じた。欲望のままに進んでいき、いずれ他者の言葉が届かなくなってしまいそうな、そんな不安だ。


「だが、このタイミングで怪異と〈黒きもの〉が同時に現れたということは……そのふたつが混じりあっているのかもしれない」


「その可能性が高いだろうな。『黒いモノからすごい力を貰った』と怪異は少女の声で言っていた。そのうえ、霧を出して敵の数を分断させる能力を『かごめ』が持っているという話も聞いていない。──まあ、どっちでも構わないさ。オレがやるから、四人はおとなしくしていてくれ」


 そう言って、テオドルスはラウレンティウスたちの前に立った。


「……さあ、オレと戦おう。姿を現してくれ」


 敵を待ちわびるテオドルスは、幼い子に対してするような優しい口調で微笑んでいる。しかし、その場にいるのは静寂のみ。敵の姿はない。いつ何が起きるのか、誰も読めなかった。それでも、テオドルスは悦びを感じた目で神経を研ぎ澄ませていた。


「──おっと」


 何の前触れもなく、テオドルスに何かが襲った。彼はそれを障壁をまとった腕で防いだが、毛先が何かによってわずかに斬られてしまう。


「テオさん!?」


「心配するな、イヴェット。何かがちょっと髪にかすっただけだ」


 テオドルスは、少しも驚くことなく面白そうに微笑んでいる。この状況を楽しんでいるようだ。


「この霧は、オレたちを分断させるだけでなく、本体の居場所を特定されないようにするためだと見受ける。だが、残念ながら、オレにはお前がどこにいるのかほとんど判っているぞ。姿を隠していても、お前の攻撃は防ぐことができる──」


 そして、テオドルスは鞘から剣を抜き、ある方向に剣先を向ける。


「さあ。姿を隠して攻撃という小賢しい技なんて使わず、姿を現してくれ。オレは、お前とサシで戦いたいんだ。強い敵であれば嬉しいんだが──お前は力に自信はあるか?」


 その言葉に呼応したかのように異変が起こった。地面からは黒い泥がにじみ出て、周囲を漂う灰色の霧のなかから黒い霧が集まってきた。泥はさらに湧き出て、間欠泉のように吹き出した。黒い霧はそれに吸収され、泥はシルエットを形作り、やがて、ある姿へと変化する。


「へえ……なんというか、『ヒノワらしい』姿だな」


 現れたのは、男物の格式高い伝統衣裳に、籠手や肩当てなど簡易的な防具装備した存在だった。手にはヒノワの刀がある。顔には激しい負の感情を抑えきれない形相の仮面をかぶっており、その額部分の両端から二本の角が生えている。


『……オマエ、モ……タタカイヲ、モトメル、モノ、カ──。オロカナ……』


 その存在は、おどろおどろしい声をゆっくりと発した。


「ああ……そうだ。オレは愚か者だ」


 相手は強者を求める者だと理解したテオドルスは、悦びを露にする──が、うまく笑えていない。口元は歪んでおり、困ったように眉を顰めている。


「霧だけのときと比べて、今ははっきりと〈黒きもの〉の気配がするな……。〈黒きもの〉だけでなく、いろいろなものが混じっている──いったい、どれほどの怪異を取り込んだんだ……?」


 そして、テオドルスは眉を顰め、少しだけ俯く。


「……ああ、違う──シルウェステル様とカタリナ様の(かたき)の念だって、忘れてはいない……。それなのに、オレは──」


 〈黒きもの〉は、ユリアの両親であるシルウェステルとカタリナを殺した。

 彼女の両親だからという理由がなくても、テオドルスはふたりを純粋に慕っていた。だからこそ仇をとろうと決意した。

 しかし、怪異という存在が、抑えていた獣の一面が邪魔をする。仇をとるための戦いで、個人的な悦びに浸ろうとするなど──やはり、どうしようもない『獣』だ。

 シルウェステル様、カタリナ様。あの世でお逢いしたら、どうか罪深いオレを罰してください──。

 テオドルスは剣を構えた。


「おい……急に、なんだよ──本当に大丈夫なのか?」


 テオドルスのひとりごとから精神の不安定さを察知したクレイグが言葉をかける。しかし、テオドルスは答えない。


「テオドルス──?」


「テオさん……」


「ちょ、アンタ──」


 ラウレンティウス、イヴェット、アシュリーが声をかけると、彼はようやく口を開いた。


「──邪魔はしないでくれよ、弟妹(きょうだい)たち。……あれは、オレの獲物だ」


 聞こえてきたのは、悦びも憎しみもない『無』の声。

 テオドルスは、四人に一瞥することなく地を蹴り上げ、敵に斬りかかった。テオドルスの剣術と、〈黒きもの〉と異形が混じりあったモノの刀術は激しい交戦を見せた。やがて、それぞれの得物に魔力がまとい、それらの影響による爆風や轟音が響きわたる。

 この時のテオドルスの顔には、あまり余裕がなかった。己の中にいる『獣』と『復讐者』の心が調和していない。自分でも自覚しておきながら、それを仲間には言わず、抑えられない欲望に手を伸ばしてしまった。

 彼は、その『不安定さ』に目を付けられてしまった。


「っ──!?」


 交戦の最中、突如としてテオドルスの目の前に敵がいなくなった。彼がまばたきをした次の瞬間、まったく別の光景が映った。

 彼にとっては、見たことがある場所だった。同時に、思い出したくない記憶が蘇ることろでもあった。


「──ユリア……?」


 なぜか、そこに血塗れのユリアがいた。彼女はへたり込んでおり、やがて両手で顔を覆い、心が張り裂けるような咆哮を発した。

 テオドルスは直感する。これは、彼女が見た『地獄』──両親を殺し、そして、当時のテオドルスを泣きながら殺した後の光景だ。

 やがてユリアの動きに異変が起きる。苦しみにあえぎ、涙を流しながら何かを求めるように天を仰ぎ──。


「……や──やめろ、ユリアッ!!」


 血塗れのユリアは、周囲に魔力で編んだ槍のようなものを作り、それを己の身に串刺した。

 この時の彼女の体内には、先の戦いで〈黒きもの〉の残滓を知らぬうちに埋め込まれ、そのせいで精神を操られそうになっていた。彼女が完全に操られてしまっていたら、おそらくどのような人間や星霊であっても彼女には勝てない。勝てるとすれば、アイオーンだけだが──。

 『地獄』を見てしまった当時の彼女には、もはや〈黒きもの〉に抵抗する力などほとんど残っていなかった。それでも彼女は民のために動き、最後の手段として自らの死を選んだ。それは、〈黒きもの〉でも予測していなかったことだろう。


 愛する者が自害した光景を直接目にしたテオドルスは呆けていた。過去の再現とはいえ、それでも彼にとっては心を抉られる衝撃だった。

 やがてアイオーンが駆けつけ、死にゆくユリアを目にして悲痛な叫びを上げる。


 この幻影は、かつてユリアの内側にいた〈黒きもの〉の残滓が読み取った記憶だろう。〈黒きもの〉の残滓は、どこかにいる本体と繋がっていたからこそ、今その記憶を使っている。しかし、テオドルスは、その幻影を今まさに起こっている出来事のように見入っていた。

 ──気が付くと、一瞬のうちに場面が変わっていた。どこかの一室だ。見慣れた調度品がある。


「……え──?」


 机が高い? いや、違う。目線が低くなってる。テオドルスの身長が低くなっていた。手も小さい。

 すると、近くにドレッサーを見つけた。これは母が愛用していたものだ。テオドルスがドレッサーの鏡を覗くと、そこには五歳くらいの彼がいた。

 たしか、己の内側に『獣』がいることを自覚したのは、これくらいの頃だった──。


「……父上──母上──」


 鏡に映る自分の背後に、テオドルスの両親が現れた。

 両親が浮かべていた顔は、彼が飼う『獣』の存在を伝えたときの顔──己を恐怖した顔だった。

 テオドルスは固まり、何も言えなくなってしまった。


 さらに景色は変わる。真っ暗な空間の中で、彼は立ち尽くしていた。足を動かすと、足先に何かが当たる。下を向くと、そこには両親が血を流して倒れていた。


「……!?」


 両親だけでない。兄、ふたりの姉、双子の弟、妹──彼の家族であるラインフェルデン伯爵家の者たちが、血を流して倒れていた。いつもの彼ならば、確実に幻覚だと見破れていただろう。だが、今のテオドルスの精神は、これまでに大きく揺らいでいたことで冷静な判断ができなくなっていた。


──早く目を覚ませ! 奴は後ろだ!


──まだ間に合うわ!


 呆然としているテオドルスの脳裏に、懐かしい男女の声が響いた。この声は、ユリアの両親──敬愛する王と王妃。刹那、テオドルスは我に返り、後ろを振り返る。

 目に映ったのは幻ではなく、現実の風景だった。目線の先にはラウレンティウス、クレイグ、アシュリー、イヴェット──四人は何かを見失ったかのように動揺している。ラウレンティウスが後ろを振り返った、その時。彼の目の前に、憎き敵が得物を振りかぶっている──。


「──」


 まるで時を止めたかのように、テオドルスは一瞬のうちにラウレンティウスと敵の間合いに入った。そして、自身の剣で敵の一閃を受け止めた。


「──……無事、だな……?」


 テオドルスのその声には、いつもの明るさも、『獣』を感じるものでもなかった。


「……あ……ああ……」


 ラウレンティウスは、何が起こったのか判っていなさそうに答える。アシュリー、クレイグ、イヴェットも、あまりの突然さに驚いて固まっている。


「怖かったか……? すまない……。これは、最後まで『誘惑』に打ち勝てなかったオレの責任だ……。詫びは後日しよう」


 変わらず彼の声に色がない。しかし、目は違った──虚無から獣が現れ、静かに憤怒の炎を燃やしている。テオドルスはその目で敵を見据えた。


「……お前がおこなった『卑怯な手段』については、オレは非難しない。死を賭けた戦いに秩序などありはしないからな」


 刹那、敵の動きがぴたりと止まった。テオドルスが拘束術をかけたのだ。この敵は、〈黒きもの〉やほかの怪異を取り込んでいる可能性が高く、現に先ほどまではテオドルスと同等の戦力を見せていた。だが、今は身動き一つとれない状態でいる。

 仲間からの補助もなしに、彼の魔術が敵の力よりも上回った理由は、彼の魔力そのものが強化されているからだ。魔術とは、術者の強い感情によって威力や強度を増すという特性を持つ──それほどまでに、今の彼が見せる感情は強いということだ。


「だが……オレの弟妹(きょうだい)に手を出したとなれば──話は別となる」


 テオドルスは淡々と理由を述べる。そして、敵の武器をはじき返し、足裏を突き出すように力強く蹴った。その攻撃により、敵は遠くまで吹き飛ぶ。


「興が削がれた。──消えろ」

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