第十一節 霊峰・常世山にて ③
「なにやら荘厳な見た目になったが、一瞬だけか……。出力が不安定のようだな。人間ほど強い感情を持ってないのか──」
テオドルスも武器の変化を見ていたようだが、どこか残念そうにそんな言葉を紡ぐ。彼の目に宿っていた獣の気配が消えていく。テオドルスは相手の攻撃を軽くいなし、その隙をついて敵の胴と下半身を割るように剣で斬った。敵は真っ二つになり、何度か目の再生もすることなく消滅した。
「……ようやく終わったわね」
最後の影を斬ったユリアは、軽く息をつきながらそう言った。登山中であったことから、強力な魔術を使えずに武器だけで対応したため、意外と時間がかかってしまった。後方にいたアイオーン、ラウレンティウス、イヴェット、アシュリーも戦闘が終わり、ユリアたち三人のほうへと合流する。
「投影強化術をしてきたのは面白かったんだが……やはり、所詮はただの影だったようだな。術自体も不安定で、あれ以上に歯応えのある威力は出せなかった。〈黒きもの〉であれば、もう少し楽しめそうだったんだが──」
無事に終わったというのに、テオドルスは敵の弱さへの不満をもらす。ユリアは眉を顰めた。
「テオ。この登山は、あなたの欲望を満たすためにしているのではないのよ」
「目的と自分の欲望の優先順位を間違えるなよ」
アイオーンにもたしなめられると、テオドルスは我に返ったようにハッとする。
「あぁ……──そうだな。すまない」
不穏な気配とどこか不安定さを見せているテオドルスだが、仲間たちはそんな彼の戦闘狂じみた一面にすでに慣れているのか、恐れる様子はない。彼の欲望を制する言葉も、それ以上かけなかった。
「……なあ、テオドルス。あの影が持っていた武器が、一瞬だけ変化してたけどよ──なんで、ああなってたんだ?」
先ほどの敵の武器に起こった現象について、クレイグが問う。
「ん? ああ、たしかに変化していたな……剣の先端が波のような形状で、剣身の根元部分は枝分かれしたような意匠だったか。──その問いに答える前に、ひとつ聞かせてほしいことがある。ヒノワの神話に出てくる武器には、そのような形状のものが存在するのか? そのエピソードは有名なのか?」
「ああ、有名っちゃ有名だな。神話の中で、ある神が海水を割った際に生まれた剣ってのがあるんだが、それが海の波とサンゴが一体化して剣となったものだって書かれてる。首都にある国立博物館には、古い時代に作られたその剣のレプリカが展示されてもいるしな」
クレイグの説明を聞いたテオドルスは、「なるほど。あの敵が投影したのは、その剣だったのか」と言って納得する。
「──では、あの現象は、今でも神話が人々に浸透している国だからこそ起こったものだ」
「……それって、神話が人々に浸透していれば、投影できるってことですか?」
と、ふたりの会話に興味があったイヴェットが入ってきた。
「人間や星霊が古くから語り継いできた神話や伝説は、それだけ人々に『信じられてきたもの』であり、今世に残るほど『記憶や心に刻まれている』ものだ。その想いや概念は、神殿や社など信仰の場に刻まれ、たとえレプリカであってもその想いは宿り、親から子へ、そして子孫へと繋がっていく──。その『想い』たちは蓄積し、やがてその地に漂う魔力にも刻まれていく。その結果、それらが投影強化術の質を高めさせる──という話を、母上の知り合いの魔術学者から聞いたことがある。正解かどうかは定かではないけどな」
テオドルスは続ける。
「しかし、魔力には情報を保持する特性を持っている。そして、この星はそんな魔力を生み出すことができ、星の内部にはありえないほど膨大な魔力を保有していると言われていた。だからこそ、そのような魔術が実現できるのではないかという仮説があった」
「──現代でもさ、似たような仮説があるんよ。魔力には情報保持能力があるから、この星のどこかに古代からの事象の記録が刻まれてんちゃうっかっての。もしも、それが残っとるんやったら、その情報から偉人の『情報』だけを抽出して、星霊の核を入れるような『器』に入れたら、『偉人のコピー』を作り出せるんやないかって」
話を聞いていたアシュリーは言う。
「過去の偉人を再現できるのではないかという仮説とは──なかなか面白いな。……ともあれ、ただの神話や物語といえども、魔力が潤沢にあった時代においては『武器』と化す重要なものだった。しかし、現代では大気中の魔力そのものが減少して、簡単な魔術しか使えない環境となっている。だから、投影強化術などの知識は無用なものとなって、いつしか教えられることなく継承が途絶えたんだろうな」
「ヴァルブルクの人たちも、神話に登場する武器の概念を投影して、武器に付与していたんですか?」
「ああ。その時々にパッと思いついただけの能力よりも、神話や伝説上に出てくる武器のほうが強くて、明確に想像しやすいだろう? それに、その土地に神話が浸透していれば、武器は強化される。──しかし、ただ神話を学ぶだけではこの術の真価を発揮させることはできない。この術は、術者自身の生まれ持った才能や鍛え方にも大きく左右される。優れた魔術師ならば、付与された投影強化術をまるで自分の能力の一部のように受け取って戦うことができるんだが──そうでない場合は、術者自身が投影強化術を破綻しないように保ってやらないといけないんだ」
「……テオさんは、あたしがそれをできると思いますか?」
イヴェットの声には不安もあるが、それと同時に、『信じたい』、『信じてほしい』
という気持ちが込められていた。
「ああ、できるさ。──イヴェット自身はどう思う?」
「できるって……信じたいです」
「それでいい。その気持ちを見失うなよ。その気持ちがあるからこそ、投影強化術は誰かを助けるんだ」
と、テオドルスは爽やかな微笑みを浮かばせ、一段落したように目を伏せた。
「──つい話し込んでしまったな。そろそろ先を急ぐとしよう」
「そうね。暗くなってしまったら、明かりを灯して歩かないといけないし──」
山であるため足場が悪い。そのうえ、登っていくにつれて道幅も狭くなっていくだろう。何かの魔術を発動しながらの戦闘は、慣れていなければ大変だ。急ぐに越したことはない。
だが──。
『うしろの正面だぁれ?』
「!?」
いるはずのない少女の声が響き渡る。
『おにいちゃんとおねえちゃん、見ぃつけた』
『黒いモノから、すごいチカラもらったよ』
『こんどは、ちゃんと遊ぼう。たくさん遊ぼう』
さらに、三人の少女の声。
刹那、ラウレンティウスは眉間に皺を寄せた。
「この声に、この言葉──ということは、ユリアと近所の社に行ったときに現れた『かごめ』か……!」
そして、突如として周囲が灰色の霧に包まれた。
「! この霧、〈黒きも──」
「怪異と混ざっている──」
すると、ユリアとアイオーンの姿と声が、霧に包まれた瞬間に消えてしまった。
「ユリアちゃん!? アイオーン!?」
イヴェットが叫ぶ。しかし、ふたりの返事はなかった。
◇◇◇
霧によって仲間たちから引き離された後、ユリアとアイオーンは霧が一面に広がり覆っている場所にいた。どこを見ても、先ほどまで目に映っていた山の風景は見当たらない。すぐそばにいた仲間たちもいない。ある方向を走っても、霧の風景がどこまでも続く。まるで違う場所に飛ばされたかのようだ。そして、周囲には常に『嫌な気配』が漂っている──〈黒きもの〉だ。
「……ヒノワにも〈黒きもの〉が現れたか……。なんとなく勘づいていたが……真実だったと解ると、嫌でも焦ってしまうな──気配が微かだとしても……」
アイオーンは周囲を見渡す。今のところ、何かをしてくる様子はない。
「ええ……。そして、ラルスが言っていたとおり、きっとあの『かごめ』は私たちが出遭った個体だわ」
「『黒いモノから、すごいチカラもらった』とか言っていたな、その個体は──。この気配からすると、〈黒きもの〉で間違いないだろう」
そして、アイオーンはユリアを見る。
「〈黒きもの〉の気配が微弱とはいえ、気をつけろ。──先ほど戦ったばかりだが、お前ひとりでいけるか?」
「やれるわ。アイオーンは下がっていて」
ユリアは頷き、臨戦態勢をとった。
(……テオたちは大丈夫かしら……)
◇◇◇
時は、少しだけ巻き戻り、ユリアとアイオーンが霧に攫われてしまった直後。
テオドルスはふたりが消えてしまったところを見つめて、、息をついた。
「……まさか、分断されるとはな……。──弟妹たちよ。オレから離れないよう気をつけてくれ。この霧からは〈黒きもの〉の気配がする」
「やっぱ〈黒きもの〉かよ、この気配……」
げんなりとした顔でクレイグは周囲を見渡す。
「……敵の本体、どこ……? まさか、この霧が本体とか言わんよな……?」
と、アシュリー。
「それが事実なら、オレたちは呼吸をするたびに〈黒きもの〉を取り込んでしまっていることになるな──。しかし、現時点では特に異常はない。だからこの霧は、分断のための能力しか持っていないとみていいだろう」
「さっきの幼い女の子のような声には聞き覚えがある。俺とユリアが取り逃がした怪異かもしれない……」
すると、バツが悪そうにラウレンティウスがテオドルスたちに言う。テオドルスは「気にするな」と言って彼の背中を叩いた。
「たしか、『かごめ』という名前だったか? 少女の声で人の心を惑わすとは、なかなか性根が悪い怪異だな。しかし、ちょうどいい。一度くらいは怪異と戦ってみたいと思っていたんだ」
そして、テオドルスは嬉しそうに笑う。微かなものでも、かつて世界を恐怖に包んだ〈黒きもの〉の気配に囲まれているというのに、彼は観光地にでも来たような雰囲気だ。